ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

精神面での国防が脆弱に

孫がいてもおかしくない年齢になった今頃になって、なぜ、暇そうにルーツ辿り等をしているのか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170727)。
自己基盤となるアイデンティティを再確認しなければ、精神面での国防が脆弱になるという外的理由と共に(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160321)、自分は真っ直ぐ真面目に生きてきたつもりでも、ふと気づくと周囲が変なことになっていたために(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170114)、子どもの頃から気になっていた事実を確認しておきたいという内的必然性に迫られているからである。
そんなことに拘らずに、揉め事からは距離を置いて、ただ目の前の日常の課題に専念するというやり方もあるのかもしれないが、実はそれは、私の40代前半までの生き方であった。
経験から言えば、若かったので許されたようなものの、それではよろず、物事の判断や周辺状況の理解に時間がかかり、新たな状況に直面した際に適切な行動が取れないだろう。
幼稚園(5歳)から大学生の頃まで、毎週のように歩いていた名古屋の目抜き通りだったが、今回、新たな発見がたくさんあった。こうすることで、自己アイデンティティが強化され、ささやかな自分という存在にもそれなりの意義付けができ、胸を張って生きていけるような気がする。
今回は、二泊三日続けて、暑い中、相当な距離を歩き回ったのだが、なんと全く疲労感がなかったのには、我ながら驚いた。人間の記憶とは習慣化したものであるが、これまで関西では、地名を覚えるにも、人の話し方に馴れるにも、何事にも意識化して暮らしてきたので、その分、疲れていたのだということにも気づいた。
この話の続きは、また次回に。
さて、少子化に悩まされる昨今の日本だが、エジプトでは人口増加に悩まされているらしい。

http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/archives/5244749.html#comments


「多産に対するエジプト大統領の警告」
2017年07月25日 12:02


・エジプトの人口が急増していて、かなり前に9000万人を越えていて近く12億人の大台に乗ると見られていますが、al qods al arabi net は、シーシ大統領が24日のアレキサンドリアの第4回青年会議で、子供の数は3名にとどめるべきで、4名も生むものは神の前で説明しなければならないとして、4人の子供を産んで、彼らを十分食わせられない人がいるが、彼は神と国家の前で責任を有しているとして、子供の数は3人までにすべきことを強調した由。
http://www.alquds.co.uk/?p=759132


abu_mustafa
2017年07月25日 20:46


確か随分前にこのブログでも紹介しましたが、昔カイロに居た頃、女性活動家たちが人口計画のキャンペーンをやっていると、貧困層の地域ほど、住民、特に婦人たちの敵視の対象になると言って、こぼしていました。
その意味では、カイロでもある種のタブーと言えるのではないでしょうか?
カソリックもそうですが、イスラム教でも、人口計画をタブー視する傾向は強いと思います。


・abu_mustafa
2017年07月26日 20:04


ご指摘の通り、中東でも女性の高学歴化が進むと、少子化に向かうと思われます。
多くのアラブ諸国を見たわけではないので、何とも言えませんが、現場で見た限りでも、例えばチュニジアでは20世紀の最後のころには、少子化の傾向が顕著だったと記憶しています。
その他のアラブの国でも、高学歴の女性ほど子供の数が少ないという、報道を見た記憶があります。
問題はその後アラブの春の影響で、いたるところ、イスラム色が強くなっているので、人口問題がどうなっているのか?最近の傾向というか変化のほどは良く知りません

(部分転載終)

しかし、日本から見たら贅沢な悩みのようにも....というより、人口とは、数の問題以上に、質の問題でもある。高学歴女性が少子化に向かうとすれば、昔のように「女に学歴はいらない」として、義務教育と花嫁学校だけに止め、他にすることがないので、結婚して子どもを産むしかない、とすればよい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150408)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151207)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170109)。
しかし、それでは原始的過ぎないか?子どもをしっかりと育てるには、女性は丈夫で賢くなければならないのに、母親が無学では、まるで動物並み。
主人の母がよく、私の家系の話を聞いて「多産系でうらやましい」と言っているが、「多産系」と言っても、せいぜい一夫婦につき二人から四人までであって、中には死産もあった。母方の祖母などは、女学校を出てお稽古事の後、親の決めた結婚で19で嫁入り。戦時中から計五回出産したのに、生き残ったのは三人だけだった。(しかも、大切な一人息子は、卒寿を超えた祖母より先に病死した。)
だから、私が18歳で大学に入学した途端に「結婚、結婚」と事ある毎に意識させられて、もう学業との両立で精神的には逼迫していた。意識だけ先行していて、お見合い話はなかったのだから、空振りもいいとこだ。それに、四年制大学を出て専門職に就く予定ならば、あまり若い年齢で「結婚、結婚」と急かすのも、世相にマッチしていない。
この度の秋篠宮家のことでは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170523)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170525)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170708)、国民から反応がストレートに出てきて、いろいろと考えさせられているのだが、あれが今の日本の縮図なのだろうか。とすれば、芳しくない傾向である。

http://blogos.com/article/232747/


『NEWSポストセブン』
2017年07月05日


「長らく結婚や恋愛を“自主規制”してこられた他の女性皇族の中には、複雑な思いもあるようです。これまでは適齢期を迎えた女性皇族が、いくら結婚後は民間人になるとはいえ“好き”という感情だけで相手を選ぶことはできないというのが暗黙の了解でした。それは、皇室の品位、ひいては陛下の品位にまで影響を及ぼす可能性があるという意識があったからです。


 眞子さまの結婚は、そういった考え方にはしばられていません。開かれた皇室の内親王である眞子さまが、現代に即した“自由恋愛”を貫かれたことが内外に大きなうねりをもたらしてしまったんです」(別の宮内庁関係者)

(部分抜粋引用終)

そもそも、「テニスコートの恋」「キャンパスの恋」等と、偶然に出会ったマッチングこそが幸せの鍵であるかのような安易なお膳立てそのものに、問題がある。皇族がそうすると、国民も影響されて、それに倣う風潮ができるからだ。「国民の税金で養われている皇族」という失礼な方程式ではなく、そもそも、皇族が皇族たることの自覚が問われよう。国の象徴だというご自覚は、おありなのだろうか。
結婚の意味、結婚の目的は、「好きな人と一緒になって“幸せ”になること」という非現実かつ空疎なキャッチフレーズではない。親から独立して、新たに一家を構え、社会の一員として、責任を持って次世代を養育していくこと、それによって親元から枝分かれして健全に繁栄していくこと、古代から綿々と受け継がれてきた生命の連鎖を将来に繋げていくこと、という根本原則が明確にならなければならない。
そこがしっかりしていないからこそ、「娘の意志を尊重して」等という、歯の浮いたような言葉を国民は聞かされてしまうのだ。護衛や保育官に囲まれたお姫様が、いくら伝統とは別系統のフレッシュな挑戦を経験されてきたとはいえ、今上天皇の初孫の嫁ぎ先として、知れば知るほど懸念を呼び起こすような組み合わせでは、果たして、国民に対する説明責任をどこに求めればよいのだろうか。
これでは、皇族を敬愛する気持ちが損なわれてしまい、国民統合どころではなくなる。
少子化問題に話を戻すと、まずは根本精神がしっかり軌道に乗ってこそ、安心して子どもを産み育てる基盤が整うのではないだろうか。経済面や育児施設のことばかり話題になるが、お金や子どもを預ける場などは、二の次だ。覚悟をしっかり決めて、工夫を凝らせば、それぞれに自ずと道は開け、何とかなるはずである。そうでなければならない。