ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ダアワに対して

『キリスト新聞』(http://www.kirishin.com/2018/10/18/20008/?fbclid=IwAR3TlntWTirfLeoA6fTveQ5Vddi5gZfAT0nuzvM6VIQv7L7LGvznlUUFKLE)には、最近、以下のような記事が掲載されたらしい。

【宗教リテラシー向上委員会】 日本の食教育を問い直す ナセル永野 2018年10月21日


毎年この時期になると決まってある相談が来る。「子どもの給食」についての相談だ。
 「あなたがたに、(食べることを)禁じられるものは、死肉、血、豚肉、およびアッラー以外(の名)で供えられたものである」(2:173)とあるように、コーランでは何度も豚肉(豚製品)を避けるように言及されており、子どもであってもムスリムは基本的に豚を避ける。そのため、子どもが小学校に入学するタイミグで給食について学校と相談する必要があるのだ。
 ある日の給食を想像していただきたい。「カレーライス、マカロニサラダ、フルーツゼリー」この中でムスリムが食べられるメニューは何品あるだろうか?
(ユーリ注:メニューのリスト省略)

*学校給食における豚製品(野菜スープ・しおラーメンなどのスープにも豚エキスが混入している可能性が高い)

 一見すると上記のメニューに「豚肉」はないように思えるが、マカロニサラダには大半の場合、豚から作ったハムが混入されている。フルーツゼリーに使われるゼラチンも豚由来である。さらに、学校給食のカレーライスは、牛肉がコスト高のため安価なポークカレーである場合が多い。仮にチキンカレーだったとしても問題があるのだ。
 「アッラーの御名が唱えられなかったものを食べてはならない。それは実に不義な行いである」(6:121)という章句に従い、豚以外の肉でも特別な屠殺方法で処理されたものしか食べないというムスリムもいる。同じムスリムであっても人によって多様な食生活を送っているため、現実的には家庭によって対応もさまざまだ。
そんな多様性のある要望は、当然ながら学校現場での対応に限界がある。そのため多くの場合、「弁当持参」という対応策が取られている。しかし、弁当持参というシンプルに見える解決策に落ち着くまでに長い道のりとなるケースも存在するのだ。
 もちろん、真剣に耳を傾けてくれる学校、先生もいる。だが一方で、「給食は教育の一環だから個人的なワガママを聞くわけにはいかない」「クラスの中で1人だけ弁当持参という特別扱いをすることがイジメの原因になる」と主張する学校が現実に存在するのだ。
中には「(アレルギーは命に関わるので特別扱いを認めるが)宗教は命には関わらないし、公教育の場に宗教を持ち込むのはふさわしくない」という校長もいる。
 日本の食教育は「何でも好き嫌いせずに食べなさい」を強調するあまり、「食生活の多様性」を育むことを阻害してきたように思う。果たして何割の人が食への「こだわり」を持っているのだろうか?
 世界を見渡せば豚肉を食べないムスリムだけでなく、牛肉を食べないヒンドゥー教徒、宗教に限らずベジタリアンやビーガン、フルータリアンという食生活を送る人もいる。今後、外国人が増加する日本社会において「食生活」も多様化する。ひいては「給食」もさらなる議論が必要になるだろうし、ならなくてはいけない。
 そろそろ、これまでの常識が世界基準では非常識であることを自覚しても良い時期ではないだろうか。


*ナセル永野(日本人ムスリム) なせる・ながの 1984年、千葉県生まれ。大学・大学院とイスラム研究を行い2008年にイスラムへ入信。超宗教コミュニティラジオ「ピカステ」http://pika.st)、宗教ワークショップグループ「WORKSHOPAID」(https://www.facebook.com/workshopaid)などの活動をとおして積極的に宗教間対話を行っている。

(転載終)
それに対して反応したツィートがあり、私がリツィートして以下のように書いたところ、非常に多数の反応が数値になって現れた。

https://twitter.com/ituna4011/status/1053253360197894144


Lily2‏ @ituna4011 Oct 19
Lily2 Retweeted Christian News Watch (Japan)
キリスト新聞が偏っているのは、同志社神学部で閲覧した14年前から感じていた。これは、宗教警察の日本版もどき。
8:55 PM - 19 Oct 2018

(転載終)

https://twitter.com/ituna4011/status/1053259505754992640


Lily2‏ @ituna4011
えぇ。ただ、その「日本は日本」に関して、西洋とイスラーム世界の対立を、日本があたかも「超克」しているかのように豪語していた(団塊の世代の)教授方やその弟子筋も目立ちました。
9:20 PM - 19 Oct 2018

(転載終)
フェイスブックhttps://www.facebook.com/ikuko.tsunashima/posts/10215764260133953?notif_id=1540010473862556¬if_t=feedback_reaction_generic)にも以下のように書いた。

