ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

国民として感じること (1)

https://koredeii.com/2018/11/29/


・痛々しいというか、秋篠宮さまがあんなにやつれながらも意思を明確にしようと必死な表情されていたと受け止めました。紀子さまは話しながらも今にも泣きだしそうな気配もあり…。ただまあ、家族としては反対してるけど、まさに白旗という感情が読み取れました。


眞子さまのゴネ方、駄々こねてるご様子。こんなにワケわからない方だったんだと正直呆れてきました。


・そもそものご性格が、こういう気の強い思い込みの激しいアンバランスなとこのある方なのかなと思いました。


・これだけ日本中にK母子の悪行ぶりを知られたら、今後日本でまともに生きていくのも難しいでしょう。結婚も絶対ムリムリ。


眞子さまも諦めない。このお姫さま、中学校まで「次代の家刀自」として、お母様から厳格すぎるほどのしつけで育てられ、悠仁様ご誕生を境に、一挙に「放任」へ。「自主性を尊重しての子育て」とは「放置放任ネグレクト」と紙一重


・殿下は、どうも憲法第24条の「両性の合意による結婚」という観念に縛られておられるようです。自分たちの結婚のときも、結構反対され、それをしのいで成就した思い出もあり、しかも5年間、交際を許可した負い目もあり


秋篠宮家は、その間、佳子さまも結婚できない、悠仁様の今度は高校どうするかもいろいろ言われる。いいことは一つもないんですけどね。


新嘗祭に守谷さんが参列されたんだ、というか結婚された皇族の夫君は参列の資格を与えられる


眞子さまは周りの声が耳に入らない状態なのか、聞かない様にしているのかそれとも何か脅されたりしてるのか。

(部分抜粋引用終)

https://koredeii.com/2018/11/30/


・「秋篠宮さま:小室さんに関わること、これが毎週のように週刊誌等で報道されていることは、私も全てをフォローしているわけではありませんが、承知はしております。(記者に質問を確認されて)小室さんからの連絡ですか、どうでしょう。2、3か月に1度くらいでしょうか、時々もらうことがあります。これは、娘と小室さんのことではありますけれども、私は、今でもその二人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、やはりそれ相応の対応をするべきだと思います。まだ、婚約前ですので、人の家のことについて私が何か言うのははばかられますけれども」「今いろんなところで話題になっていること、これについてはきちんと整理をして問題をクリアするということ(が必要)になる」「やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません」


・「秋篠宮さま:私は、最近はそれほど、娘と話す機会がないので、よく分かりません


・「紀子さま:昨年の夏から、様々なことがありました。そして折々に、私たちは話し合いを重ねてきました。そうした中で、昨年の暮れから、だんだん寒くなっていく中で、長女の体調が優れないことが多くなりました。そうした状況が長く続き、長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は、大変心配でした。」「長女は、美術や音楽が好きなものですから、そして私も好きで、一緒に誘い合って展覧会や音楽会に出かけることがあります。」「家族として非常に難しい状況の中にありますが、私は、長女の眞子がいとおしく、かけがえのない存在として感じられ、これからも、長女への思いは変わることなく、大切に見守りたいと思っております。」


・「秋篠宮さま:結婚についてですが、親の勝手な希望としては、それほど遅くなくしてくれたらいいとは思いますが、こればかりは、やはり御縁の関係もありますので、別に私からせかしたりすることもしません。いずれ本人から何か言ってくるかもしれません。そのような状況です。」


・「紀子さま:結婚についてですが、これから先、もし次女がそのような話がありましたら、次女の考えやその先の将来のことについての考えを聞いて、私も必要なところ、大事だと思うことがあれば、お互いの話し合いの中で、気持ちや考えを伝えていきたいと思います。」


・「紀子さま:長男は学校の家庭科の授業でお弁当実習を始め……(とお考えになる)。」
秋篠宮さま:(妃殿下を向かれて、お尋ねになって)調理実習じゃない?」
紀子さま:(殿下を振り向かれて)調理実習かしら。(長男が)お弁当を友達と一緒に作る機会がありました。」


・「秋篠宮さま:具体的にもし言うのであれば、例えば、即位の礼は、これは国事行為で行われるわけです、その一連のものは。ただ、大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか、これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だったわけですけれども、その頃はうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですけれども。今回も結局、そのときを踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ、私として、やはりこのすっきりしない感じというのは、今でも持っています。」「大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ、そのできる範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。」「宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ、残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。」


・「秋篠宮さま:やはりそれ相応の対応というのはこちらの対応ではなく相手側の対応ですね。その後にお話ししましたように、やはりきちんと、どういうことなんだということを説明をして、そして多くの人に納得してもらい喜んでもらう状況を作る、それが「相応の対応」の意味です。」

(部分抜粋引用終)

https://www.ootapaper.com/entry/2018/11/29/133543


・あの方は本当に賢いですから。だからこそ、高円宮殿下が亡くなった後も、しっかりとした縁組を久子妃の女親一人でまとめることができたのでしょう。普通は皇統の血筋がなくなったよるべのない宮家というのは、縁組は苦労するものです。


天皇家というのは、日本国の象徴です。次代の天皇になる方が、ご自分のご家庭も統率できないのでは困ります

(部分抜粋引用終)

https://www.ootapaper.com/entry/2018/11/29/172814


・幼児期から周りに傅かれて育つ神の子!おまけにお叱りや躾抜きの秋篠宮家の自由奔放教育による我儘な特権意識。莫大な国民の税金を湯水のように彼氏につぎ込ませる事へ何の疑問も感じない。8月のお別れ夕飯に〇宮家の車や門の使用に宮内庁上官や警備官を顎で指図する傲慢さ。


秋篠宮家の従業員の入れ替わりが激しいとかも人を人とも思わぬ傲慢夫妻の解雇病としか思えない。そこから育つ息子がいつか日本国の天皇になる


・小室圭氏の留学に関しては、私は以前から、成年皇族の眞子さんが自分の権限と自己の資金(破格のお小遣い)を利用した浅はかな暴走と踏んでいます。眞子さんの東宮門突破の情報がその裏付けと思っています。


・小室家の「反社会的組織との関わり」、「小室圭氏の国際レベルで道徳的に反する挙動(裏ピース、女性器口淫のシンボル)」をもっと公にし、フォーダム大学にも認識させ、強制的に日本国の象徴と乖離させること


・皇室へ「すでに他国民の血統が侵入している」やら「皇室崩壊への戦後処理の結果」だの、もっともっと国民に周知させ、日本人として今後の皇族のあり方を、しっかり見据える時期に来ているのだと思います。

(部分抜粋引用終)

https://www.ootapaper.com/entry/2018/11/30/055221


・1990年に出された「四学長声明」ー人権教育のための記録ー
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170903200947.pdf?id=ART0000362266
関西学院大学国際基督教大学フェリス女学院大学明治学院大学の名前で出されています。


・このような文書を出していた大学に、眞子さまも佳子さまも進学されたのだということに改めてびっくりします。


秋篠宮殿下に対する不思議な気持ちを吐露させてください。この方は、お若いときは自由奔放な宮様だったのですが、ある時から、えらく天皇皇后に恭順な姿勢にかわりました。その最たるものが前コメントにも書いた「産児制限を受け入れた」ことです。何しろ悠仁様誕生の前に「お許しをいただいたので」とおっしゃっておられる。お許しをいただくまでは、ずっと我慢しておられたのかと、改めて驚きました。


・子供たち二人を、皇后陛下同様のキリスト教大学に進学させたこと(特に眞子さまは初めからこちらだし、皇族として初めて宗教色のついた大学でした)


天皇との三者会談では、いつも先に皇太子が帰ってしまい、その後1時間ぐらい、天皇と話し合っていること。(多分皇后もその場におられるのかと)とにかく、この方、今天皇皇后のメッセンジャーになっているのではないでしょうか?


