ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

昨日のブログに引き続き

http://www.sakuranokai.org/article/433859169.html


2016年02月15日


売国政府と騙された国民、報道しない自由を濫用するマスコミなど、特定アジアイスラムに、BBCやCNNをNHKや朝日に読みかえれば、あまりにも日本の移民政策問題と相似していることがわかります。主な違いは、文化に加えて欧米とイスラムの場合は宗教が絡んでいること。共通点はグローバリズム思想と左翼思想の思惑の一致が根底にあること(つまり、右か左か、と単純に割り切れないのは日本も欧米も同じ、ということです)。
・「日本の問題だけに目を向けるのではなく、世界中で起きていることについて点と線で結ぶと、悲観も希望も含めて移民・多文化共生問題について今後考え得る展開がより確かに見えてくるのではないか」
人道主義、人権尊重、多文化共生といったイデオロギーが揺らぎはじめているのは移民反対の皆さまであれば既にご存知の通り。
・これまで「人道主義、多文化共生」といった有害思想を世界に広めてきた欧州が、今度は真逆の方向に動く可能性すらあるのではないでしょうか。
・1980年代から90年代、新自由主義や多文化共生が欧米を起点に急速に広まったのは、「ある個人が大統領や首相になった」「短期的にはある国でうまくいった」といった単一要因ではなく、レーガン政権やサッチャー政権が同時代に出現したこと、欧州の外国人労働者や移民受け入れと新自由主義、そして多文化主義などのリベラルなイデオロギーが思想的に整合性が取られやすかったことなど、複数の要因が同時にあり、それらが絡み合って広がりを見せたからではないかと考えます。

(部分抜粋引用終)

http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/34015741.html


2016/2/15


安倍総理民主党政権の時代には残念ながら倒産件数が多かった。安倍政権になって民主党政権より3割倒産件数を減らした。そして民主党政権より失業者を53万人減らした生活保護を受けている世帯6万件も民主党政権時から減らした。これがファクトです。
安倍総理海外からの直接投資は民主党政権より10倍に増えました。こういう事実も民主党にしっかり見て頂きたい。私たちは民主党政権時の政治的な不安定をなくした。円高もなくしたわけです。安倍政権は日銀と3本の矢をやったんです。民主党はなぜこれをやらなかったんですか。

(部分抜粋引用終)
卑近なところでは、先日のドイツ関連(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160212)や日泰関係(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160214)のブログとも関連する内容だ。
「日本語は難しく、日本人は閉鎖的だ」などと文句を言われていた時の方が、社会が安定して繁栄し(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141002)、少数であろうと良質の外国人が来日し、日本文化の本質を掴んで発信してくれていたように思う。一方、敷居を低くして、こちらが安易に門戸を開いてしまうと、目ざとく利権を得ようとする敏捷い人々が押し寄せるのは、想像しなくてもわかることだ。
現に、マレーシアでリサーチの手伝いをしてくれていた同年齢の福建系の華人女性は、今では別の道を歩んでいるが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071229)、どういうわけか、こちらが尋ねもしないのに「仙台に行った」「東京に滞在した」などと時々書いてくる。どのような用件で、誰と会っているのかは伏せたまま。そんなに裕福そうにも見えなかったのだが、それほど頻繁に日本に来ているならば、「いつ関西に来るの?」「今度は京都か大阪で会いましょう」と返事を送ると、途端にピタリとメールは終わる。だから、本当に仙台や東京に来ているのか、どこに宿泊しているのかも、怪しげなのだ。せいぜい、キリスト教関係のグループのつながりではないだろうか、と思っている。
学生時代に幾つかの外国語を学び、英語やドイツ語(やスペイン語)で手紙を交換した海外ペンパルも何人かいて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070730)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080506)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081001)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101230)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110929)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140619)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150220)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151220)、結婚前には海外で仕事をし、その前後にも何ヵ国かを旅行してきた私だが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130214)、だからこそ、多文化共生思想を醒めた目で見ている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070808)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070809)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070810)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070811)。
様々な文化がおもしろくて楽しめたのは、学部生・院生だった時代とその後の二、三年ほどまで。日本のように比較的、均質度の高い社会で、金太郎飴のような公教育制度で育ったことの一種反動でもあったのだろうし、さまざまな異質なものに触れて視野を広げ、深める土壌の根っこを作る必要性もあった若い時期だったからだろう。
その経験そのものは今でも貴重だったし、事故や事件に巻き込まれることなしに無事に過ごせたのも、非常に恵まれていたとは思う。但し、単なる気晴らし経験だけではダメで、相当の読書によって事象の裏付けを取り、観察力と分析思考も鍛えていかなければ、ただのお遊びになってしまう上、特に若い女性は危険であると、当時からしっかり思っていた。
私の場合、大胆なようだが慎重で、どこにでも無闇に出て行っているのではない。好みははっきりしているし、危険を犯すことは避けてきた。むしろ、結婚後に主人から「もっとやればいいのに。人生、損しているよ」と度々言われてきたぐらいだ。
かく言う主人も、米国の東海岸での留学・駐在経験のみならず(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070731)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070821)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120312)、イタリア、スイス、オーストラリア、ニュージーランドなど私が行ったことのない国々でも、学会や自主ホームステイを経験してきた。その主人でさえ、日本での暮らしは純和風で、私が作る普段の家庭料理は和食中心だし、当たり前だが、我々夫婦は日本語のみで話している。
つまり、理解は二本立て(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140910)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141222)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150530)で、しっかりと足元を固めておくのは当然のこととして、視野を広げ、外から常に学び続ける姿勢を堅持しておくということだ。これは、明治時代の和魂洋才の教えに合致することでもあろう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130310)。さらに、小学校から高校にかけて、繰り返し日本史の授業で習った五箇条の御誓文も思い出すところである。以下に、ウィキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/)を参照に列挙してみよう。

一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
(現代表記)広く会議を興し、万機公論に決すべし。


一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
(現代表記)上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。


一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
(現代表記)官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。


一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
(現代表記)旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。


智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
(現代表記)智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。

(部分抜粋引用終)

自分達がわざわざ衣を脱いで、他者の多文化を実践する必要はないのだ。
マレーシアの人達だって、堅実な人ほど「本当は日本のように一つの言葉で国をまとめていきたいけど、それができないから、現実として仕方なく幾つかの言葉を学んで使っている」と、私に言ったのだ。さまざまな経緯によって諸文化が曖昧に混在している社会や国に関する知的情的理解は必要だが、こちらが合わせる必要はない、というのが、私の結論だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140520)。
ブログを開始する2007年までは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070622)、このような私の事情をなかなか理解してもらえず、表面的に一部だけ都合よく見て、勝手に誤解してきた人々が、大学関係者にも多かった。最初は、人間関係は大切で、どこで誰がつながっているのかわからないから、誰とも友好的な関係を結び、会合にも積極的に顔を出さなければ将来がないのではないか、と強迫観念のような思いで必死だった。
でも、ここまで時が経つとさすがに、自分は自分、と割り切れるようになる。考えの合わない人と無理に一緒にいる必要はないのだ。有害でさえある。