ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

町内の夏越祭

町内の大祓人形と茅の輪くぐりの夏越祭に行ってきた。
今年は、まだ寒い頃、主人が二度転んで顔を大怪我したり、インフルエンザに罹ったりした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170519)。私の方は、2月3日から右目と右こめかみと額のヘルペスが予想以上に長引いて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170303)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170306)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170313)、今も違和感が右上顔に残っている。
お正月明けにはお年玉付き年賀状が、結婚後初めて、夫婦合わせて一枚も当選しなかった。そして、二月の節分には、かぶり巻きとイワシ焼きを毎年恒例行事として欠かさず続けてきたのに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090202)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120203)、結婚二十年になる今年になって初めて、主人がかぶり巻きもイワシも食べずに済ませてしまった。五月の節句には、柏餅は買えたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170504)、チマキが売り切れで、恒例行事が守れなかった。
これではいけない、と痛感した。
せっかく町内には(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070902)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121127)、中世の天皇上皇三名ゆかりの官幣大社だった神宮と、行基が701年に建立したという氏神神社がある上、主人の同居の父方の祖母が岡山は美作の神主の娘という神道の家だったことと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161121)、私共の結婚式場が神式だったので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150322)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170114)、何かしなければと思うに至った。
神道の暦は、日本の歳月や季節感に合うように作られているため、素直に従う方がいい。
この町に住むようになった二十年前には、政治的に社民党民主党の勢力が強く(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160715)、せっかくの古い伝統が妙な理屈によって徐々に変容されそうになっていた。小中学生等の子ども達も、どこか落ち着きがなく、荒々しく生意気な態度だったことを覚えている。
幸いなことに、数年前、第二次安倍政権になってからは、インターネットのお陰もあり、マスコミの偏向や左翼思想の危険性に皆が気づくようになったようで、世の中全体が、少しずつ明るく素直に落ち着いてきたように思われる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151215)。
古いものを見ることが好きなので、勿論、二十年前からお散歩がてら、神宮でも神社でもパンフレットや冊子などをいただいてきたが、この頃では、標識も立て札もきれいに改め、勢いを盛り返してきたように思われる。
神社の方は近所の小高い山の上にあり、週に三、四回ほど、足腰を鍛える意味もあって朝のお散歩で上っているが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100728)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161022)、講演会に出席し、神主さんの講話を伺った後は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080419)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161121)、いつも腰に小さなラジオをぶら下げてお掃除をされていた禰宜さんの愛想良さが、余計に引き立って感じられるようになってきた。
神社の維持は大変なことだが、誇りを持って毎日のように務めていらっしゃる。
神道は、日本書紀古事記や和歌など日本の古典文学と直結しているので、小難しい理屈の教義に縛られることもなく、自然に馴染めるのがいい。それに、鳥居をくぐると境内の中は実に開放的で、治安を考えれば、凄いことである。
都会の整然とした神社よりも、古来からの伝統と歴史を伴う素朴で自然な感じがいいのだ。
こちらは、朝十時からということで、雨の中を傘を差して出かけたが、既に80名ぐらいの人々が集まり、お祓いが始まっていた。
この頃、復古調というのか、神道が再び人気を集めているので、神主さんも嬉しそうである。
八坂神社(京都)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151103)と津島神社(名古屋)と氷川神社(東京)とつながっている神社だとのご説明があった。以前、お父様も神職で町内出身の神主さんは、神道系大学を卒業した後、かなり長い間、祇園の「八坂さん」で修行されていたとおっしゃっていた。
平安時代、この時期には疫病が流行し、三条河原には病人や死体が並んでいたということだ。
やはり、国文学科を卒業したことの意義が、この歳になるとますます深まってくる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091222)。我ながら、よい選択をしたと思える。
拾遺集から「謳います」とのことで、「水無月の夏越の祓する人は千年の命延ぶと言ふなり」を白衣装の神主さんが謳われ、その後に従って皆で茅の輪を八の字に続いて回った。
その後、護符と茅を一本いただいて帰宅した。
一昨日辺り、買い物の時に張り紙で「神社は庶民の厄除け、神宮は正式な厄除け儀式」だとの説明つきで、「神社に行った人は、三時から神宮へも行くように」という指示を読んだ。
午後は幸いなことに雨が上がったので、自転車で出かけたが、神宮へは前日までに大祓人形の納めがないならば意味がないと言われ、外から儀式の様子を見守った。
正式な儀式は神宮の方がかっちりしているのかもしれないが、神社の格付けについて社務所で尋ねると、「(庶民だとか格上だとかはなく)皆さん、どなたでもどうぞ」「ここは天皇さんがお祀りされているところなので」というお話だった。
つまり、私の見た張り紙は、結構、失礼な書き方がしてあったようだ。
この頃では、神社神道の検定試験まであるようだ。受験者はそれほど多くはなさそうだが、テキストで組織立って我々の国史を勉強することには、意味があるだろう。
私の世代は、敗戦後、大きく変わった価値観の下、平等観念と社会主義思想の注入によって都市化が進み(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160128)、金太郎飴のように輪切りにされながら、細かな知識を詰め込んで受験勉強に勝ち抜くことが「エリートへの道」のような、誤った学校教育が浸透していた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080218)。特に、マルクス主義による歴史観から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160129)、今から思えば、社会科や国語科の教科書は、明らかに宗教批判、伝統否定の方向に仕向けられていたと思う。しかも、試験用の読解文が(英語も含めて)、伝統文化を「封建的」な遺風として否定的に断じ、進歩的文化人の書いた社会主義的な新しい思想こそが「科学的」「合理的」「客観的」であり、「批判精神による進んだ考え」のために「明るく平和な知識人の生き方」であるかのように、選択問題でも動機づけられていた。
この調子では、上の学校に進めば進むほど、世代間の価値観が対立することは歴然としており、そのために断絶や崩壊へと向かった家庭も数知れないことであろう。
そんなことを思い浮かべながら、神宮を後にした。