眞子さまはそういう親の姿をよく見てごらんになり、ご自分の婚約話、多分「職が決まらない」ということで紀子妃が難色を示したことから、葉山御用邸に駆け込んで、天皇皇后にゴーサイン出してもらった。それに対してこれも秋篠宮夫妻は何も言えず、婚約内定への流れになってしまったのではないかと。

(部分抜粋引用終)
数日前に録画されていた秋篠宮殿下のお誕生日会見は、日付が変わった真夜中きっかりに公表されたようである。
殿下の方は、さすがに予想以上に率直に語っていたようには思われるが、結局は、憲法にせよ、大嘗祭の予算や規模にせよ、戦後思想の落とし子のようなお考えを保持されてきたのだろう。同い歳で同月に生まれているので、空気のような時代精神がよくわかるのだ。
関西学院大学国際基督教大学フェリス女学院大学明治学院大学」の四学長の声明や右翼からの反応については(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170907)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170929)、時期的にマレーシア赴任の直前で忙しくしていた頃であり、当時の私は、うかつにもよく知らなかった。弓削達氏については学会の古い文書や書籍で存じ上げているが、研究方面でしか理解していなかった。
今でこそ、「え!そんな発言を?」と驚くが、あの頃の大学の雰囲気としては、うちの母校(国立大学)もそうだったが、リベラルで進歩的で知的水準が高いと自負しているような院生や物分りのよさそうな自由主義的な教授ほど、あの路線に沿った考えを臆せず講義や著述の中で述べていた記憶がある。但し、それが可能だったのは、経済的にバブル絶頂の末期だったため、優越感や奢りに基づく「余裕」が背景として考えられる。
キリスト教系大学は私学であり、入学する学生も裕福で恵まれた都市中間層が多く見受けられたために、国公立の学校しか通わなかった私は、どこか違和感を覚えつつも、あの自由闊達さを羨ましくさえ感じた。(あれは頭のいい人達が言うことだ)とも思っていた。
フェリスと言えば典型的なお嬢様学校で、「うちの母がフェリス出で...」と自慢げに語る少し年上の男性を、二十代の頃、私は知っていた。でも、実際にどのような教育思想を施す学校なのか、フェリスに行ったこともない私は、全く知らない。その男性は、「今の日本は駄目だ」とマレーシア帰りの私に言い、既婚者なのにベンチャーのような転職をすると突然言い出し、周囲を慌てさせていた。
あれから30年ほどが経った今、国力が徐々に低下し、自然災害が多発し、経済格差が誰の眼にも明らかになった。この現状を思えば、まさにユートピアを語っていたのだろうと認識を新たにさせられる。
国体や国のかたちが曖昧なまま、学校でもメディアでも、深く分析も考察もせずに、斜に構えて無責任に現状を批判するスタイルがカッコいいとばかりに、(自分が楽しければいい)と、目の前のことだけを享楽的に過ごしてきた。そして、これまでメディア報道だけで秋篠宮家の全貌を知ったつもりになって、応援し模倣さえしてきた世代や層に、そのツケが降り掛かってきたのかもしれない。
昨日、気になって秋篠宮家(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BD%A9%BC%C4%B5%DC%B2%C8)の初期からの写真をウェブでざっと眺めてみたが、幼少時はともかくとして、内親王の二人は、それほど伸び伸び素直に明るく育っているという感じには見えない。むしろ、むっつりとして嫌そうな表情が案外に多いことに気付かされる。紀子妃殿下も、年齢相応にふっくらとした体型ではなく、口元に皺が多くて、かなり老けて見える。
その点、高円宮家とは対照的でさえある。
皇室ジャーナリストが、国民の皇室への関心を惹きつけるためか、まるで日本の家庭のモデル像のように語り、紹介していた部分が少なくなかったようにも思われるが、この宮家から将来の天皇が出ることになっている以上、国民として無関心ではいられない。現実を直視し、本来あるべき姿を知ることだ。また、仮に宮家が右往左往しているとするならば、その際には、むしろ国民の側が自覚して、しっかりと近い将来に備えていかなければならないと思う。

続々・移民政策には大反対!

移民問題に関して、国会では大きな動きがあるが、過去ブログを踏まえて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181125)、続きを以下に。

https://ironna.jp/article/11279


『NEWSポストセブン』 SAPIO 2018年11・12月号
留学生受け入れは「親日」育てる目的なのに“嫌日”が急増中


取材・文/出井康博(ジャーナリスト)(1965年岡山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。英字紙「ザ・ニッケイ・ウィークリー」記者、米シンクタンクの研究員等を経てフリーに。)


・日本の専門学校や日本語学校に在籍する外国人留学生が急増している。独立行政法人日本学生支援機構」によれば、専門学校に在籍する留学生の数は2017年度には5万8711人と、5年間で3万人以上も増えている。日本語学校」にも、2017年度には8万人近い留学生が在籍し、5年間で専門学校を上回る5万人以上の急増ぶりだ。


・本誌SAPIO7・8月号で触れたように、その大半は勉強よりも出稼ぎが目的の“偽装留学生”たちだ。留学生に認められる「週28時間以内」のアルバイトに目をつけ、留学を装い出稼ぎ目的で来日する若者が急増しているのである。本来、留学ビザは「母国から仕送りが見込め、アルバイトなしで留学生活を送れる外国人」に限り発給されるため、新興国からの留学生の多くが借金をしてブローカーに手数料などを払い、親の年収や預金残高などをでっち上げている。


・その彼らが、今度は就職して事実上の「移民」となる。法務省によれば、2017年に日本で就職した外国人留学生は過去最高の2万2419人に達した。前年からは約3000人、2012年からは2倍の増加である。その数は将来、飛躍的に増える可能性がある。早ければ2019年春にも、留学生の就職条件が緩和されるからだ。


・現状では、留学生は大学や専門学校で専攻した分野に近い仕事で、技術者を含めたホワイトカラーの職種にしか就職できない。それが大学卒の場合は専攻に関係なく就職でき、専門学校卒も「クールジャパン」に関連する仕事であれば就職できるようになる。


・就職条件の緩和に関し、法務省は「優秀な外国人材の国内定着の推進」が目的だとしている。だが、“偽装留学生”が大量に受け入れられた現状を見ても、大学や専門学校を卒業したというだけで「優秀な外国人材」と定義してよいのだろうか。


・2012年頃から急増し始めた留学生たちが、日本語学校から専門学校、大学を経て、これから続々と卒業、就職の時期を迎えるのだ。大学を卒業した留学生の就職には、「年収300万円以上の仕事」という制限だけが残る。つまり、現状では認めていない「単純労働」への就職も可能となる。


・専門学校の卒業生には「クールジャパン」関連という条件こそあるが、具体的な職種までは定義されていない。


・政府は「優秀な外国人材」という詭弁を使い、これまで通り“偽装留学生”を単純労働者として活用したいのかもしれない。そもそも外国人労働者を最も欲しているのはホワイトカラーの職種ではなく、単純労働の現場なのだ。


・ひとたび留学生が就職すれば、ビザの更新は難しくはない。就職緩和策は“偽装留学生”の「移民化」にも通じる。


・外国人の不法残留は今年1月1日時点で6万6498人を数え、4年連続で増加した。うちベトナム人は前年から30%以上も増加して6760人、元留学生の不法残留者も4100人に及ぶ。外国人犯罪の検挙件数も2017年には1万7006件と、前年から約20%増加した。とりわけベトナム人は約3割の5140件に関わり、国籍別に中国を抜いてトップとなった。こうした不法残留や犯罪の増加には、明らかに“偽装留学生”の急増が影響している。


・留学生の受け入れは、日本の言葉や文化に親しみ、“親日”となる外国人を育てるのが目的のはずだ。しかし、現状は逆に“嫌日”外国人を増やしている


・“偽装留学生”の流入は止まる気配がない。受け入れ先となる学校、そして人手不足の産業界には好都合である。

(部分転載終)
1990年代初期のことである。「なぜ日本に留学したのか」という我々の問いに対して、クラン出身の裕福な若い華人のマレーシア女性が「アルバイトができるから」と平然と答えて、思わず絶句させられた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141022)。早稲田に留学したので、国内外で通りが良かったのだろうが、もう少し、日本文化や日マ関係に対して真面目な応答があるかと期待していた我々は、現実に盲目だったと痛感させられたのである。
他にも、華人の若いマレーシア男性が「自分でも早稲田に合格できたんだ」と喜んでいたが、どうやら日本の隙間を食い物にしている感じがあった。
舐められてはいけない!

https://ironna.jp/article/11280


256万人の「移民予備軍」に口ごもる自民党の矛盾
2018/11/28
坂東忠信外国人犯罪対策講師、作家)


日本経済新聞によると、2017年半ばまでの段階で、技能実習生の失踪は既に年間7千人を超えている。受け入れ企業側も実習させてやる程度の賃金で、ろくな実習もないままに単純労働をさせているケースもある。


・今や実習生は情報端末を駆使しながら、日本各地で働く同国人や友人のネットワークで、待遇や賃金がより良い職場を求め脱走するが、在留資格が更新できずに不法滞在者となる。新たな職場の雇用側も人手不足のため、そこに働く外国人従業員のツテで受け入れる。


