ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

憂えつつも責任感を持たねば

これまで時々無断で引用させていただいた秋月瑛二氏の「『憂国』つぶやき日記」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=akizukieiji)は、ところどころ文章に重複があるものの、なかなか示唆的である。
従来のテレビ放送や全国紙の傾向に微かな違和感を覚えた層が、個人ブログを開いて自由に意見が表明できる時代になったことは、ありがたい。

最初のページ(http://akizukieiji.blog.jp/archives/1063020231.html)を開いてみると、「-0001/秋月瑛二の「団塊」懐旧的つぶやき日記オープン」と題されていて、以下のような文章が出てくる。

・この一ヶ月でおそらく、定価ベースだと20万円以上分を注文し、入手している。
もともとは自分史のための資料入手のつもりだったのだが、歴史というのは奥深い又は関連性豊富なもので、種々の基本的問題に関心をもち、これほどに書物を渉猟することになるとは思っていなかった。昨年11月に初めて、ネット注文をするようになり、その手軽さによるところも大きいが。
・とりあえず「団塊」世代の者の思い出話=「懐旧」でも書き、日々感じた想いあるいは意見も書こうかと思っているが、どうなるかわからない。上記のごとく本は日々増えている=読書量も知識も日々少しずつは蓄積されていくはずなので、本の感想・批評を書くこともあるだろう。

(引用終)
2006年8月7日付で開始されているので、2007年6月から本ブログを始めた私よりも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive/200706)、10ヶ月ほど先輩格である。恐らくは団塊世代であろうか。それならば、私よりも遥かに御年配ではある。
それでも、リチャード・パイプス訳文をコツコツと続けてこられたおかげで(http://akizukieiji.blog.jp/archives/cat_1255368.html)(http://akizukieiji.blog.jp/archives/cat_1255368.html?p=2)、私もこうしてウェブ画面上で存じ上げることとなった。
今年5月17日に94歳で亡くなったリチャード先生ことパピ先生については(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180601)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180616)、今でもお写真でよく使われる現役バリバリの頃のシャープな目つきが、本当に懐かしい。私にとってのパイプス教授とは、あの時期を指す。

私の観察するところ、1990年代半ばまでが、恐らくはパイプス家にとっての全盛期だったであろう。というのは、それ以降、団塊世代の御長男一家は転職を繰り返した後に離婚を経験し、御次男一家も一族の集いに顔を見せることがなくなったからである。あれほど親子共々、断固反共で鳴らしていたはずなのに、アメリカ人一世の御子息世代になると、表向きの職業としては資本主義と自由主義の礼讃で、アカデミズムの左傾化を厳しく批判し続けてきた一方、自身の私生活は、まるでアメリカのリベラル左派文化に類似していたのだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180626)。男親の権威はどことやら、娘さん達には大甘で、何ともだらしがない。
だから、パピ先生のことは、パピ本の中で出会うのが最適なのだと思う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140923)。

さて、その秋月氏に関して、遅ればせながらで恐縮ではあるが、以下の文章を発見した。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1063020374.html


・1970年代に結婚し、子どもを生み、育てていった者たちが多いはずのわが(若干広義の)「団塊」世代は男女平等を一つの理念とする「戦後民主主義」教育を受けていたのだったが、それは「子育て」・「しつけ」の仕方にも影響を与えただろうことはおそらく疑いなく、そして「団塊」ジュニアと呼ばれる世代の意識にも影響を与えたはずだ。
・「団塊」世代に責任がないとはいえない、日本社会のとりわけ1970年以降の変化は、国民にとって、あるいは日本に住む者にとって、はたして「よかった」のかどうか。来し方を振り返り、行く末を想って、多少は懸念と憂いを感じる。

(引用終)
.....ということで始まっていた憂い日記のようだった。

昨日付ブログの話題(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180712)とも関連するが、秋月氏の2011年8月17日付ブログ(http://akizukieiji.blog.jp/archives/1542282.html)によれば、単に「オウム真理教を避ければいい」「自分には関係がない」として片付けられない日本社会の背景が浮き彫りにされている。文章を時系列に年表に直すと、以下のようになる。

・1993年の細川護煕を首相とする非自民連立内閣の成立
・1994年の村山富市を首相とする自社さ連立政権の成立
・1995年のオウム事件サリン事件
・2009年総選挙後の民主党「左翼・売国」政権の誕生

