ジェニングス先生の博士論文
一昨日、アメリカから中古本が届いた。
実は米国アマゾンの販売コミュニケーションがいい加減で、一度送ったが破損されて戻ってきたが、次に送るのは60ページほど書き込みがある、というもの。即刻キャンセルしたはずなのに、「もう発送しました」というチグハグさ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170801)。何通かのメールのやり取りの後、送料のみで今回は示談ということになった。
(https://www.amazon.co.jp/gp/product/0761830502/ref=oh_aui_detailpage_o07_s00?ie=UTF8&psc=1)
“Theology in Japan: Takakura Tokutaro 1885-1934”
(American Society of Missiology Dissertation)
2005/1/21
J Nelson Jennings
日本で1986年から1999年までの13年間、教会形成や神学教育に従事されてきたネルソン・ジェニングス先生のエディンバラ大学提出の博士論文を出版したものである。高倉徳太郎というプロテスタント史では高名な牧師の神学を辿り、分析した研究である。
このジェニングス先生とは、2014年4月にイェール大学神学部の図書室で資料収集をした際(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140524)、初めてお目にかかったが、この先生のおかげで紹介状なしでイェールに入ることができ、大変に親切にしていただいた。大学近くのイタリア料理店でも昼食をご馳走になった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140520)。
その後、お礼も兼ねて、一度、日本のキリスト教系の学会の発表でお名前をご紹介し、学会誌の要旨にも概略を書いたが、自分達が対象とされているのに、どうも関西では反応が今ひとつのように感じられた。
だが、本書を入手してみて、アメリカ側が相当深く食い込んで日本を研究し、分析し、現状理解および今後に備えているかを知ることとなり、日本側の認識の甘さ、視野の狭さ、独善性、危機感の欠如を改めて痛感した次第である。
ペーパーバック版だが厚さ4センチもある大書で、読むことを楽しみにしている。
索引と59ページに及ぶ参考文献一覧表をざっと見た印象を、以下に。
1. 古屋安雄先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070629)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070701)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100217)、大木英夫先生、八木誠一先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071102)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080619)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110410)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111004)等と面談の上、研究をまとめている。従って、数年前に関西のキリスト教系大学神学部の先生方の前で発表した時、反応が非常に鈍かったことは、とても信じられない。
2. 同志社大学神学部の名誉教授で2006年に逝去された竹中正夫先生は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071213)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140521)、イェール大学で博士号ということで、非常に尊敬されていたが、同時に若いスタッフには恐れられてもいた。私は一度だけ、神学部図書室のカウンターに座っていらした竹中先生の方から「竹中と申します。あなたは?」と突然、尋ねられたことがある。当時はまだ非常勤講師をさせていただいていたので、その旨申し上げると、「それはようございましたね」と一言。その後、「今の人は漢字も書けない。教養がない」と嘆かれていたが、それは私に向けてのことだと思った。その竹中先生は、「日本におけるプロテスタンティズムと社会問題1900−1941年」と題する博士論文があるのに、実は未刊行だったということも、初めて本書で知った。
もっと興味深い点を記す。
日本のキリスト教に関しては、従来、日本語文献を中心に見ていた。かつて、同志社大学や関西学院大学の神学部と関わっていた十数年前からのことを思い出すと、まさに本書を読むために、私は当時、暇さえあれば神学図書室や大学図書館にこもり、神学雑誌のバックナンバーを一冊ずつ取り出して、目を皿のように血走らせながら、必要なページに次々と付箋を貼り、閉館時間ギリギリまでまとめて複写をしていたのかもしれない。あの切羽詰まった問題意識、もう来年はないという背水の陣、必死になって資料を求めて貪るように時間と競争していた日々…。
体力も気力も自分なりに若々しく、大きな流れに無知だったからこそ、狭いテーマに絞って、前だけを一心に見つめていたあの頃は、今のような状況が訪れるとは想像だにしていなかった。
だが、努力はそれなりに報われるのだ、と思う。あの時に無我夢中で真剣勝負だったからこそ、自分の研究テーマとは異なるが、それでもジェニングス先生が英語で書かれている、小さなキリスト教を中心とした日本の社会状況が、意味を放つのだ。