・彼らも人間である。働いている時間以外にも休み、遊び、恋をして、子供をつくる。さらなる収入を得たいし、楽もしたいし、苦しくなれば犯罪に走ることもある。


外国人の「道徳格差」はインターネット上で明確に認識されている。だが、国際的規模に膨れたカネのうなる大企業を広告主とするオールドメディアは、スポンサーの海外でのイメージを守るため、問題の核を「文化の違い」と表現し、道徳レベルの差から発生する国内外国人問題の核心に迫ろうとしない。


・問題を放置し、改善することなく、さらなる労働力を呼び込むために、出入国管理法が改正されようとしている。自民党は、票や政治献金を生み出す企業や団体の要求を拒むことができないからだ。


・改正の目玉は「特定技能1号・2号」という在留資格の追加だ。改正案は、1号に「相当程度の知識または経験」、2号に「熟練した技能」を要求し、外国人材を受け入れるとしているが、各号の求める具体的水準は不明だ。


・改正案に対して、自民党法務部会では発言議員の9割が反対を表明したという。しかし、残る1割が賛成側に立ち、現実の倒産要因にまでなっている「人手不足解消」の大義名分を掲げて押しまくった。


・反対の議員も「具体的に何人が何年必要なのか」「要らなくなったら『帰れ』でいいのか?」と押し返すなど激しいせめぎ合いを展開した。各業界団体のヒアリングも交えた討議の結果、安易な枠の拡大や基準の引き下げで移民政策にならないよう、法務部会と厚生労働部会で具体的なハードルを設定した部会決議を法案に付した。


・窓にはスパイ防止法という「網戸」さえなく開けっ放しで、泥棒がよく入る上に、「家庭崩壊」寸前で「だからレベルの高い外国人メイドが必要」というオヤジをあなたは信用できるか。私たちはそんな国「家」の家族なのだ。


・実習生が高度プロフェッショナル人材であっても、帯同する家族も歓迎すべき人材とは限らない。また、実習生本人も歓迎に値する人材で有り続けることを期待したり、矯正することはできない。


・本人が労働意欲を失ったり、何らかの理由で評価に値する技能を発揮することが不可能になっても、企業は面倒を見てくれない。収入に困った彼らによる犯罪やその被害回復の責任がどこに帰するのかも不明だ。まさに、国民も外国人も不幸にする改正法案である。


・国別の枠の割り当てもないため、隣国の中国や韓国の人材が多くなるのは必定だ。滞在中に母国崩壊が発生すれば、彼らは日本に居ながらにして難民になる。


・米国が進める「米中経済戦争」は政権転覆や社会の混乱、つまり国外脱出者が現れるレベルを目指し、締め上げにかかっている。そうして、難民発生の際には、国際社会が日本に対して国庫を傾けるほどの保護を求めてくるに違いない。


・単純労働者を求める労働市場では、難民を含む外国人材の雇用で、大企業の上層だけが潤い、収入格差は広がるばかりだ。彼らへの厚生や福祉で不可避となった消費増税がデフレを加速し、日本人は疲弊する。


・今でさえ円安路線を維持した日本は既に国際的デフレ国家であり、日本人の賃金は先進国内で驚くべき低レベルだ。外国人旅行客の目には、サービス最高の「おもてなし激安国家」と映るのだから、オーバーステイしたくなる気持ちも理解できる。


・問題は「労働力不足」である。ニートが高齢化しても、シングルマザーになっても生きていけるほどの社会制度が、きしみながらこれを支え、今やその福祉制度が外国人に食われるほど、生きる力と競争する意欲を失った日本人が問題なのだ。


・海外展開を行っている大企業はアベノミクスの恩恵を受け、株価も上昇している。ところが、今の経営陣はバブル崩壊の経験者であるため、内部留保を積み上げ、賃上げによる支出を恐れ、さらなる安価な労働力を外国人に求める。


・企業が大卒や新卒にこだわらず、独自の採用基準で若い人材を求めれば、就職のためのカタパルト(射出機)と化した意味無き大学は淘汰され、大学全体のレベルも向上して洗練されるだろう。


・企業が学歴偏重の採用基準を変えれば、親は借金してまで子供を大学に送る必要がなくなり、その資金を老後に回せる。子供は10代から社会に出ていれば、20代後半にはベテランの域に達するので、結婚資金も貯まる。短期的には成婚率が、中期的には出産率と出産人口が、長期的には労働人口も上がるのではないか。


・企業トップの意見を尊重する自民党の他に、勤労者のための、健全で主体性のある野党が必要だ。本来であれば、企業に君臨するブルジョア階級」の収入を規制し、「プロレタリア」の賃金を底上げする政策については、日本共産党あたりに期待したいところではある。また、「自民あっての反自民」を貫く立憲民主党は、今回の実質的移民政策にも反対するのだろうか。


安倍晋三内閣は「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太方針)に「移民政策を採らない」としているが、自民党議員は移民の定義を知らないか、口にできない。国連人口部の定義によれば、移民とは「主権のある母国を1年以上離れて外国に暮らす人」を指す。そして、この移民の概念には、密入国者や不法滞在者帰化した初代が含まれる。


・既に日本には、留学生を始めとする移民と「移民予備軍」が256万人以上も存在するが、自民党議員がこれを口にすることは骨太方針の矛盾をさらけ出すことになる。


・議員の仕事は理想の発表や世論啓発ではなく、法の立案や審議である。法改正案に部会決議文で歯止めを盛り込んだ党内の反対議員も、議論に参加し論議を尽くした以上は、組織としての決定に文句をつけることはできない。


・ここに「忖度」が必要である。発言議員の9割ほどいた反対議員は心の中で、決議文を付けても力が及ばず手を離れたこの法改正案を誰かに潰してほしいのだ、と私は「忖度」した。


・国民の政治参加は選挙のみにあらず。世論を大いに盛り上げ、燃え上がらせて法案を灰にするよう、ともに声を上げようではないか。

(部分転載終)
母校の同窓会でも、平気で「多様性は力」と述べていたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140518)、そんな証拠はどこにもない。若い頃、国内では大学で外国人留学生に日本語を教え、国外でも多民族社会マレーシアの複雑さと緊張感を肌身で感じてきた私にとっては、「多様性は混沌」だとしか思えない。
上記のマレーシア華人女性だって、多言語政策の現状について「本当は日本みたいに一つの言葉で国をまとめたいけれど、現実としてそれができないから、仕方なく」と私に述べていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160216)。

https://ironna.jp/article/11282


外国人労働者は移民ではない」日本はドイツの失敗を直視せよ
2018/11/28
雨宮紫苑(ドイツ在住フリーライター


・日本に一時帰国するたびに、働いている外国人を見かける回数が明らかに増えている。


外国人労働者数を調べてみると、10年前の2008年は約49万人だったが、17年は約128万人と年々増加しているらしい。


・不思議なのが、日本で語られるのは主に「外国人労働者」についてであって、「移民」については全くといっていいほど言及されていないことだ。


・国連広報センターによると、「国際(国境を越えた)移民の正式な法的定義はありませんが、多くの専門家は、移住の理由や法的地位に関係なく、本来の居住国を変更した人々を国際移民とみなすことに同意」しているのだそうだ。ちなみに移民の移動の形として、移住労働者や出稼ぎなどを例として含めている。


・居住地を海外に変更し、変更先に一定期間住んでいれば、現地で仕事をしていようが留学していようが『移民』と認識できるわけだ。


・日本の定義は違う。自民党は「『移民』とは、入国の時点でいわゆる永住権を有する者であり、就労目的の在留資格による受け入れは『移民』には当たらない」としている。しかし、このまま「外国人労働者は移民ではない」と言い張っていいのだろうか。日本が戦後ドイツの歴史をなぞっているように思えて、どうしても危機感を覚えてしまう。


・2018年10月、メルケル首相が率いるキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)は南部バイエルン州と西部ヘッセン州の地方選で得票率を大きく落とし、メルケル首相は21年に政界を引退することを発表した。難民政策の失敗が大きく影響しているのは、言うまでもない。