この年表には、1995年1月17日の早朝に発生した阪神淡路大震災による危機体制の不備を追加すべきであろう。
月氏によれば、1995年のオウム事件が、戦後「民主主義と自由主義個人主義)」の行き着いたところを示した、という。つまるところ、自民であれ民主であれ、弱腰だということだ。私が、相対的に骨太だった明治時代や昭和時代の古い本を読むことが昔から好きだったのは、現状との比較の上で参考になるからである。

その前の2011年7月5日には、秋月氏はこんなことを書いていらした。ちょうどその頃、別次元だが、実は私も底流で連動している事態に直面していたのだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110711)。間接的に曖昧にぼかして書いたが、実は、以下のことと極めて強い関連があった。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1542263.html


・日本では「現に樋口陽一氏のようなフランス一辺倒の硬直した頭脳が、国の大元をなす憲法学の中心に座を占め、若い人を動かしつづけている」(p.75)。
オウム真理教の出現した戦後50年めの椿事は、「『個人』だの『自由』だのに対し無警戒だった戦後文化の行き着いた到達点」で、「解放」を過激に求めつづけた「進歩的憲法学者に煽動の責任がまったくなかったとは言いきれまい」。「解放と自由」は異なる。何ものかへの「帰依」なくして「自我」は成立せず、「信従」なくして「個性」も芽生えない。「共同体」をいっさい壊せば、人間は「贋物の共同体に支配される」(p.75)。
・従来の価値規範や秩序と矛盾対立の関係が生じた場合に、『個人』の意志に抑制を求めるのではなく、逆に従来の価値規範や秩序の側に変革を求めるという方向性」が明確だ。
・『個人』の無限の解放は一転して全体主義に変わりかねない。それが現代である。
・「個人主義」こそが、個々の日本人を「ばらばらのエゴの不毛な集積体」にしつつある(またはほんどそうなっている)のではないか。
・「国の大元をなす憲法学の中心」が<左翼>によって占められ続けているという現実を(そしてむろんその影響はたんに憲法アカデミズム内に限られはしないことを)、そして有効かつ適切な対抗が十分にはできていないことを、少数派に属する<保守>は深刻に受けとめなければならない

(引用終)

2008年5月11日付には、このようにある。学部生の頃、国語学の論文で馴染みのあった安本美典氏が、まだ健筆を奮っていらしたようだ。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1541256.html


・勝手に自分の言葉(推測)で書けば、少なくとも継体天皇以降の天皇家の血統は現在まで続いているのではなかろうか(むろん、奈良時代天武天皇系の諸天皇南朝の諸天皇等々、現在の天皇家の直接の祖先ではない天皇も少なくない)。
・もともと安本美典は<マルクス主義は大ホラの壮大な体系>とか述べてマルクス主義唯物史観・発展段階史観)歴史学を方法論次元で批判しており、津田左右吉以来の、記紀の「神代」の記述を全面否定する<文献史学>に対しても批判的だ。
政治学の分野で、マルクス主義又は少なくとも「左翼」程度に位置しておかないと大学院学生の就職がむつかしい(少なくとも、かつては困難だった)ということは、かつて月刊・諸君!誌上で中西輝政が語っていた。同様の事情は、歴史学社会学憲法学等ゝの法学(さらに教育学?、哲学?)についてもあるのではなかろうか。そして、そういうような研究者の育て方で、<まともな>学問が生まれるのだろうか。
・若い研究者にとっては、大学での職を求めるために唯々諾々と?指導教授の学説ないし主張に盲従?していないだろうか。

(引用終)
以下には、「9条の会」と「平和共同候補・共同リスト実現運動」に連なる人々の長いリストが掲載されている。私が直接あるいは間接的に存じ上げていたのは、以下の11名。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1540494.html


天木直人(元外交官)、荒川純太郎、大橋巨泉(著述業)、奥平康弘(東京大学名誉教授、憲法学)、佐高信(評論家)、佐藤研(立教大学教員)、なだいなだ、内海愛子恵泉女学園大学教授)、小中陽太郎(作家、日本ペンクラブ)、鈴木怜子、林博史関東学院大学教授)

