ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

常に最悪を想定して鍛え備える

最近のメーリングリストから抜粋転載を。

千田琢哉『お金を稼ぐ人はなぜ筋トレをしているのか』


・これまで私が出逢ってきた長期的成功を収めているエグゼクティブたちには、継続的に体を鍛え続けている人が多かった。


・筋肉もビジネスも、工夫と継続力で決まるという点においてまったく同じなのだ。お金を稼げる人は、一番努力した人ではなく、一番工夫を凝らした人だ。


・本当に長期的にお金を稼ぎ続けている人は、超多忙な人ではなく、いつもゆとりがあり、どちらかといえばむしろ暇そうに見えるものだ。


胸板が厚くなると、口論が減る。


・筋トレを継続するためには、タイムマネジメント能力が必須。


時間を制した者が、人生を制するのだ。時間を生み出す工夫は、そのままビジネス能力に直結するのだ。


・筋トレをすると、本能をコントロールできる。筋トレをすると、モテる。


・男性ホルモンが活性化してくると、それを察知した女性が反応する。男性ホルモンが微量なメスは、大量の男性ホルモンを分泌しているオスに吸い寄せられるが、これは自然の摂理なのだ。


・筋トレをすると体が逞しくなってくるだけではなく、性格も逞しくなってくる。人からモテるということは、お金からもモテるということに他ならない。


・原始時代のオスの仕事といえば、頭脳と体を駆使して獲得した獲物を女性や子どもたちに持ち帰ることだった。


・現代に置き換えると、マンモスを持ち帰るオスは年収1億円を稼ぐ男だ。年収1000万は、イノシシ。年収400万は、ウサギだ。


・原始時代から現代に至るまで、われわれ人間は本質的には何も変わっていないのだ。頭脳と体を駆使して、獲物を獲得しよう。


・筋トレをしていると男性ホルモンが活性化するから、闘争心が湧いてくるようになる。オーラが出てくるのだ。


・本物の自信を獲得したければ、まず肉体を強靭にしておくことだ。肉体を強靭にするということは、筋トレをするということだ。


・筋トレで鍛え抜かれた肉体を持てば、必ず腹の底から自信が漲ってくる。


・旨いものを食べて、いい女を抱くと、男は間違いなく元気になる。


・旨いものを食べれば必ず元気になる。また旨いものを食べようと思い、バリバリ仕事をこなせる。そしてバリバリ仕事をこなしていると、男としての輝きを放って女性にモテ始める。


・いい女を抱けば必ず元気になる。まるで世界を征服したような気分に浸り、どんなことにも挑戦できそうな勇気が湧いてくる。結果としてバリバリ仕事をこなして、お金を稼げるようになる。


女性にモテないということは、同僚にもお客さまにもモテないということだ。自分の欲望を正直に受容し、とりあえず旨いものを食べることからスタートだ。


・知的作業で疲れたら、体を動かして汗をかく。そして体を動かして汗をかいたら、知的作業で疲れを癒す。


・本物の友情も恋愛も、まずあなたが自立していなければ成立しない。自立するために一番大切なのは心構えだ。


・最大の資産である自分自身を磨いておくことが、最高の資産防衛なのだ。


・今からたくさんの本を読んで多くの人と語り合い、筋トレで汗を流すのだ。無限の富を生み出すあなたの体への投資は、超ローリスク・超ハイリターンだ。


ふくらはぎが太いと、「本物だな」と感じさせる。


・つべこべ言わず、野菜は山盛り食べろ。アメリカでは、年収と野菜の摂取量は比例する、といわれる。

(引用終)
なるほど、野菜ですね?それに、足の太いのは「本物」人間だという...

松本正『雄弁家・チャーチル


・20世紀最高の雄弁家の一人と謳われるチャーチルは、第二次世界大戦勃発から8カ月後の1940年5月10日、自らが所属する保守党の党員から冷たい視線を浴びながら首相に就任した。


チャーチルは5月13日、首相として初めて議会下院の演壇に登ったのを皮切りに19日に首相就任後初の国民向けのラジオ演説をした。ドイツ軍の猛攻で英仏軍将兵ら30万人以上がダンケルクから英国に全面撤退した6月4日にも下院に登壇した。


・英国政治史上不朽の6月4日の演説で、チャーチルは英仏軍の敗走を正直に国民に知らせた。どうすれば難局を切り抜けることができるかを説明。英国の人々に希望を与えて激励した。


・22歳のチャーチルは、1897年、大英帝国のインド軍将校としてロンドン南西の古都バースを訪れ、生まれて初めて公衆の前で演壇に立った。その日から、1965年に90歳で永眠するまで約3千の演説原稿を書いた。どんなに忙しくても仕事の合間を縫ってペンを走らせた。


・名演説は生涯に読破した5千冊以上の本から生まれ、その書籍は、ウィリアム・グラッドストーンら19世紀の名宰相の議会議事録から歴史や漫画、詩文、文学、科学など多岐にわたる。