・ドイツの外国人受け入れについてのニュースが日本で大々的に報じられるようになったのは15年の難民危機以降である。


・ドイツの外国人受け入れ政策の失敗の一つに「外国人労働者を移民と認めなかったこと」が挙げられるからだ。


・旧西ドイツは、戦後の人口増加が緩やかだった上に、戦死者が多く、経済成長に伴い人手不足に陥った。労働時間短縮や有給休暇制度の改善を求める権利闘争が盛んになったこともあり、外国人を「ガストアルバイター」として受け入れ始める。ガスト=ゲスト、アルバイター=ワーカー。分かりやすく訳せば、助っ人外国人である。彼らは安く雇用できる上に、本国に仕送りするためによく働いてくれるし、ドイツ人がやりたくない仕事もやってくれる。便利も便利、超便利である。


・1960年代はまだ「ドイツは移民国家ではない」というのが共通認識だった。しかし、ドイツの予想を裏切り、ガストアルバイターの多くは家族を呼び寄せたり現地で結婚したりして、ドイツに定住することになる。


・1973年に一度外国人労働者の受け入れを停止するが、その後再び人手不足に陥り、受け入れを再開。2000年、ドイツの総労働力人口における外国人の割合は8・8%で、人口の7・3%が外国人という状況だった。


・21世紀になって少ししてから、ドイツはやっと「移民国家」としての舵を切る。ドイツ語教育やドイツの社会、歴史などを学ぶ市民教育を統合講習として受講を義務化し、移民の社会統合を目指し始めたのだ。しかし、時すでに遅し。すでにドイツ人と外国人(移民背景がある人たち)の収入格差や学歴格差、言語の壁や宗教問題など、課題は山積みになっていた。


・移民とそうでない人との間にある火種は、15年に突然生まれたものではなく、それよりも前にくすぶっていたのだ。しかし興味深いのは、これほど多くの外国人を受け入れたのに、ドイツは2018年10月、欧州連合(EU)域外から専門的資格とドイツ語能力を持つ人を呼ぶための新移民法を制定したことである。


・スイスの国際ビジネス教育・研究機関IMDによる「World Talent Ranking 2017」で「高度外国人材にとっての魅力度」が世界16位であり(ちなみに日本は51位でアジア最下位)、これだけ多くの外国人を受け入れているのにもかかわらず、新たに法を制定しなくてはならないほど高度人材が足りていないのだ。


・日本は現在、深刻な人手不足に陥っている。中小企業を中心にバブル期並みの人手不足となっており、45%もの企業で常用労働者が足りていない。


・このままでは「気づいたら移民が増えていたので対策します」というドイツの二の舞になってしまいそうだ。


・ドイツと同じ轍を踏まないために、外国人労働者の受け入れは移民政策の一貫として、戦略的に行う必要性があるのではないだろうか。


・認めずに実質移民国家となり「日本人vs外国人」と対立するほうが、私にはよっぽど恐ろしく思える。そもそも、日本で働いている人の多くは既に「移民」と呼べるし、そうでなくとも定住する可能性のある移民予備軍なのだから、「移民」という言葉にだけ反対していても意味がない。


・まずは、外国人の経済的安定が不可欠である。ドイツ連邦雇用庁によると、16年の失業率は、ドイツ人が5・0%、外国人は14・6%。収入にも格差があり、15年のフルタイム労働者の収入は、ドイツ人とそうでない人で21・5%もの差があった。社会保障費を減らすという点でも、外国人が経済的に不利にならないよう予防することは必要である。


・過労死がすでに多くの国で報じられている日本で、外国人搾取が続き、それが公になれば、国際的なイメージに影響することも理解しておかないといけないだろう。


・次に教育だ。家庭内の第一言語がドイツ語でないためドイツ語を話せないという小学1年生が増加し、現在ドイツでは教育レベルの低下が懸念されている。言語的ハンデが低学歴につながり、学歴格差がさらに収入格差として現れるのも問題である。


・日本は私立の高校、大学が多いため、経済的に不利な外国人家庭の子供が進学を断念したり、公立高校に殺到したりするかもしれない。


・宗教の問題がある。日本は比較的宗教に寛容とはいえ、勤務中の礼拝をどう扱うか、学校の修学旅行が京都・清水寺でいいか、半袖の制服着用を義務化していいか、といったことも考えていかなくてはいけない。職場飲み会もNGになるかもしれないし、社食では牛や豚を使わないメニューを用意する必要があるかもしれない。宗教において「ここは日本だから合わせろ」は通用しない。


・外国人を受け入れる以上、起こり得る想定内の課題である。それならば当然、事前対策を求められる。


自治体や学校、職場で社会統合に向けての個別努力は行われているが、現場だけでは限界があるだろう。


・求められているのは、「移民かどうか」という言葉遊びではなく、受け入れた外国人と共存・共栄するための議論だろう。


・人手不足解消のために、引きこもりの社会復帰促進や、闘病中・介護中・育児中の人の就職支援など、国内でできることはまだまだたくさんある。政府は高度外国人材を呼び込むために最短1年で永住権を認めることにしたが、日本にだって優秀な人はいるのだから、修士以上の高学歴者の優遇や研究費の支援なども検討すべきだ。


・外から人を呼ぶのは一つの選択肢だが、国内の「自給自足」も忘れないでいてほしい。

(部分転載終)

文末の「修士以上の高学歴者の優遇や研究費の支援」に関しては、私も該当するので、是非ともご検討いただきたい。
移住や移動の自由については、カトリック教会のポスターでよく見かける(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170518)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170529)。ひょっとして、欧州でも日本でも、ここが元凶(?)ではないか?

常に最悪を想定して鍛え備える

最近のメーリングリストから抜粋転載を。

千田琢哉『お金を稼ぐ人はなぜ筋トレをしているのか』


・これまで私が出逢ってきた長期的成功を収めているエグゼクティブたちには、継続的に体を鍛え続けている人が多かった。


・筋肉もビジネスも、工夫と継続力で決まるという点においてまったく同じなのだ。お金を稼げる人は、一番努力した人ではなく、一番工夫を凝らした人だ。


・本当に長期的にお金を稼ぎ続けている人は、超多忙な人ではなく、いつもゆとりがあり、どちらかといえばむしろ暇そうに見えるものだ。


胸板が厚くなると、口論が減る。


・筋トレを継続するためには、タイムマネジメント能力が必須。


時間を制した者が、人生を制するのだ。時間を生み出す工夫は、そのままビジネス能力に直結するのだ。


・筋トレをすると、本能をコントロールできる。筋トレをすると、モテる。


・男性ホルモンが活性化してくると、それを察知した女性が反応する。男性ホルモンが微量なメスは、大量の男性ホルモンを分泌しているオスに吸い寄せられるが、これは自然の摂理なのだ。


・筋トレをすると体が逞しくなってくるだけではなく、性格も逞しくなってくる。人からモテるということは、お金からもモテるということに他ならない。


・原始時代のオスの仕事といえば、頭脳と体を駆使して獲得した獲物を女性や子どもたちに持ち帰ることだった。


・現代に置き換えると、マンモスを持ち帰るオスは年収1億円を稼ぐ男だ。年収1000万は、イノシシ。年収400万は、ウサギだ。


・原始時代から現代に至るまで、われわれ人間は本質的には何も変わっていないのだ。頭脳と体を駆使して、獲物を獲得しよう。


・筋トレをしていると男性ホルモンが活性化するから、闘争心が湧いてくるようになる。オーラが出てくるのだ。


・本物の自信を獲得したければ、まず肉体を強靭にしておくことだ。肉体を強靭にするということは、筋トレをするということだ。


・筋トレで鍛え抜かれた肉体を持てば、必ず腹の底から自信が漲ってくる。


・旨いものを食べて、いい女を抱くと、男は間違いなく元気になる。


・旨いものを食べれば必ず元気になる。また旨いものを食べようと思い、バリバリ仕事をこなせる。そしてバリバリ仕事をこなしていると、男としての輝きを放って女性にモテ始める。


・いい女を抱けば必ず元気になる。まるで世界を征服したような気分に浸り、どんなことにも挑戦できそうな勇気が湧いてくる。結果としてバリバリ仕事をこなして、お金を稼げるようになる。


女性にモテないということは、同僚にもお客さまにもモテないということだ。自分の欲望を正直に受容し、とりあえず旨いものを食べることからスタートだ。


・知的作業で疲れたら、体を動かして汗をかく。そして体を動かして汗をかいたら、知的作業で疲れを癒す。


・本物の友情も恋愛も、まずあなたが自立していなければ成立しない。自立するために一番大切なのは心構えだ。


・最大の資産である自分自身を磨いておくことが、最高の資産防衛なのだ。


・今からたくさんの本を読んで多くの人と語り合い、筋トレで汗を流すのだ。無限の富を生み出すあなたの体への投資は、超ローリスク・超ハイリターンだ。


ふくらはぎが太いと、「本物だな」と感じさせる。


・つべこべ言わず、野菜は山盛り食べろ。アメリカでは、年収と野菜の摂取量は比例する、といわれる。

(引用終)
なるほど、野菜ですね?それに、足の太いのは「本物」人間だという...