19 October at 21:06
これは宗教警察の日本版もどき。また、ムスリムのみならず、ユダヤ教徒も豚肉はご法度。なぜ、キリ新がそれに言及しないのか?

(転載終)
すると、東京で牧会されている男性が、目敏くコメントされて、以下のような運びになった。

Yesterday at 10:31
K・A:
イスラム教の研究者で、私がフォローしている方々は、一様に、日本における表面的なイスラム教の受容と多様性に対して、眉をひそめています。Mさん(ユーリ注:私の旧姓)は、コメント欄にも次のように記しておられます。
「第一、キリスト教ニュースに対して、なぜ改宗日本人ムスリムが説教を垂れるのか?また、食規定に関しては、マレー社会の停滞は、まさにそのコーラン実践を延々と繰り返しているところにあるのです。」

(転載終)
以下に、コメント欄の反応を転載。

K・A:「キリ」新と言っていますが、キリスト教は覆いだけであって、中身は単なるリベラリズムだと思います。


ユーリ:明快なコメントですね。キリ新の偏りは、ますます顕著になってきました。第一、キリスト教ニュースに対して、なぜ改宗日本人ムスリムが説教を垂れるのか?また、食規定に関しては、マレー社会の停滞は、まさにそのコーラン実践を延々と繰り返しているところにあるのです。ただ、マレーシアは幸か不幸か多民族社会なので、外国人の私達日本人にとっては、食のバラエティがあって、助かりました。


T・S:ムスリム(日本人)が、日本の小学校の給食を「多宗教の人間が共有できるものではない」と批判している? 「キリスト新聞」の記事。
宗教規範に抵触しない肉は、たぶん鶏肉と羊肉(山羊肉)だけではないかな?
    ※  ※  ※
トルコ航空で十数時間飛んでると、「チキンorパスタ?」な食事を三度も摂らねばならなかった。往復で6回、成田から飛び立った直後以外は全部「チキンかパスタ」。ちょっとずつ味は違っているとはいうものの、選択肢はこれしかないのである。宗教的に配慮するとこうなる。
    ※  ※  ※
とすると、小学校の給食も、「今日は鶏肉、明日はパスタ」の繰り返しになるわけだ。ご苦労なことである。
豚は砂漠地帯には適さないがマレーのような熱帯雨林には適しているんですよね。不自然な規制だと思います。
キリ新は迷妄してると思います(転載終)


ユーリ:キリ新の迷妄は、仰る通りです。もともと、キリスト教を装ったリベラル左派思想のようでした。豚については無知ですが、マレーシアでは華人が豚を飼育して、大々的に中華食堂で消費していましたよ。民族対立に食文化の対立が加わり、マレーシアは難しい土地柄だと、30年ぐらい前から思っています。(転載終)


ユーリ:A先生、ありがとうございます。「宮家」ではなく、三宅島の「三宅」です。また、「イスラム教の研究者」ではありません。


K・A:おお、失礼しました!今、直しました。


K・A:イスラム教の研究者を、「イスラム教を研究した方」となおしました。マレーシア研究の中で、イスラム教には触れておられますよね?あと、ダニエル・パイプス先生の記事の翻訳にもたくさん出て来るので。


ユーリ:ありがとうございます。パイプス氏はレッキとしたイスラム学者ですが(http://ja.danielpipes.org/art/year/all)、私はただ、滞在経験からマレー風イスラムに直接触れ、学ばざるを得ませんでした。


M・M:確かに、キリ新にムスリムがこのような投稿をするのは不自然ですね。ムスリムが自分たちで努力するべき内容であると思います。彼らは社会的に影響を持つようにする手段としてハラル規定を利用しますから、それに乗ってはいけないと思っています。ムスリム企業が頑張るとかの方が筋が通っているのではないかと思っています。


ユーリ:M様、賛同いたします。


A・M:これは私たち日本はどういう社会なのかを結果的に問うている内容ではないか思います。
イスラム教や破壊的カルト集団、新興宗教団体、左翼政党などは、まるで愚かで無知な民衆は、細部に渡り教えられ指導され命令されなければならないと言う前提の上に立っているような気がします。
指導者や指導者集団など一部の人間による全体の人間の支配です。
そんな生き方が待っているとは分からないように、入り口は耳障りの良い甘い言葉と御利益で満ちているのではないでしょうか。


ユーリ:M様、ご意見に賛同いたします。都市部の中間層がひっかかりやすいでしょうね。日本人の改宗ムスリムのエッセイを読んだ時、「イスラム改宗したら、自分であれこれと考えたり悩まなくてもよくなって、人生が楽になった」という意味の文章が綴られていて、非常に困惑したことを思い出します。14年ほど前のことです。その人は、もう亡くなりましたが、京大を出て、フランス留学をし、そこでアルジェリアムスリムに出会ったことが、イスラム改宗のきっかけだったそうです。


A・M:そのことはイスラム教に対して余りに無知な米国人が結構欺かれてムスリムになる場合と同じようですね。
コーランの成立過程やその中身自身、マホメットの生涯を簡単に学んだだけでもその異様さや残虐さは突出しているようです。