(抜粋引用終)
マレーシアに勤務していた頃、日本大使館主催の行事で遠距離から天木公使を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170429)。荒川純太郎(元)牧師はマレーシアのサラワク州のイバン族へのキリスト教伝道の論文で、佐藤研氏は聖書学の論文で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080221)、内海愛子氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170901)は学会の開催会場で、小中陽太郎氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170511)や鈴木玲子氏や林博史氏は、マレーシアとキリスト教に関する研究テーマを追求する過程で、論述や著書で知った。大橋巨泉やなだいなだ(nada y nada)は、言うまでもなく、昔のテレビや本で知った。

なだいなだの『娘の学校』等、若い頃は、新鮮な発想が楽しくて、おもしろく読んだものだが、なにしろ、著者の思想的背景まではわからなかった。では、昔から保守系だけに限っていれば、こんなブログ書きで時間をつぶすこともなく、順風満帆で充実した人生を送れたか。多分、そうは言えまい。むしろ、今以上に視野が狭く、刺激に欠ける生活だったことだろうとも想像する。
それは、以下の秋月氏の言述とも関連がある。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1066280447.html


2006/10/22

  • 0059/1945年から1950年生れを広義の「団塊」世代と呼ぶとすると。


終戦の1945年に1925年(大正14年)生れの人は20歳で、大学に進学する極めて少数の人を除いて戦前の教育しか受けていない。
・1930年(昭和5年)から1935年(昭和10年)生れの人は10歳から15歳で、戦前と戦後の両方の教育を受け教科書「墨ぬり」を経験したと思われる。
・1940年(昭和15年)以降生れの人は戦前生れであっても戦後教育しか受けていない。
・計算しやすく1990年までを昭和としておくと、この年に上の「団塊」世代は40〜45歳でまだ役所や会社の「指導」層ではなかった。
・かりに50〜65歳を社会の指導的中心層とすると、昭和戦前のそれは明治生れの人々であり、1970年のそれは1905〜1920年生れ、すなわち明治38年大正9年生れの人々だった。昭和時代を指導したのはほとんど明治・大正生れの人たちだったのだ。
・昭和世代のうち「団塊」世代がこの指導的中心層になったのは1995年ないし2000年以降で現在に至っている。
・1995年には阪神淡路大震災・オウムのサリン事件も発生したのだが、この年以降頃に指導的中心層になったはずの広義の「団塊」世代は何をなしえただろう。今後何ができるだろう。

(引用終)
「大学に進学する極めて少数の人」は、私の大叔父に相当する(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C2%E7%BD%C7%C9%E3)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B2%C3%C6%A3%C0%C5%B0%EC)。
「1935年(昭和10年)生れの人」は、「戦前と戦後の両方の教育を受け」たが、亡父に相当する(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170123)。
「1940年(昭和15年)以降生れの人」は「戦前生れであっても戦後教育しか受けていない」が、私の母親に相当する。
「1990年までを昭和として」考え、「50〜65歳を社会の指導的中心層」とするならば、確かに「昭和時代を指導したのはほとんど明治・大正生れの人たちだった」と言える。
生活の上では、今よりも平均寿命が短く、病気や経済等の心配事や苦労があったかもしれないが、それでも私が昭和時代をハリと活気のあった時期として懐かしむのは、主人や私にとって、父方母方両系の祖父母が健在だったし、その世代の目が光っていたからである。
「「団塊」世代がこの指導的中心層になったのは1995年ないし2000年以降」とすれば、昨日書いたオウム真理教事件の素地は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180712)、ちょうど時期的に合致することになる。
そして、太平洋を遥かに超えた東海岸のパイプス家の動向も、時期としては同一線上にある。
そのように考えると、日本国内だけの問題とは言い切れないし、GHQ政策のせいばかりとも言えないのは当然である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171219)。さらに、「保守派に属していれば万事間違いがない」とは、絶対に保証できない。保守には右翼の場合も含まれ、究極的には右翼と左翼は合わせ鏡のように同じ側面もあるからである。また、パーソナリティの問題や親の愛情不足云々だと、個人レベルに矮小化するのも考えものである。いずれにせよ、本人としては、置かれた立場で精一杯の努力をした結果なのである。
誰かのせいにすれば解決するほど、事は単純ではない。