ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

無定見なリベラリズムの末裔

https://icu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common...item...


対談「無神論の黄昏とアジア神学の将来」


森:われわれの大学には大学墓地がありますが、そのすぐ隣に日本共産党の墓地があるのです。彼らは公には無神論者ですから、お墓といっても宗教色を出すわけにはゆかない。でもお墓ですから、何かそれらしいものがないと格好がつかない。それで彼らは、大きな岩をもってきて、そこに「不屈の闘士、ここに眠る」と彫りつけてあるのです。無神論者でも、人間の死について、何らかの宗教的な意味づけをしなければならない、ということです。
マ:それは面白いですね。
(p.110-111)


あなたはご著書の中で、「世界キリスト教協議会」(WCC)とそのエキュメニズムが、かつてはシンデレラのような美しい存在だったのに、今やまったく魅力を失って暗い裏通りに落ちぶれている、と書いておられます。
マ:そうですね。彼らの無定見なリベラリズムがその神学をつまらないものにしてしまっているのです。
(p.112)


(2008年10月15日)
附記: 本稿前半部の要約は、「Ministry」創刊号(キリスト新聞社、2009年)に掲載される予定である。

(部分抜粋引用終)
上記の「森」は、国際基督教大学の森本あんり先生で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091030)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101024)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110819)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150818)、対談相手は、英国のアリスターマクグラス氏である。
そして、遠慮なしに酷評されている「世界キリスト教協議会」(WCC)については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100811)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=WCC)を。エキュメニズムについては、(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110122)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%A8%A5%AD%A5%E5%A5%E1%A5%CB%A5%BA%A5%E0)に言及がある。
2012年3月下旬より、パイプス訳文を始めてからは、時間配分も興味関心の方向性も急に変わってしまい、この世界キリスト教協議会(WCC)とエキュメニズムの問題点に関して、かねてから疑問だったことについても、左傾化ないしは文化的マルクス主義の注入ではないか、と考えるに至っている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150402)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160224)。
ミトロヒン文書を計3冊通読すると(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150805)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150904)、非常に具体的にわかる。KGBのスパイが聖職者を装って、WCCの会合で撹乱を図り、西洋由来だったキリスト教会を貶め、アジア・アフリカなど第三世界の教会の主張を中心に据えるようになったのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150402)。
だが、6年前に世界キリスト教協議会(WCC)とエキュメニズムの専門だと言われたキリスト教系大学の神学部の教授から一連の講義を受けた時には、全くそのような負の側面については語られることもなく、ましてや、検証されることもなく、ただ美しい理想的な会合であったかのように整然と説明されるだけであった。
強いて言えば、過去は常に「問題提起」をして「批判的に克服」されるべき存在であり、現在および将来には、あたかも明るい(「和解を通して一致」と「合同」を目指す)理念実現型が約束されているような語りであった。
この対談から、もうそろそろ10年になろうとしているが、その後、日本および世界のキリスト教情勢は如何に?
それほど世界キリスト教協議会の会合が素晴らしいのであれば、なぜ、欧州でのキリスト教が衰退していて、相次ぐ教会閉鎖が起こっているのか?
それに並行して、なぜモスク数が急上昇し、イスラーム系テロの頻発が続いているのか?
これらの現状を見ると、当時の日本は、まだ安穏としていたのではなかったか?
そもそも、私のマレーシアの研究がなかなかまとまらないのも、本来ならば最も専門家で詳しいはずの神学部の先生方が、どうもご自分の専門分野に閉じ篭もっているか、教団紛争に明け暮れてエネルギーが枯渇した状態になっていることとも無関係ではない。
教団紛争といえば、ちょうど6年前の今頃、非常に気になり、恐ろしく思っていた事例があった。
見知らぬ方だが、ブログに非常にストレートに描写されていたので、部分的に無断転載させていただく。

http://blog.livedoor.jp/wesley1738/archives/1376246.html


2010年11月10日


・北村慈郎牧師のフリー聖餐(違法聖餐)の件。
あまりこの問題について触れない方がいいことはわかっているのですが、少しだけ補足を・・・
インターネットで調べていたら、「北村慈郎牧師への教師退任勧告に対する紅葉坂教会役員会の見解」というページがあることに気づきました。
読んでみてわかったこと。
1977年〜1991年に牧師をしていた岸本羊一牧師の時代に、未受洗者に対する聖餐時のアナウンスをしなくなったということ。
その後に来た牧師も、それをしなかったらしく、その後北村牧師とこの問題について協議を重ね、神田健次、荒井献といった方々を呼んで勉強会をし、1999年3月に、教会規則を改正して、いわゆるフリー聖餐を明確化させたということ
つまり、北村牧師より先に、教会側がフリー聖餐論者だったということ
この、神田健次と荒井献・・・なんか自分たちに都合のいい人を呼んできた…そんな感じ。
呼ぶ前から、協議する前から、フリー聖餐という結論が先にあったみたい。
私事ですが、以前、野呂芳男先生と勉強会をしていたころ、雑談で大学紛争のころの話になった時、荒井献の話題になり、「あの先生は当時大学で学生たちをあおるだけあおって、混乱させたにもかかわらず、自分だけ東大に移ってしまった」という話を聞いたことがある。そのため、有名な先生だけど、いい印象はない。ひどい先生だったという印象だけ。
紅葉坂教会は教団の言うことが聞けないのだったら、速やかに脱退し、単立教会になるべきだと思う。

