ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

オウム真理教事件の本質

昨日届いたメーリングリストより。

JOG Wing   国際派日本人の情報ファイル
No.2793 H30.07.11 7,897部


麻原彰晃』を育てた左翼リベラル思想(上)
山村明義

(伊勢雅臣)死刑になった『麻原彰晃』の思想的背景について、当時、家族にまで取材を行った山村明義氏がFacebookに貴重な一文を寄せられているので、許可を得て、ここに転載させていただきます。本稿のタイトルは弊誌でつけたものです。


・時は村山富市政権下の96年3月、私は米中が対立していた「台湾危機」の取材で、中国のミサイルが上空を飛び交う台湾の金門島から帰国し、以前から熊本県波野村や松本サリン事件など数多くの事件で注目していたオウム真理教事件の取材に本格的に入った。


地下鉄サリン事件から警察庁長官狙撃事件と続いた凄まじい凶悪犯罪というだけでなく、戦後GHQが特権を与えた新興宗教が絡んだテロ事件であり、かつマスコミや警察、自衛隊ですら内側から食い込まれた日本国家権力の中枢をまさに破壊しようとした大事件だったからだ。


オウム真理教事件の本質を突くためには、まず麻原の人間性を知る必要があると考えた私は、警視庁が強制捜査に入る前の山梨県上九一色村と、教団の資金源となった熊本県波野村に入り、その後同県八代市松本智津夫の両親、兄弟ら家族たちに会うことにした。


父親の本籍を遡ると、原籍には祖父の代から現在の北朝鮮の記載があり、背景と素性に謎が多いのにかかわらず、リベラルメディアは誰もその取材を行っていなかったからだ。


・その家族会議の席で飛び交っていたのは、「智津夫は死刑にした方がいい」という言葉であった。すぐ上の三男などは、「死刑にしてもらうように家族が当局(法務省)に頼みに行くべきだ」とまで語っていた。家族でさえ「死刑にした方がいい」と断言した理由は、彼ら自身が松本智津夫自身の行ってきた「業と罪の深さ」を熟知していたからである。


・その後一人だけ家族に食い込んだ私は、1年近くにわたり彼らを取材したが、とりわけ家族内で「松本智津夫に酷似し、最も強い影響を与えた」とされる長男は、話を聞いているうちによく突如として怒り出し、自民党政権が悪い」「大企業が悪い」などと、日本の政治や社会批判をぶちまけ、その怒りの矛先は日本の国家・社会やメディアにも向けられた。


・事件の数年後に亡くなった父親や長男、三男と交わしたやり取りの記憶は、いまでも私の脳裏や身体にこびりついて離れない。彼らによれば、松本智津夫の政治思想は、完全に「左翼リベラル」で、朝鮮半島に強い愛着を持っていたという。


・その一方で、「親父は北朝鮮で誇りある警察官だったから(息子の松本智津夫オウム真理教事件を起こした)」などと、どう考えても矛盾し、論理が倒錯した内容を説明していた。そのため、その裏を取ろうと、当時の警察官名簿を懸命に調べたが、父親の名前は一切出てこなかった。(以下次号)

(無断部分抜粋転載終)

「次号」に当たる続編が、既にフェイスブックで公開されていたので、部分抜粋させていただく。

https://www.facebook.com/akiyoshi.yamamura


Akiyoshi Yamamura
6 July at 23:21


(第2回)


・平成の時代に入って立て続けに起きたオウム真理教事件の首謀者・松本智津夫の父親は、果たして本当に北朝鮮の警察官だったのかー?もともとオウム真理教北朝鮮とは、サリンの原料輸入を担当していた村井秀夫刺殺事件を始めとして、当時から北朝鮮の関与説が濃厚だった。


・一方、松本家の教育思想に関しても、私は徹底的に取材を行った。彼らの教育方針は、基本的には「男尊女卑」や「長幼の序」などという当時の九州に残っていた儒教的なもので、家族で末っ子だった智津夫は、「家庭内て厳しかったその教育方針に激しい憎悪とコンプレックスを併せ持っていた」と家族は口を揃えた。


・それでも、「麻原彰晃」の思想は、実は兄弟ではなく、父親に影響があるのではないかと疑っていた私は、松本家に何度か出入りするうちに、一度だけ家族が居なくなった隙を見て、取材を拒否していた父親の部屋に行き、「戦時中、北朝鮮にいて何をやっていたのか?」「北朝鮮をどう思うか?」と尋ねて見たことがあった。だが、父親は極めて不自然な笑いを浮かべ、何も答えようとしなかった。