チャーチル並外れた記憶力の持ち主で、一般人の平均語彙数より2倍半以上多い約6万5千語を駆使して雄弁に語った。だが生まれつきの優れた演説家ではない。吃音障害に苦しんだ。


・初当選後の1901年、下院議員として初めて登壇したとき、空気が抜ける、擦れる発音を繰り返した。1904年の下院での演説途中、暗唱していた原稿内容を思い出せなくなり、頭を抱えて壇上を去った。


・政治生活初期の大失態を機に、チャーチルは文筆・演説力を磨いていく。難解な官僚用語や意味不明な婉曲表現を嫌った。易しい言葉を重視した。


・短い、パンチのきいた単語や句を選び、簡潔な文章を好んだ。古典文学を意識しながら文章にリズムをつけ、散文より詩的文章を書いた。


・「才気煥発で、精力的で、頑固な人物」と記すなど名詞に形容詞3〜4語をかぶせ、聴衆の頭に残るようにした。歴史上の人物の名言をファイルしておき、もっとも相応しい演説に使用。


チャーチルは、聴衆は事実と数字だけの演説に退屈する、と話す。話し手が歴史の小話や比喩、隠喩を演説文に挿入すれば、聞き手の理解がいっそう深まるようになると力説する。そうでなければ、聴衆が演説会場から帰宅したころには話し手の内容をきれいさっぱり忘れ去る、と語る。


・頭の中で練った草稿を、チャーチルは秘書にタイプで口述筆記させた。言い回しや字句などを修正・校閲し、原稿を完成。演説のリハーサル後、1904年の失敗を踏まえ、原稿を携えて演壇に向かった。40分の演説の準備に6〜8時間かかった。


・登壇したチャーチルは演説のクライマックスで、次々と生々しい事実を浴びせ、聞き手に説得力のある結論を想起させていった。また聴衆の感性ではなく理性に訴えた。一時的な興奮を呼び起こすのではなく、数か月たっても記憶に残る演説を心掛けた。台本のナレーターやアナウンサーのように話した。


チャーチルの1940年5月〜6月の名演説は、長年にわたって蓄積された学識の集大成だ。付け焼刃の知識から生まれたのではない。鋭い文章力によって躍動した演説が、議員や国民に感動と勇気を与え、不退転の決意を固めさせた。


・一方、政敵は6月4日のチャーチルの演説で、17世紀以来、先人が守ってきた英国の遺産「自由と民主主義」を暴君ヒトラーから守り抜かなければならないと気づき、首相のリーダーシップを初めて認めた。

(引用終)
チャーチルに関しては、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%C1%A5%E3%A1%BC%A5%C1%A5%EB)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=Churchill)。特に、パット・ブキャナンの見解が、一つの参考にはなる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180414)。

内村和雄『最強の未公開企業ファーウェイ。冬は必ずやってくる』(ティエン・タオ、ウー・チュンボー)


・1987年。任正非(レン・ツェンフェイ)という中年の男は、当時の中国社会の潮流に乗り遅れていた。この年、彼は数え年で44歳だった。


・運命の奥深さを感じさせるこの年に、任(レン)は商人としての第一歩を踏み出した。この時、彼は軍を退役して既に数年が過ぎていたが、何をやっても思うようにいかず悶々とした日々を送っていた。だが、一念発起してファーウェイ(華為技術)というちっぽけな民営企業を創業したその日から、任とファーウェイは切っても切れない運命共同体となったのである。


・うだつの上がらない退役軍人だった任は、まさにそのような時代の潮目に、自ら望んでか望まずか商人となる道を選んだ。こうして、深センのとあるビルの一室でファーウェイが産声を上げたのである。


・従業員は5から6人、起業資金はわずか2万元ほどだった。経営者の任は通信機器の製造に関してはずぶの素人で、当初は既製品の代理販売を生業にした。有り体に言って怪しげな「プローカー」である。にもかかわらず、任は最初から「20年後に世界レベルの通信機器メーカーになる」という壮大なビジョンを描いていた。


・ファーウェイの成功は、任の哲学の成功である。


・「我々には何のバックグラウンドもなく、何の資源もない。自分というもの以外、何ひとつ持ち合わせていない。従って、あらゆる進歩は他の誰でもない、すべてが自分次第なのだ」。


・任には娯楽やスポーツを含めて趣味らしい趣味がない。読書と思索が唯二つの例外だ。友人もほとんどいない。


・孤独に耐え、我が道を歩む。


・交流せず、徒党も組まない。これは任の性格である以上に、一種の社会的認知や役割の自覚によるものだ。


・任はファーウェイの高級幹部に対して「富可敵国」の故事をしばしば語り、次のように忠告してきた。


・「中国では国から目の敵にされるほど富を築いてはならない。ビジネスの夢を叶えたいなら、社会との係わりを自制し、目立たないようにすることだ」。


中国には『肥えた豚は年の瀬に殺されやすい』という格言がある。


・商人は政治を語らず。「商人は政治を語ってはならない。ファーウェイは純粋かつ徹底したビジネス組織であるべきだ。政治とビジネスの癒着やもたれ合いなど、中国の商業史の悪しき伝統とは完全に決別しなければならない」。