松本正『雄弁家・チャーチル


・20世紀最高の雄弁家の一人と謳われるチャーチルは、第二次世界大戦勃発から8カ月後の1940年5月10日、自らが所属する保守党の党員から冷たい視線を浴びながら首相に就任した。


チャーチルは5月13日、首相として初めて議会下院の演壇に登ったのを皮切りに19日に首相就任後初の国民向けのラジオ演説をした。ドイツ軍の猛攻で英仏軍将兵ら30万人以上がダンケルクから英国に全面撤退した6月4日にも下院に登壇した。


・英国政治史上不朽の6月4日の演説で、チャーチルは英仏軍の敗走を正直に国民に知らせた。どうすれば難局を切り抜けることができるかを説明。英国の人々に希望を与えて激励した。


・22歳のチャーチルは、1897年、大英帝国のインド軍将校としてロンドン南西の古都バースを訪れ、生まれて初めて公衆の前で演壇に立った。その日から、1965年に90歳で永眠するまで約3千の演説原稿を書いた。どんなに忙しくても仕事の合間を縫ってペンを走らせた。


・名演説は生涯に読破した5千冊以上の本から生まれ、その書籍は、ウィリアム・グラッドストーンら19世紀の名宰相の議会議事録から歴史や漫画、詩文、文学、科学など多岐にわたる。


チャーチル並外れた記憶力の持ち主で、一般人の平均語彙数より2倍半以上多い約6万5千語を駆使して雄弁に語った。だが生まれつきの優れた演説家ではない。吃音障害に苦しんだ。


・初当選後の1901年、下院議員として初めて登壇したとき、空気が抜ける、擦れる発音を繰り返した。1904年の下院での演説途中、暗唱していた原稿内容を思い出せなくなり、頭を抱えて壇上を去った。


・政治生活初期の大失態を機に、チャーチルは文筆・演説力を磨いていく。難解な官僚用語や意味不明な婉曲表現を嫌った。易しい言葉を重視した。


・短い、パンチのきいた単語や句を選び、簡潔な文章を好んだ。古典文学を意識しながら文章にリズムをつけ、散文より詩的文章を書いた。


・「才気煥発で、精力的で、頑固な人物」と記すなど名詞に形容詞3〜4語をかぶせ、聴衆の頭に残るようにした。歴史上の人物の名言をファイルしておき、もっとも相応しい演説に使用。


チャーチルは、聴衆は事実と数字だけの演説に退屈する、と話す。話し手が歴史の小話や比喩、隠喩を演説文に挿入すれば、聞き手の理解がいっそう深まるようになると力説する。そうでなければ、聴衆が演説会場から帰宅したころには話し手の内容をきれいさっぱり忘れ去る、と語る。


・頭の中で練った草稿を、チャーチルは秘書にタイプで口述筆記させた。言い回しや字句などを修正・校閲し、原稿を完成。演説のリハーサル後、1904年の失敗を踏まえ、原稿を携えて演壇に向かった。40分の演説の準備に6〜8時間かかった。


・登壇したチャーチルは演説のクライマックスで、次々と生々しい事実を浴びせ、聞き手に説得力のある結論を想起させていった。また聴衆の感性ではなく理性に訴えた。一時的な興奮を呼び起こすのではなく、数か月たっても記憶に残る演説を心掛けた。台本のナレーターやアナウンサーのように話した。


チャーチルの1940年5月〜6月の名演説は、長年にわたって蓄積された学識の集大成だ。付け焼刃の知識から生まれたのではない。鋭い文章力によって躍動した演説が、議員や国民に感動と勇気を与え、不退転の決意を固めさせた。


・一方、政敵は6月4日のチャーチルの演説で、17世紀以来、先人が守ってきた英国の遺産「自由と民主主義」を暴君ヒトラーから守り抜かなければならないと気づき、首相のリーダーシップを初めて認めた。

(引用終)
チャーチルに関しては、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%C1%A5%E3%A1%BC%A5%C1%A5%EB)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=Churchill)。特に、パット・ブキャナンの見解が、一つの参考にはなる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180414)。

内村和雄『最強の未公開企業ファーウェイ。冬は必ずやってくる』(ティエン・タオ、ウー・チュンボー)


・1987年。任正非(レン・ツェンフェイ)という中年の男は、当時の中国社会の潮流に乗り遅れていた。この年、彼は数え年で44歳だった。


・運命の奥深さを感じさせるこの年に、任(レン)は商人としての第一歩を踏み出した。この時、彼は軍を退役して既に数年が過ぎていたが、何をやっても思うようにいかず悶々とした日々を送っていた。だが、一念発起してファーウェイ(華為技術)というちっぽけな民営企業を創業したその日から、任とファーウェイは切っても切れない運命共同体となったのである。


・うだつの上がらない退役軍人だった任は、まさにそのような時代の潮目に、自ら望んでか望まずか商人となる道を選んだ。こうして、深センのとあるビルの一室でファーウェイが産声を上げたのである。


・従業員は5から6人、起業資金はわずか2万元ほどだった。経営者の任は通信機器の製造に関してはずぶの素人で、当初は既製品の代理販売を生業にした。有り体に言って怪しげな「プローカー」である。にもかかわらず、任は最初から「20年後に世界レベルの通信機器メーカーになる」という壮大なビジョンを描いていた。


・ファーウェイの成功は、任の哲学の成功である。


・「我々には何のバックグラウンドもなく、何の資源もない。自分というもの以外、何ひとつ持ち合わせていない。従って、あらゆる進歩は他の誰でもない、すべてが自分次第なのだ」。


・任には娯楽やスポーツを含めて趣味らしい趣味がない。読書と思索が唯二つの例外だ。友人もほとんどいない。


・孤独に耐え、我が道を歩む。


・交流せず、徒党も組まない。これは任の性格である以上に、一種の社会的認知や役割の自覚によるものだ。


・任はファーウェイの高級幹部に対して「富可敵国」の故事をしばしば語り、次のように忠告してきた。


・「中国では国から目の敵にされるほど富を築いてはならない。ビジネスの夢を叶えたいなら、社会との係わりを自制し、目立たないようにすることだ」。


中国には『肥えた豚は年の瀬に殺されやすい』という格言がある。


・商人は政治を語らず。「商人は政治を語ってはならない。ファーウェイは純粋かつ徹底したビジネス組織であるべきだ。政治とビジネスの癒着やもたれ合いなど、中国の商業史の悪しき伝統とは完全に決別しなければならない」。


成功とは生き延びること


・「幾多の書物をひもとき、万里の道を歩むも、行ってきたのはただひとつ」。考えてみれば正にその通りだ。任は長年にわたって私的な交友をほとんどせず、余暇や移動時間の大半を読書と思索にあてている。


・外部のどんな誘惑にも負けず、個人や組織の様々な衝動を押さえ込む忍耐力。


・1997年12月、任とファーウェイの経営幹部は北米大陸横断の旅の途上にあった。東海岸から西海岸へ、米国のIT企業を次から次に訪ねて回ったのだ。そこで見聞きした米IT産業の興亡史に、彼らは大きな衝撃を受けた。


・「大企業が一つまたひとつと苦況に陥り、消滅していく。いくつものベンチャー企業が天に届くほどの勢いで成長したかと思えば、次々と雷に打たれる。ここでは企業が絶え間なく誕生し、絶え間なく死んでいくのだ」。


・任にとって、それは500年以上続いた中国古代の春秋戦国時代を1日に凝縮させたような光景だった。と同時に、彼は米国のオープンな文化やイノベーションが生み出す偉大なエネルギーを心の底から感じていた。


・任は幹部たちとシリコンバレーの小さなホテルに閉じこもって会議を開き、
3日間ぶっ続けで議論した。その議事録は100ページ以上に達した。


・どんな大企業でも、絶えず変化する環境に対応できなければ生き残れない。では、ファーウェイはどうすれば生き残れるのか。この旅を通じて任が強い共感を覚えたのは、米国人たちの奮闘精神だった。


生き延びることこそ勝利


・中国には4000万社を超える中小企業があり、GDP国内総生産)の6割、雇用の8割、そして税収の五割を生み出している。だが、ある調査によれば中国の企業の平均寿命は3年未満で、毎年100万社以上が倒産しているという。