・私は仕方なく「智津夫を何度も殴って教育した」という教育係の長男に取材先を切り替えたが、長男は「日本は朝鮮に悪いことをした。日本人全員が土下座して謝罪すべきだ」などと、まるで朝日新聞のようなことを言い出した。私は「その考えは智津夫の教えたのか?」と聞くと、「そうだ。日本という国家は今も昔も完全に悪い。日本が悪かったことを、この俺が智津夫にも何度も教えた」と、戦後日本人の自虐史観と日本国家への批判思想を徹底的に伝授し、「宗教は後でつけられただけだ」と語っていた。これはあたかも朝鮮半島の「恨」の思想文化のようだったが、こうした話をマスメディアは絶対に取り上げようとはしなかった。


・どちらかというと、「反体制」「反権力」という戦後日本に跋扈した「左翼リベラル思想」であり、彼らは日本を守るのではなく、「日本を悪く言うことが正しい」と思い込んでいたのだった。


・『麻原彰晃』を育てた思想−。その正体とは、実は「宗教」でなく、間違いなく「恨」を含めた「左翼リベラル思想」であった。


・これから日本は、いよいよ新興宗教という戦後日本の自由主義と、個人の権利や外国の思想を極限大にまで高める「平等主義」を混ぜ合わせた「左翼リベラル思想」に悩まされることになるだろう−と予測し、その思想に自ら見切りを付けた。


・それから23年が経過したが、現在も日本のマスメディアはその思想背景や真相を国民に明らかにするための取材もせず、言及もしない。マスメディア自身がGHQから有り難く頂いた「戦後日本の左翼リベラル思想」の下に育ち、その恩恵を感じたままの状態で、まったく抜けきれないからだ。


・とりわけ朝日新聞東京新聞、TBSなどの左翼リベラルメディアは、オウム真理教事件の背景にある松本智津夫死刑囚の思想が、自らの思想と同じ土壌で育ち、瓜二つであることがまるでわかっていない。彼らはあくまでその同質性の高い思想性には見て見ぬ振りをしている。


・疲弊の最大の理由は、戦後日本のマスメディアには、この「戦後最大の凶悪犯罪」と呼ばれるオウム真理教事件で、最も重要な鍵を握る「思想的真相」を解き明かすのは絶対に不可能である−と確信してしまったからである。

(無断部分抜粋転載終)

オウム真理教地下鉄サリン事件と言えば(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%AA%A5%A6%A5%E0%BF%BF%CD%FD%B6%B5)、マレーシアから帰国した翌日に、テレビで見慣れぬ光景が流れてきて、一瞬(私の国はどうなったの?)と、思考が混乱したことをまず思い出す。今でも、用事で東京に行く度に、霞が関駅等(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B2%E2%A4%AC%B4%D8)、事件が発生した現場のホームを歩くことが多いが、多数の犠牲者や必死の救援活動の状況をまざまざと思い出すことである。
事件発生後しばらくしてから、大学の友人と食事をしていて夜遅くなった時のことである。タクシーに乗って栄から名古屋駅に向かおうとしたら、運転手さんが「この通りの一本向こうの道に、オウムの事務所があります」と、尋ねもしないのに教えてくれた。「もし乗客として乗ってこられたら、どうします?」と聞くと、「その時には覚悟しますわ」と。
乗車拒否が許されない、体を張っての業務だと感じ入ったことも思い出す。
また、その頃から一般にパソコンが普及し始めたのだが、名古屋の繁華街に近い地区では、十字路の角で目立つが狭い場所にある雑居ビルの一階で、その系統らしき店があったことも覚えている。
その頃、後輩の院生仲間との会話では、「あなたもオウム?」みたいな変な探り合いがあった。なぜ、マレーシアから帰国すると、私までオウム真理教の信者扱いされなければならないのか、そちらも理解に苦しんだ。そもそも、オウム真理教とは何なのか、存在そのものを知らなかったのだ。
その後に聞いた後輩の男子院生の話では、友人がオウム真理教に入信(?)したということだったが、「信教は自由だから」と個人の意志を尊重(?)していたらしい。
しかし、「オウム真理教キリスト教も同じだ」とテレビや新聞等で抜かすコメンテーターがいたらしく、京都の某大学の神学部では、早速、学生達に「本当のキリスト教とは何か」と講義したとも、後に聞いた。
問題は、講義されて知識としては理解できたとしても、事の本質に迫っているとは言えないことである。第一、「信教の自由」の意味が、明治の大日本帝国憲法と戦後の日本国憲法とでは、微妙に異なっている。

