ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

国風文化に先祖返り

「信長検定」の公式テキストブックが届いた。
織田信長公の岐阜入場・岐阜命名450年記念として、岐阜市まちなか博士認定委員会が作成したものらしい。さまざまな歴史解釈がある中で、小和田哲男氏が執筆されたこのテキストが、標準型として提示された。
受験申込者多数の場合、抽選で当選した人のみ受験できるということらしいが、そんな検定試験は初めてである。
この検定試験を知ったのは、先日のルーツ辿り第二弾の旅の間(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170727)、利用した公共交通機関の車内広告によってである。岐阜の主催だが、実は関西の隣の市でも、駅構内に大きなポスターが貼ってあるのを、しばらく前に見かけた。従って、受験者は岐阜圏内とは限らないだろう。
先日、徳川美術館の説明で知ったが、「岐阜」とは元は禅語だったとの由。両系が岐阜の出身なのに、そんな基本的なことさえ、私は教わらずにこの歳まで来てしまった。
織田信長といえば、私にはまず清州城が思い浮かぶ。小学校6年の二学期が終わる一週間前までは、名古屋城近くで育ったが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100728)、その後、両親が郊外に土地を購入して建てた家に引っ越したため、今度は清州城近くで育つことになった。
そして、主人が母と一緒に私の家へご挨拶に初めて来た時には、父が車を出して清州城まで連れて行ってくれた。
清州城は、金の鯱を誇る名古屋城に比べれば小さなお城で、中を上った時、父が「この間の選挙で、清洲町(当時)は共産党を選んでしまった」と言い、私もそれに応じて「そう。共産党が勝ったの」と言った。(但し、その深刻な意味は今ほどわかっていなかったことも、併せて思い出す。)一方、主人の母は、政治のことは脇に置いて、「うちの父も歴史が好きでねぇ」と嬉しそうに城内を見回していた。主人はと言えば、大きな目をさらに大きく見開いて、周辺環境をじっと慎重に観察していた。
今思い出しても、既に四人四様の特徴が出ていたように感じられる。実際、主人の母方の田舎の家には、家宝の刀も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106過去帳もあり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070816)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)、主人は毎夏、祖父から先祖代々の話を聞き、誇りを植え付けられながら育ったのだ。
方や私は、結婚したら関西に移住することになるのだから、文化の中心地は清洲ではなく、大阪城だという気分でいたのだった。
あれから二十年以上が経ち、信長検定までできるようになるとは、時代の風向きも変われば変わるものだ。
日本人の勉強好き、向上心の現れとして、神社検定(http://www.jinjakentei.jp/kenteitoha.html)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170702)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170703)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170704)や茶道文化検定(http://www.chado-kentei.com/aboutus/)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161028)も含めた各種の検定試験が、雨後の筍のように乱立しているのは、実におもしろい。勉強して試験に合格したからといって、就職に有利になるとか、グレードがアップするという保証はありません、等と注意書きまで添えられているところが、もっとおもしろい。
でも、寸暇を惜しんで学び続けるきっかけになるだけでも、充分に意味があるというものだ。
文学と言葉を通して自分の国を知りたいと願って入った国文学科だった学生の頃、「国文は英語のできない人が行く所」と面前で言われたことに奮発して、今よりも数が限られていた外国語の検定試験に夢中だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110301)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160229)。英検1級、国連英検A級、オックスフォード英検上級、ドイツ語検定とスペイン語検定はそれぞれ中級まで合格、といろいろ勉強してみたが、この頃では、先祖返りというのか、時流にうまく乗って(?)国風文化に回帰しつつある自分を見出す。こちらの方が、自分のアイデンティティに直結していることと、学校時代に雀の子のように皆で一緒に学んできたので、時間の重なりが知識の塗り重ねに繋がるようで、ごく自然体でいられるのが嬉しい。
勿論、ここしばらくお休み状態のパイプス訳文は(http://ja.danielpipes.org/art/year/all)、下訳がかなり溜まっているので、中東イスラーム、欧州ムスリム移民の問題、イスラエルユダヤ教、米国外交政策等の勉強がてら、今後も継続していく予定である。同時に、資料を少しずつ整理しつつ、本来のマレーシアの研究テーマをまとめていかなければならない。
大変だが、私にはこういう方向性が合っているように思われる。最も幸福感を覚える時間だからだ。