・こうして、「生き延びる」ことはファーウェイの最低限かつ最高の戦略目標となった。草創期の社内資料や任のスピーチなどを調べると、目につくのは「オオカミのように強く賢くあれ」、「進歩するために面子を捨てよ」などといった精神論的なフレーズばかりである。


・命の危険を顧みない奮闘。


・ファーウェイは、創業以来直面してきた無数の危機を、奮闘を通じて一つひとつ乗り越えてきた。


・1990年代末に始まったファーウェイの国際化は、こうした自己犠牲を厭わぬ社員たちの苦闘と貴い犠牲によって贖われた。


硝煙が消えないイラクから伝染病が蔓延するアフリカ奥地まで、ファーウェイ社員の姿を見ない土地はない。私たちはここまで一歩ずつ歩んできた。そしてこれからも、果てしなく続く長征の道を断固として歩み続けるのだ」。


・企業家とは生まれながらの冒険家である。彼らは自分の直感と冷徹な計算を秤にかけ、危険な賭けを行う人々だ。任の言葉を借りれば、「進むべき方向は灰色の混沌の中から生まれる」。


異論を認め蓄えに変える


・何事も完全に満たしてはならない。限界を超えれば溢れてしまい、そこから邪念が生まれる。人間は欲望が満たされると自惚れ、身勝手になってしまうものだ。


・常に他人を責め立てたり、拒否したり、制止したりしてはならない。ひとことで言えば「花は五分咲き、酒はほろ酔い」がほどよいのだ。


・企業経営も同じではないだろうか。「純粋な黒や白は哲学的仮説に過ぎず、グレーこそが常態なのだ。我々は決して極端に走ってはならず、系統的な思考を持たなければならない」。


・「会社が将来の幹部人材に求めているのは、業務に関する経験や専門知識が豊富なだけでなく、業務以外でも広く深い教養を身につけていることだ。広く深い教養とは、有り体に言えば『ごった煮』、つまり何でも知っていることである」。


・創業以来、私は毎日失敗についてばかり考えてきた。成功は見ても見なかったことにし、栄誉や誇りも感じず、むしろ危機感を抱いてきた。だからこそ、ファーウェイは10年間も生存できたのかもしれない。


・失敗という“その日”は、いつか必ずやってくる。私たちはそれを迎える心の準備をしなければならない。これは私の揺るぎなき見方であり、歴史の必定でもあるのだ。


・“その日”が来る前に、我々は危機への対応法や解決策を研究し、備えなければならない。できなければ生き延びるなんて不可能なのだ。

(部分抜粋引用終)
エネルギッシュでスタミナ溢れる中国人も、日本の何倍もの速さと規模で、栄枯盛衰を日々経験している。常に最悪を想定して、生き延びることを第一目的に考えることが重要だ。
平成になってからの日本社会で非常に気になっていたのが、「これさえあれば安心」「楽しく生きる」「好きなことをする」「自分らしく」という甘ったれ風潮が蔓延していたことである。
そんな幻想は、古今東西、人間社会にはあり得ない。誰が言い出し、広めたかに興味がある。

「時間の経済」と格差問題

昨日書いた、田辺聖子名誉館長の古典と図書館を話題とするブログは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181126)、非常にアクセスが高かった。
経済の循環には、人々の自発的な肯定気分と知的刺激が必須である。
その土壌を育てる政治思想は、非常に重要である。

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima

https://ironna.jp/article/11267


・生活水準は、確かに平等化が大きく進んだが、それは極めて低水準のものであることが大半であった。
マルクス予言も分析も間違っていた可能性を示唆している。
マルクスの有名な著書『経済学批判要綱』(1857−58)に、「時間の経済、全ての経済は結局そこに解消される」という有名な言葉がある。
・経済学者の杉原四郎(1920−2009)による以下の解釈が参考になる。
「こうした主張は、人間生活にとって最も本源的な資源として時間があるということ、労働時間がその時間の基底的部分を構成するということ、そして生活時間から労働時間をさしひいたのこりの自由時間によって人間の能力の多面的な開発が可能になること、したがって労働時間の短縮が人間にとって最も重要な課題とならざるをえないこと、このような認識をまってはじめて成立することができる」(『経済原論Ⅰ』)。
・人間の労働が、本来は自分の本質を実現する生命活動でもあるにもかかわらず、ワーカホリック(仕事中毒)や過重労働などで自分の生命さえも危機に陥ることが、今の日本でも大きな問題になっている。労働者は自分の時間を自由に使うことができず、社会から「疎外」されている。
マルクスは、資本家と労働者の間できちんとした雇用契約がなければ、そもそも「市場」などは存在しないと考えていた。
正規雇用に多い年収100万円以下で働いて家計を支える人たちや、現在議論されている出入国管理法改正案で対象となっている外国人技能研修生の一部に見られるブラックな雇用環境をイメージしてほしい。
・厳しい生活に直面している人たちが、家計の補助になるだろうと子供たちを働かせることにより、かえって貧困を加速してしまうと、ゴッセンは指摘している。
・今まで食べていたものを、さらに安価で不健康で高いカロリーのみを追求するだけのものにするかもしれない。また子どもの貧困が加速するために、子どもたちは満足な食生活を維持できずに、また過酷な労働の結果、死にさえも直面するだろう。
・国内の労働者たちと同じ質を持つ外国人労働者が増加することで、やはり労働供給曲線は右下方にシフトする。このとき図から自明なように、賃金は今までの水準よりもさらに低下する。さらに国内の労働者の雇用も減少してしまう。
外国人労働者のケースで付け加えることは、あくまで同じ質の労働者を前提にしていることだ。例えば、国内の労働者と補完的な関係の人たちや、高度な技能を有する人たちは国内の生活水準を改善することに寄与する。

(引用終)

(転載終)
上記の意見には賛同し難い面が多々ある。「時間」の「差別問題」に関する私見は、過去ブログに少し言及がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180824)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180826)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180907)。
労働時間から「解放」されれば、自由に能力を発揮する「時間」が持てるかどうかについては、実際に経済下層とされる人々の家庭での過ごし方を少しでも観察すれば、一目瞭然だろう。
事の本質は、そこにはないのだ。

古典を読もう!

まずは、メーリングリストからの抜粋を。

致知出版社人間力メルマガ 2018.11.26
致知』2018年12月号
特集「古典力入門」p.38


世界が認めた古典文学『源氏物語
境野 勝悟(東洋思想家)


平安時代中期に紫式部が著した『源氏物語』。世界的にも高い評価を受けている古典文学の最高峰の作品の魅力を、境野さんが紐解きました。


源氏物語』の何が素晴らしいかといえば、まず一つには日本語の音の並び、文章のリズムが非常にいい


もう一つの魅力は、時代を超越した真実の愛を描いていることです。『源氏物語』を読むと、人間の情、男女の愛というのはここまで尊いものかと教えられます。


ただ、物語に出てくる女性の和歌や言葉の真意が、男性の私には十分理解できないことがよくありました。そういう時には、「こう思いますがどうですか?」と奥様方に聞くのですが、ほとんど「それは違うわ」という返事が返ってくるのです。それで私は、物事の感じ方や愛のあり方は、男女でこんなにも違うのかと驚きました。


「男女平等」を教えられてきた現代人は、ともすれば、男女は何もかも一緒だと考えてしまいがちですが、やはり、法的に同権ではあっても、同質ではないのです。ここが理解できないと、よりよい人間関係、人生もつくれません。


そして『源氏物語』の登場人物たちは、その男女の違いを知り尽くした上で、理解し合い、お互いの愛の生活、あるいは人生を充実させていく。主人公の光源氏も、付き合った女性たちの心を深く理解し、皆を幸せにしています


ちなみに、源氏が若い頃に付き合った女性は、ほとんど全員年上です。男女関係が大らかだった時代には、男は年上の女性とたくさん付き合うことで、恋愛のみならず、人情の機微や人生を教えてもらったのです。


それは女性も同じことでした。とにかく、多様な人との心通った交流の中で自分の人格や教養を完成させていった。

(部分抜粋引用終)
源氏物語』に関しては、過去ブログにも何度か言及がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B8%BB%BB%E1%CA%AA%B8%EC)。二十代の頃、私は日課の勉強リストに、湖月抄の『源氏物語』を2ページずつ音読する課題を入れていた。湖月抄を選んだ理由は、学部時代の指導教授が勧めていらしたからである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150220)。
それに従えば、上記の「皆を幸せにしています」には同意できない。むしろ、最後には、世をはかなんで出家した光源氏ではなかったか?そういう読み方をしなければ、仏教思想に基づく「もののあはれ」が理解できないのでは?