大日本帝国憲法 第28条
「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」

日本国憲法 20条
第1項  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
第2項  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
第3項  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

比較すると、前者が「安寧秩序を妨げ」ないことと、「臣民たるの義務」を守ることが前提とされているのに対して、後者は「国からの特権」「国の宗教活動」を避け、「政治上の権力を行使」せず、宗教への参加「強制」が削がれていることが注目される。

前者の場合、国や社会の秩序維持と国民としての義務が第一であり、それを守る範囲において個人の宗教は自由とされていた。後者は、国家が宗教と結びつくことを回避し、権力や強制を忌避しているらしいことが伺える。

一見、現在の憲法の方が、信教の自由度が高く、個人の判断力を相当に信頼しているように見える。そして、国や他者は、個人の選択に干渉や介入してはならないかのようにも読める。だが、周囲で交わされた会話の記憶を辿る限り、現憲法下で教育を受けた世代にとって、あの事件発生後、カルトもテロも宗教も「鰯の頭も信心から」とばかりに、皆同一線上に混乱して考えられていたことに繋がるのではないだろうか。

この日本国内の思想の貧困ないしは無責任感覚に対しては、痛烈なアンチテーゼとして、以下の本を思い出す。

ビンヤミン・ネタニヤフ/落合信彦(監修)/高城恭子(訳)『テロリズムとはこう戦え』ミルトス(1997年)

ここには、ネタニヤフ首相からミルトス社の河合一充社長(当時)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B2%CF%B9%E7%B0%EC%BD%BC)宛に寄せられた1996年12月4日付書簡が掲載されている。

「昨年日本で起こった事件(地下鉄サリン事件のこと)によって日本の方々も学ばれたように、テロリズムが国境を越えてはびこりつつあります。」
(As the Japanese people have learned from last year’s events, terrorism is a plague which knows no boundaries.)

(抜粋終)

この箇所を読んだ時に思ったことは、オウム真理教事件については、恐らくは、むしろ海外でこそ、詳細に動機や対策などが研究されているのではないだろうか、ということだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080507)。
自分と同世代の主に都市在住者で、世間では比較的「いい学校」だとされる大学に通う中から、この奇っ怪な、しかし恐ろしいオウム真理教に惹かれる人々が多数出現したことを踏まえると、ムスリム過激派によるイスラエルユダヤ人を標的とした中東でのテロ事件と同一線上で捉えることには、いささか無理がある。
二十年以上も前に、確か愛知県立図書館だったと思うが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070727)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090301)、麻原彰晃の本が数冊並べられていたのを見たことがある。その一冊を手に取ったところでは、ヒンズー教や仏教やキリスト教のタームや概念が切り貼りされている感があり、そこに断固とした叱咤激励のような人生上の奨励言葉が散りばめられていたのだった。
何を言っているのかよくわからなかったが、伝統宗教の基礎知識や実践に無知な若い人で、迷える子羊タイプならば、つい引き摺られてしまうかもしれないとは思った。しかしながら、記憶を辿るならば、私の世代では、高等教育を受ければ受けるほど、反宗教的というのか、世俗的態度が尊ばれており、科学的に客観的に批判的に宗教を対象として研究し、観察することがトレンドではあった。
また、お寺や神社の世襲も反感の的であり、伝統的なものは即座に封建的で因習的だと決めつけられていた。現代国語でも英語でも、たくさん受けさせられた試験の読解文にその種のものが多かったような記憶がある。
私は塾や予備校に通ったことは一度もない。だが、もしも受験競争に勝ち抜いて、少しでも偏差値の高い上級学校に進学することこそが、よりよい人生の切符を手に入れる最短距離であると喧伝されていたならば、親が生活を切り詰めてでも子供を早期教育の路線に乗せようと懸命になるのは、あながち批判できない。問題は、そこで学ぶ教育の質や内容である。
しばらく前から、その反動で、「ゆとり教育」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A4%E6%A4%C8%A4%EA%B6%B5%B0%E9)「押しつけはいけない」「子供の自主性を尊重」等と、取り返しのつかない愚が蔓延した。
皇室問題をはじめとする現代日本の相対的な国力劣化は、そういう風潮を直視するところから始まるのではないだろうか。