(部分無断転載終)
この聖餐の話は、「オープン/フリー」の呼び方でも議論が混乱していた記憶があるが、それよりも、何が問題だというので、そんなに揉めているのか、という人的側面でも、怖い気がしていた。
北村慈郎牧師とは面識が全くないが、「神田健次」氏と「荒井献」氏のお二人には、講演会や大学講義や学会でお目にかかったことがある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B9%D3%B0%E6%B8%A5)。講演会と講義は別にしても、学会ではいずれも、こちらの発表を聴いてはくださるが、完全に黙殺されるのが通例。
そして、過去ブログでも綴ったように、本件に関しては、某大学図書館で相当の文献資料を集めて読み込み、勿論「岸本羊一」氏の文献資料にもかなり目を通したので、凡その流れは理解できたつもりである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110531)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110603)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110605)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110606)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110612)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110808)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110817)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110818)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110822)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110824)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110825)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110827)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110902)。
だが、パイプス訳文に没頭していたここ数年、すっかり忘却の彼方にあった。
昨晩、ふと思い立って検索してみたところ、驚くべきことに気づいた。
何と、1999年3月に教会規則の条項を賛成多数で削除した聖餐のやり方が、日本基督教団の執行部の考えや教団規律と違うという理由で、2007年7月に教団総会議長より退任勧告を受け、2010年1月に免職戒規処分されたという北村慈郎牧師は、2011年11月の東京地裁提訴に始まり、最高裁まで上告して争ったという。しかも、2014年6月6日に棄却され敗訴となって後、今に至るまで闘っていらっしゃるようなのである。
それのみならず、2016年7月下旬の時点で、氏を支援する会に3000名以上も賛同者がいるとのことだった。『通信』と題するニューズレターも2016年9月29日付で17号まで発行されているようである(http://k-saiban.com/)。
1941年生まれとのことなので、もう喜寿でもいらっしゃるだろうに、まだ学生運動の頃のエネルギーが残っているのだろうか。これには驚いた。
賛同者の理由としては、聖餐式のやり方(誰が聖餐に与れるか)の議論のみならず、教団執行部の「対話拒否」と「切り捨て」に怒り、ついでに沖縄問題と戦争責任告白にまで関連付けているようだった。
しかし、宗教共同体である教団内部の問題を、なぜ東京地裁最高裁など、世俗の裁判官に判定させようとしたのだろうか、疑問である。いずれも却下されたのは当然だという気がするが....。
もし教会を人間集団と捉えて会社に例えることが許されるならば、社規に背いた行為をした社員を、まずは退社勧告し、それでも態度が改まらなかったので、免職処分にした途端、その社員が「人権」を盾に「働く権利」を主張して、最高裁まで出向いて争って却下されているようなものだ。

http://www.k-saiban.com/_src/sc238/kjpapervol14.pdf


2015年9月15日 No.14



日本基督教団は、聖餐の問題について、「聖餐とは何か」「聖餐の執行者とは誰か」「だれが聖餐にあずかるのか」などについての議論を、少なくとも1990 年代前半までは積み重ねてきました。教団宣教研究所発行の『聖餐』(1987 年)や『陪餐問題に関する資料ガイド』(1990年)は、教団が公式に聖餐についての議論を積み重ねてきたことを示しています。また、日本基督教団出版局は、世界キリスト教協議会(WCC)が、教会一致をめざして、長年の議論をまとめたリマ文書アクラ文書を収録した『洗礼・聖餐・職務』という書物を1985年に発行していますし、その後1997 年に神田健次著『現代の聖餐論:エキュメニカル運動の軌跡から』という書物を発行しています。

(部分抜粋引用終)
上記の各種資料については、過去のブログでも書いたことでもある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110827)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110902)。『資料ガイド』が大学図書館になかったので、未見ではあるものの、「使用に耐えない」冊子だったという批判も読んでいる。
要するに、古い資料が、何年たってもまだ、繰り返し議論の叩き台として出て来るようなのだ。
ところで、この聖餐問題に研究上も人脈上も深く関与されてきた上述の先生が、今年1月上旬で最終講義をし、退任されることになったと、先程知った。あと数年、長くても10年ぐらいは在任されるものと思い込んでいたので、意外な気がした。
聖餐以外にも、美術や教会建築や民芸などにも著述をものされてきたので、研究業績としては着々と数多く揃っていて、羨ましい限りである。また、学内では「優しい先生」だとされていて、今の若い学生さんには人気があったのだろう。一方、10年ほど前までは、学会で会うこともあった元女子院生さんは、もっとはっきりした評価だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110814)。恐らく、彼女の方が現実を直視して、先生の言いなりにならず、自分の道を決然と歩んでいることだろう。
だが、私にとっては、あの大学紛争と教団紛争を経て来られた方だということ、そして、6年前の講義を思い出しても、何とも奇妙な印象が突出している気がしてならない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110826)。
あの学生動乱期に青春時代を闊歩した人が、その後は大学教授におさまって、下の世代に影響力を及ぼしたという事実を客観的に見ると、以下のような恐ろしい結果が数値となって出ている。

日本基督教団の教会数は、1993年と2013年ではほぼ同数の1714件と1716件だが、資金としては、その20年で122億円から113億円に低下している。牧師数は、2187人から2054人と130人以上も減った。そして、聖餐問題ですったもんだしているうちに、陪餐会員は102911人から86131人へと16780人も減ったばかりか、礼拝出席は61261人から53512人に、受洗者数も2383人から1071人に減ったという(http://k-saiban.com/_src/sc242/kjpapervol15.pdf)(2015年11月30日 No.15, p.9)。
1995年から教勢が落ちたとされているようだが、上記のような騒動が続いているならば、ますます人が避けていくことだろう。
この数値については、佐藤優氏が先だっての講演でおっしゃっていた数字と照合されるとよい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170130)。
PS:「2016年7月下旬の時点で、氏を支援する会に3000名以上も賛同者がいる」と上記に書いたが、別の情報網によれば、驚くことに、今ではさらに増えているようである。だが、教会礼拝出席数全体から見れば、少数派であることには間違いない。