成功とは生き延びること


・「幾多の書物をひもとき、万里の道を歩むも、行ってきたのはただひとつ」。考えてみれば正にその通りだ。任は長年にわたって私的な交友をほとんどせず、余暇や移動時間の大半を読書と思索にあてている。


・外部のどんな誘惑にも負けず、個人や組織の様々な衝動を押さえ込む忍耐力。


・1997年12月、任とファーウェイの経営幹部は北米大陸横断の旅の途上にあった。東海岸から西海岸へ、米国のIT企業を次から次に訪ねて回ったのだ。そこで見聞きした米IT産業の興亡史に、彼らは大きな衝撃を受けた。


・「大企業が一つまたひとつと苦況に陥り、消滅していく。いくつものベンチャー企業が天に届くほどの勢いで成長したかと思えば、次々と雷に打たれる。ここでは企業が絶え間なく誕生し、絶え間なく死んでいくのだ」。


・任にとって、それは500年以上続いた中国古代の春秋戦国時代を1日に凝縮させたような光景だった。と同時に、彼は米国のオープンな文化やイノベーションが生み出す偉大なエネルギーを心の底から感じていた。


・任は幹部たちとシリコンバレーの小さなホテルに閉じこもって会議を開き、
3日間ぶっ続けで議論した。その議事録は100ページ以上に達した。


・どんな大企業でも、絶えず変化する環境に対応できなければ生き残れない。では、ファーウェイはどうすれば生き残れるのか。この旅を通じて任が強い共感を覚えたのは、米国人たちの奮闘精神だった。


生き延びることこそ勝利


・中国には4000万社を超える中小企業があり、GDP国内総生産)の6割、雇用の8割、そして税収の五割を生み出している。だが、ある調査によれば中国の企業の平均寿命は3年未満で、毎年100万社以上が倒産しているという。


・こうして、「生き延びる」ことはファーウェイの最低限かつ最高の戦略目標となった。草創期の社内資料や任のスピーチなどを調べると、目につくのは「オオカミのように強く賢くあれ」、「進歩するために面子を捨てよ」などといった精神論的なフレーズばかりである。


・命の危険を顧みない奮闘。


・ファーウェイは、創業以来直面してきた無数の危機を、奮闘を通じて一つひとつ乗り越えてきた。


・1990年代末に始まったファーウェイの国際化は、こうした自己犠牲を厭わぬ社員たちの苦闘と貴い犠牲によって贖われた。


硝煙が消えないイラクから伝染病が蔓延するアフリカ奥地まで、ファーウェイ社員の姿を見ない土地はない。私たちはここまで一歩ずつ歩んできた。そしてこれからも、果てしなく続く長征の道を断固として歩み続けるのだ」。


・企業家とは生まれながらの冒険家である。彼らは自分の直感と冷徹な計算を秤にかけ、危険な賭けを行う人々だ。任の言葉を借りれば、「進むべき方向は灰色の混沌の中から生まれる」。


異論を認め蓄えに変える


・何事も完全に満たしてはならない。限界を超えれば溢れてしまい、そこから邪念が生まれる。人間は欲望が満たされると自惚れ、身勝手になってしまうものだ。


・常に他人を責め立てたり、拒否したり、制止したりしてはならない。ひとことで言えば「花は五分咲き、酒はほろ酔い」がほどよいのだ。


・企業経営も同じではないだろうか。「純粋な黒や白は哲学的仮説に過ぎず、グレーこそが常態なのだ。我々は決して極端に走ってはならず、系統的な思考を持たなければならない」。


・「会社が将来の幹部人材に求めているのは、業務に関する経験や専門知識が豊富なだけでなく、業務以外でも広く深い教養を身につけていることだ。広く深い教養とは、有り体に言えば『ごった煮』、つまり何でも知っていることである」。


・創業以来、私は毎日失敗についてばかり考えてきた。成功は見ても見なかったことにし、栄誉や誇りも感じず、むしろ危機感を抱いてきた。だからこそ、ファーウェイは10年間も生存できたのかもしれない。


・失敗という“その日”は、いつか必ずやってくる。私たちはそれを迎える心の準備をしなければならない。これは私の揺るぎなき見方であり、歴史の必定でもあるのだ。


・“その日”が来る前に、我々は危機への対応法や解決策を研究し、備えなければならない。できなければ生き延びるなんて不可能なのだ。

(部分抜粋引用終)
エネルギッシュでスタミナ溢れる中国人も、日本の何倍もの速さと規模で、栄枯盛衰を日々経験している。常に最悪を想定して、生き延びることを第一目的に考えることが重要だ。
平成になってからの日本社会で非常に気になっていたのが、「これさえあれば安心」「楽しく生きる」「好きなことをする」「自分らしく」という甘ったれ風潮が蔓延していたことである。
そんな幻想は、古今東西、人間社会にはあり得ない。誰が言い出し、広めたかに興味がある。