戦後思想の歪みについては、再び以下を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=akizukieiji)。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1540571.html


2007/05/07
0124/上野千鶴子らのフェミニズムを批判する本を読む。


・戦後のいわば<男女平等教育>の影響だ。小浜は触れていないが、男らしさ・女らしさや男女の違いに触れない公教育の結果として、社会に出る段階で(又は大学院で)「女だから差別されている」と初めて感じる優秀な女子学生が生じることはよく分かる。フェミニズムなるものも戦後民主主義」教育・「戦後平等」教育の不可避の所産だろう。


マルクス主義フェミニズム「個人」のために「家族」を崩壊させる理論なのだ。そして、男女平等といった表向き反対しにくいテーゼが利用されて、「家族」の解体がある程度進行してしまっていることも感じる。その結果が、親の権威の欠如( =親子対等論)等々である。


・「家族」の崩壊は オウム事件、悪質少年犯罪等と、さらに晩婚化・少子化とも決して無関係でないと考えられる。結局はマルクス主義の影響によってこそ、日本社会は大切なものを喪失してきたのだ。まさに「悪魔の理論」といえる。


・男らしさ・女らしさを否定し、個人を優位に置いて「家族」を崩壊させようとする考え方が、晩婚化、非婚化、小子化と無関係と思われない。


フェミニズムの理論的基礎が共産主義にあるのみならず、フェミニズム運動が(日本)共産党等との協力関係にあることも明らかにしている。「クリスチャンと共産党と朝鮮勢力とフェミニストは相互にダブっており、密接に協力し合っている


・「本当は価値逆転と権力転覆を狙いながら、表向きは誰もが反対できないスローガンを掲げて大衆獲得を画策するというのが、スターリニズムコミンテルンの一貫して取ってきた戦略であった。この方式を、フェミニストはそのまま踏襲している」


民青や新婦人の会等々が「大衆」団体というよりも「党員」拡大の「場」に、「党員」リクルートのための団体に実質的になっていることは広く知られているだろう


フェミニスト女性官僚が簡単に?大学に職を得ているのも奇妙又は不思議だが(「女性学」担当なのか)、そもそもジェンダー・フリー、性差否定の立場からすると「女子大」なるものは存在すべきでないのではないか


岩波の宣伝冊子は表向きの「美辞麗句を弄んでいるだけの、空虚な言葉の羅列」との批判は日本共産党やかつての日本社会党の宣伝パンフ・政党ビラを思い出させた。


・市によっては多数林立?している公立「女性会館(センター)」類の意味・利用のされ方を監視する必要があるが、かかる問題意識の報道は殆どないのでないか。

(部分抜粋引用終)

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1541075.html


2008/04/01
0443/読書メモ2008年3/30(日)−その2。


西尾幹二・日本人は何に躓いていたのか(青春出版社、2004)の第五章・社会(p.232-266)、実質的には「ジェンダー・フリー」主義・同教育批判、だけを読んだ。ジェンダー・フリー」教育のおぞましさ・異様さ、そして<男女共同参画社会>推進政策の狡猾さ、は既に知っていることなので驚きはしない(最初に知ったときは驚愕した)。


・「フランクフルト学派とか、ポストモダンとかいう思想」は、欧州では「たいてい」、「大都会の片隅の深夜の酒場にたむろするタイプの一群の特定な思想の持ち主たち」に支持されている「思想」だ(p.243)。なるほど。きっと反論する人がいるだろうが、イメージは湧く。

(部分抜粋引用終)
男女共同参画」については、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%CB%BD%F7%B6%A6%C6%B1%BB%B2%B2%E8)。
フランクフルト学派」については、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%D5%A5%E9%A5%F3%A5%AF%A5%D5%A5%EB%A5%C8%B3%D8%C7%C9)。
ポストモダン」については、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%DD%A5%B9%A5%C8%A5%E2%A5%C0%A5%F3)。
この「ポスト・モダン」なる思想潮流については、文系で院生以上であれば、踏襲しない限り論文と見なされない傾向さえ一部にあったことを申し添える。だから、どれほど優秀で努力家であったとしても、アカハラモラハラパワハラの被害者になった逸材も含まれることだろう。