ユーリ:M様、上述の方は、中田考氏の奥様ですよ。だから、侮れません。無知なのではなく、確信を持ってその道を選んでいるからです。

(転載終)
中田考氏」については、過去ブログに詳述がある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141010)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141011)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141012)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160122)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161205)。同志社神学部については、もう一つのツィートを書いたところ、これまた非常に多くのアクセスがあった。

https://twitter.com/ituna4011/status/1051769207233204226


Lily2‏ @ituna4011 Oct 15
Lily2 Retweeted Daniel Pipes دانيال بايبس
タリク・ラマダンはフランスの刑務所に留まっている。同志社大学は彼を誇らしげにフェローに招いたが、その責任は何処?
6:38 PM - 15 Oct 2018

(転載終)
タリク・ラマダンについては、英語版ブログを参照のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=TARIQ+RAMADAN)。また拙訳をどうぞ(http://ja.danielpipes.org/blog/11512)(http://ja.danielpipes.org/blog/11530)(http://ja.danielpipes.org/article/11549)(http://ja.danielpipes.org/article/16737)(http://ja.danielpipes.org/article/16878)。

このような話は、私自身は14年前から周囲に話していたが、10年ほど経って、やっと今ではフェイスブックツィッターで大きな反応が寄せられるようになった。嬉しいことではあるが、個人的には遅きに失している。
一方、「今度からはもっとうまくやりなさいね」と囁いていたような人達が、今や教授として高い地位に収まっており、移民呼び込み政策まで堂々と罷り通っている。
私が14年前に某大学で教えていたクラスに出席していた中から、二人がイスラーム経済とイスラーム警察に関して本を出版した。意地悪い言い方をするならば、もし当時、私が単位を与えなかったら、本も出ていなかった可能性がある。(というのは、試験の出来具合から、採点の基準を全体的にかなり下げたからである。)
研究者としての業績は、出版どころではない私の方が遥かに遅れを取っている昨今だが、主人の二十年来の進行性の病に加え(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070708)、強固なイデオロギーの壁が、学会や研究会での前進を阻んでいたことは、今では客観的に証明できる。また、私はイスラームが専門なのではない。全く別の政府系の仕事でマレーシアに滞在したことがきっかけである。
イスラーム警察はマレーシアにも存在していたので、彼らが何をしているかは、30年ほど前から気がついていた。間歇的に繰り返しマレーシアで発生する聖書絡みのトラブルにも、勿論、関与している。ムスリム家庭では、家族が家の中で聖書を見つけると、警察に届け出るのだ。『ペルセポリス』のアニメ動画も出てくるような話である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080131)。
だが、まさか教えた学生の中から、それについて分厚い本を出版する人が出るとは想像もしていなかった。それも、二週間ほど前に京都の某大学で死海文書の講演に出席した帰り、偶然入った四条の本屋さんで、出版したての当該本と遭遇したのである。
大学で教えていた頃にも口を酸っぱくして学生さん達に言っていたのは、「イスラームについて知ることは大切かつ必須だが、その後、日本社会の性質や文脈を縦横に把握した上で、我々が一般日本人としてどのような態度を取るべきか、よく熟慮しなければならない」ということである。きちんと伝わっていたのかどうか、心もとない。
さらに付け加えると、最近の日本聖書協会も非常に偏りがある。長年、一般に自由に公開されていて、私も論文複写を何度か送っていただき、大変に貴重だった聖書図書館は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081010)、2017年6月30日に閉鎖されてしまい(https://www.bible.or.jp/library/lib01.html)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170427)、青山学院(だったか)に移転する話があった。また、クリスチャンだからという理由で石破氏を招いて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181018)、反安倍言説をインタビューで語らせたりしている。
これは、欧米で神学の厳しい専門教育を受けて学位を授与されて帰国した、有力かつ優秀だった世代が次々と逝去され、今は空洞化していることを意味する。さらに、11年前の「国際聖書フォーラム」で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070629)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070630)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070701)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070705)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070709)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070710)、恐らくはアジアの聖書協会の関係者が列席していたからであろうか、「日本は経済力がありますから」等と、筋違いの発言を堂々とされていた現在の聖書協会の総主事の判断力の甘さも問われよう。というのは、その5年後にも東京で開催された聖書フォーラムでは、既に雰囲気がかなり劣化していたからである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120707)。
要するに、日本の現在のキリスト教組織は、全体として低迷しており、経済力も政治力も活動力も、残念ながら明らかに低下しているということである。
その隙間を突いて、イスラームに改宗した若手層の日本人が割り込んで、同じ「一神教」だからと、無知でウブで力の弱い日本人(クリスチャン)に説教して、妄動を掛けているように、私の目には映る。
それこそが、ダアワ(イスラームへの呼びかけ)の一環なのに.....。