偶然にも、昨日の午後には一時間ほど、市立図書館で「田辺聖子が輝かせる古典の世界〜『新源氏物語』を中心に」と題する講演会に出てみた。今年9月末から居住することになった街にある市立図書館の名誉図書館長が田辺聖子さんで、昭和55年から「住み心地がいい」「ちょうどいいサイズ」だということで、ここの市民でいらしたそうだ。
大阪は福島の裕福な写真館の長女として生まれ、文学少女として育った田辺聖子さんは「私は古典をこのように読みました」と多数の作品を世に出されたが、その概説のようなお話だった。もちろん、図書館内にも、郷土作家としてスペースが確保されている。
源氏物語』については、谷崎潤一郎円地文子の場合、研究者を意識した現代語訳になっている反面、田辺聖子さんは、「私訳」としての位置づけで著述されたようである。しかしながら、その影響力は甚大で、漫画『あさきゆめみし』や宝塚歌劇団の公演や吉永小百合主演の映画『千年の恋』等は、田辺訳による作品だと、読み比べをした研究者ならわかるそうである。
80人定員のところが、目算で30名ほどの参加だったので、質疑応答では、面皮が厚い新参者として、挙手して質問をしてみた。
「先日、京都の文化博物館に行きましたら、ユネスコの日本部門で紫式部が最初に登録された、と初めて知りました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181112)。そのことについて、田辺先生はどのようにお考えでしょうか」
お答えとしては、田辺聖子文学館の副館長さんだけあって、即座に「世界に通用する文学の原点だと思っていらっしゃいます」とのことだった。
確かに。田辺源氏は、あくまで温かいまなざしで描かれているようである。さもありなん、戦時中、防空壕の中でも、文学少女らしく、源氏物語に登場する女性像を、友人達とあれこれ語り合っていたらしい。そういう心根のたくましさ、芯の強さ、自由に羽ばたく想像力と創造性は、とかく男尊女卑と揶揄されがちな偏狭な日本観に対する雄弁な反証となり得よう。
早速、この市立図書館で本を借りてみた。
既に、市民である身分証明書を提出し、図書館利用カードを作ってもらってあったので、後はパソコンの装置にカードを差し込み、借りたい本を台の上にのせて、画面上で冊数をクリックするのみ。簡単に貸出票が出てくる。開架室の本は、全て表紙の裏側に本のデータが入力されたチップが貼り付けてあり、パソコンで読み取り可能なのだ。
つまり、カウンターで列を作る必要もなければ、借りる本を見られることもない。実に簡便で、いわば「図書館のAI化」の一端でもある。
さらに凄いのは、ここでは一人が一回につき30冊まで借りられることだ。言うまでもなく、市内には5つの図書館があり、返却ボックスも駅前など、便利な場所に設置されている。
今秋まで21年ほど住んでいた大阪府の小さな町では、郷土資料以外は、殆どが暇つぶし程度の本が大半で、最大限10冊までしか借りられなかった。しかも、図書館で働くスタッフ女性達が、お世辞にも図書館をフル活用してきた読書人生のようには見えなかったこともあり、真面目に一生懸命、きれいに本を整理してはいたが、どうでもいいところに力こぶを入れて作業をしていたきらいがあった。
そのとばっちりを受けてか、私は細かい点でいつも注意ばかりされていた。
「コピー用のお金は、両替できませんので、自分で小銭を準備してください」「両面コピーは、(スタッフが使い方がわからないので)なるべく控えてください(!)」「付箋を外して返却してください」(←鉛筆の書き込みがたくさん平気でなされている本についての注意はなく、代わりに、私が見つけ次第、消しゴムで消して返却していた!)「府立図書館の本は、一日でも返却が遅れると、町内全員が借りられなくなります」(←府立図書館に電話で尋ねたところ、「そんな規定はない」とのことだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120210))「ひゃぁ!横文字、私読めないわぁ!」「そんなに本を借りて、何か新しい勉強でも始めたんですか?」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/200710)云々。
自転車での日常の買い物ついでに利用できたので、いつでも時間を買うつもりで片目をつぶって、府立図書館から借りる制度や、クラシック音楽のCDや新刊書の購入等、町税を払っている者として精一杯、最大限の活用はしていた。だが、正直なところ、知的水準の齟齬というのか、やや不快感が抜けなかったことは否めない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100702)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171012)。
こちらでは、生け花や書道や水彩画や音楽や俳諧、くずし文字学習(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181121)等、市民の文化活動が盛んで、私みたいなのは全く普通。図書館職員との会話も実にスムーズで、大変に快適である。また、図書館内の学習室も、社会人用や中高生用等、ほぼ満席で、皆、本を広げて熱心に勉強していた。言わずもがなだが、別の階には子供用のコーナーもたっぷりスペースが確保されている。
日本の国力維持と活力向上のためには、こうでなければならない。
「揺りかごから墓場まで」と、託児所や老人ホームばかり作っているようでは、士気が下がってしまう。
ちなみに、兵庫県は今でも、1995年1月に発生した阪神淡路大震災の余波が残っており、全国ワースト1クラスの財政状況だとのこと。その中で、我が市は地価が上昇し、待機児童もゼロで、妊婦さんや子供をたくさん見かける。つまり、住みやすいために人口が密集していて、市税からお金を出して県を「援助」しているとのことだった。
兵庫県内で裕福でお金持ちの市と言えば、昔から芦屋や宝塚のような印象があるが、我が市もまんざらではなさそうだ。
S町のY町長様、町の活性化は図書館からですよ!頑張ってください!
さて、早速借りた本は、以下の三冊。

田辺聖子田辺写真館が見た"昭和"文藝春秋2005年/2006年 三刷
マハティール・ビン・モハマドルック・イースト政策から30年ーマハティールの履歴書日本経済新聞出版社2013年5月13日
ユン・チアン/ジョン・ハリディ(著)土屋京子(訳)『マオー誰も知らなかった毛沢東(下)講談社2005年/2006年 六刷

田辺聖子さんの貴重な古い家族写真を元に、戦前戦後のご家系を綴った最初の本は、自宅に戻って、笑いながら、すぐに読み終えてしまった。大阪育ちの主人には、描写がぴったり心情に合うらしい。
新発見としては、結構、男っぽい凝った漢語を多用されることだった。私の語彙では、もちろん、ない。
ちなみに、過去ブログで田辺聖子さんに言及したものは、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080722)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080809)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090324)。
マハティール氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%DE%A5%CF%A5%C6%A5%A3%A1%BC%A5%EB)の著述は、昔から基本的な思想が変わっていない点に注目を。また、戦時中の日本軍のあり方について、必ずしも日本の保守派が主張するような単純に好意的な見方ではないことは、留意すべきである。
さらに、出版日の5月13日は、マレーシアでは過去に人種暴動事件が発生した日として銘記されていることにも、心配りをしたいところである。
『マオ』は、櫻井よしこ氏の著述で知った(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131121)。5年経った今、ようやく読む機会を得た。下巻から始める理由は、そちらの方が知りたい情報に富むからである。

致知出版社のメルマガを引用した過去ブログ一覧は、以下に。

•2018-11-22   温故知新は今ここに
•2018-11-02   最近のメーリングリストから
•2018-10-25   勉強法・加齢の知恵・自業自得
•2018-09-16   こういう話が好きだ
•2018-08-25   叱って育てよ
•2018-03-31   おいしい料理をつくる
•2017-09-13   世間の大勢とつながる
•2016-01-29   故羽仁五郎氏を巡るメモ(3)

(リスト終)
PS:上記の三冊のうち、以前住んでいたS町の図書館検索を試してみると、田辺聖子さんの本は入っていたが、他の二冊は入っていなかった。
こういうところが、駄目なのである。『週刊金曜日』みたいな雑誌や(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170901)、左翼系や新左翼系の本ばかり目立つように入れていたし、今年4月からリニューアルされた図書館ウェブでは、「マイ本棚」「他の人がどのように読んでいるか」や「借りた本の平均評価」ランキング欄まで作っている。
「マイ本棚」なんて、下手に書き込んだら、次々と余計なおせっかいが入ること、間違いなし。それに、それこそ知的水準や思想の「個人情報」が図書館に筒抜けなのだ。
林業、農業、商業、工業、教育、町外への勤め人等、多種多様な職種で暮らしを立てている小さな町で、こういう形式を平気で採用しているところが、「図書館とは長らく無縁の人生だったような女性達が働いている場所」だと思わされるのだ。
公立の図書館で働く以上、タイトルや出版社や表紙デザインを見ただけで、さっと傾向や内容が察知できるようでなければならない。つまり、それほど幅広く本というものに馴染んでいなければならないのである。
図書館司書の資格の有無ではない。第一、図書館の仕事は力仕事で、埃や紙虫に塗れるのが前提だ。
ちなみに、引越し前に『S町史』の分厚い本を斜め読みしたところ、大阪府下でも古くから裕福な土地の上位に挙げられていた。つまり、土地柄は良いのに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170723)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180802)、政治思想が悪いのである。

2019年6月10日追記:

https://mainichi.jp/articles/20190610/k00/00m/040/120000c?fm=mnm

「作家 田辺聖子さん死去、91歳 大阪弁駆使した軽妙な文体で愛され」
毎日新聞
2019年6月10日
大阪弁を駆使した軽妙な文体の小説やエッセー、さらに評伝や古典を現代によみがえらせた作品を次々に発表し、世代を超えて愛されてきた作家、田辺聖子さんが6日午後1時28分、総胆管結石による胆管炎のため死去した。91歳。

(転載終)

https://mainichi.jp/articles/20190520/ddl/k28/070/318000c

毎日新聞
2019年5月20日
10年前頃まで、作家の田辺聖子さんとよく対談をした。当時の田辺さんは、自分で講演するのが面倒くさくなったのか、対談やトークショーのような形を好み、2人であちこちのホテルや市民ホールを回った。兵庫県内でも伊丹(田辺さんは伊丹市民)や芦屋などで対談を楽しんだが、なんというか、私と田辺さんとは相性がよかったと思う。

(転載終)

移民問題とアイデンティティ

ダグラス・K・マレイ氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%C0%A5%B0%A5%E9%A5%B9%A1%A6%A5%DE%A5%EC%A5%A4)については、今年3月に学会の研究会でも発表し、学会誌に要旨を掲載していただいた。大変にゆっくりではあるが、発表した頃よりも、徐々に増え、今では東大や京大を含む9つの大学図書館に所蔵がある。
日本の移民問題に関連して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181124)、その続きを記す。
ご本人のツィッターhttps://twitter.com/DouglasKMurray)の背景に掲示されているのが、ペーパーバック版の『欧州の奇妙な死:移民・アイデンティティイスラーム』(2018年6月)である。
ハードカバー版の初版に一章「その後」を追加し(pp.321-337)、記述の傍証としての注も新たに加え(pp.353-354)、持ち運びに便利なような軽装型である。
私は、この版を今年の6月下旬に入手したが、昨日、追加部分をようやく一気に読んだ。
出版直後からベストセラーを続け、大変好評だったことを率直に述べ、その後も続けざまに発生した英国及び欧州内でのムスリム移民によるテロ事件が綴られている。そして、政治家の中には「現在の移民政策を後悔している」と、密かに告白した人もいたらしい。
英国外では、特に米国と豪州でよく読まれたとも記している(p.335)。
キーワードとしては「希望の礼拝」「ジョン・レノンの『イマジン』」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151217)「回復力(resilience)」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140518)「国境を開く」「橋を架ける」「移動性と多様性」「移民と統合」等だが、アイデンティティの問題をどうするか、深刻な重いテーマが相変わらず続いている。
また、本書を日本語で紹介した文献としては、中野剛志氏の『日本の没落幻冬舎新書501(2018年5月30日)があり、第4章で詳細な引用が記されている(pp.110-148)。
通産省の元官僚で、エディンバラ大学で2005年に博士号を取得された著者でいらっしゃるので、恐らくは、スコットランド系の名字を持つダグラスさんに自然と興味を持たれたのではなかろうか、と想像される。
但し、中野氏は経済ナショナリズムのような分野がご専門のようで、ダグラス本を詳細に引用はされているが、特にイスラームキリスト教の歴史的対立が現代社会でどのような相克を表しているか等には触れていない。むしろ、議論の叩き台としてはシュペングラーの『西洋の没落』が中心で、4章ではハーバーマスの論文を対論として用いている。
こちらも、入手したのは9月中旬だったが、全部読み通したのは、一昨日のことだった。

ユーリ・テミルカーノフ氏のインタビュー集を邦訳した『ノローグ』も、半分以上、読み終えた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181119)。
氏のお父様は共産党員で、文化大臣もなさっていたようだが、早くに亡くなられた。かたやユーリ氏は無神論者の唯物論者でありながらも、非党員としてソビエト時代をたくましく生き抜いていたらしい。それであれほどの受賞歴なのだから、相当な実力派である。
ロシアは広大な土地つまり豊富な資源を有しているにもかかわらず、諸民族を政治的にまとめるのに常に失敗しているようで、何とも息苦しい。その環境下で、家族を大切にし、仲良く暮らしながらも、幼少期には食べ物にも事欠く暮らしだった様子や、西側への強烈な対抗意識とサンクトペテルブルクへの強い愛着が感じられ、なかなか興味深い本だった。
ロシアの楽団は、これからも来日公演ツアーをするだろうが、このような背景にも心しつつ、変わりゆく時代を音楽を通して感じ取りたい。

続・移民政策には大反対!

昨日のブログ・トピックに引き続き(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181123)、以下の引用を。
櫻井よしこ氏は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=yoshiko-sakurai.jp)、憲法改正や皇室問題に関して、現首相の安倍総理と近い関係にあり、ご自身の主催するフォーラム等でも、ゲストとして招くほどの親しさであった。その氏でさえ、「安倍晋三首相も自民党も一体どうしたのか」と記すほど、事は重大かつ複雑怪奇ではある。

https://yoshiko-sakurai.jp/2018/11/24/7780


2018.11.24 (土)
「将来に禍根残しかねない入管法改正案 日本は外国人政策の全体像を見直す時だ」
週刊ダイヤモンド』 2018年11月24日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1257 


安倍晋三首相も自民党も一体どうしたのか。まるで無責任な野党と同じではないか。
外国人労働者受け入れを大幅に拡大する出入国管理法改正案についての国会論戦を聞いていると、普段は無責任な野党の方がまともに見える。それ程、自民・公明の政権与党はおかしい。
・結局、外国人労働者の受け入れを大枠で了承し、法律の詳細は省令で決定するという異例の決着を見た。
・深刻な人手不足ゆえに倒産が相ついでいるといわれる建設業界や介護業界の悲鳴のような要請を無視できないという事情はあるにしても、この法改正は将来に深刻な禍根を残しかねない
・外国人は単なる労働者ではない。誇りも独自の文化も家族もある人間だ。いったん来日して3年、5年と住む内に、安定した日本に永住したくなり、家族を呼び寄せたくなる人がふえるのは目に見えている。その時彼らが機械的に日本を去るとは思えない。
・日本にはすでに258万人の外国人が住んでいるのである。その中で目立つのは留学生の急増だ。2013年末に19万人だったのが17年末までの4年間に31万人にふえた。技能実習生は16万人から27万人に、一般永住者は66万人から75万人にふえた。
・日本には特別永住者と一般永住者の2種類がある。前者は戦前日本の統治下にあった朝鮮半島や台湾の人々、その子孫に与えられている地位である。彼らは日本に帰化したり日本人と結婚したりで、日本への同化が進み、その数はこの4年間で37万人から33万人に減少した。
シンクタンク「国家基本問題研究所」研究員の西岡力氏の調査によると、17年末で75万人の一般永住者の3分の1、25万人が中国人だ。一般永住者は日本人と同等の権利を与えられた外国人と考えてよい。滞在期間は無制限で、配偶者や子供にも在留資格が与えられる。活動も日本国民同様、何ら制限もない。彼らが朝鮮総連のような祖国に忠誠を誓う政治組織を作ることも現行法では合法だ。
中国政府は10年に国防動員法を制定し、緊急時には海外在住の中国国民にも国家有事の動員に応ずることを義務づけた。仮に、日中両国が紛争状態に陥った時、在日中国人が自衛隊や米軍の活動を妨害するために後方を攪乱する任務に就くことも十分に考えられる。
・一般永住資格はかつて日本に20年間居住していなければ与えられなかったが、98年に国会審議もなしに、法務省ガイドラインで「原則10年以上の居住」に緩和した。その結果、20年間で9万人から75万人へと、8倍以上にふえた。

(引用終)