ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イスラーム主義の本質と動向

メムリ」(http://memri.jp
1.Special Dispatch Series No 5390 Aug/28/2013

大統領も最高指導者には楯突けない。攻撃にはテルアヴィヴ、ハイファ破壊で対抗
―イラン体制派幹部の発言―
最高指導者専門家会議の議員で、テヘラン金曜日礼拝指導者ハタミ(Ahmad Khatami)がイラン北部のラシトで演説し、次期大統領ロハニがイランの最高指導者ハメネイ師に反対する立場をとれば、体制側の支援を失う、と警告した※1。ハタミは、イスラム法が国民の意志に優越するとし、イスラム法による支配の至高性を強調し、神の信仰とは即ちハメネイに忠実であることを意味する、と述べた。
ハタミは対西側関係についても、ハメネイ体制側の立場を繰返し強調した。イランの核開発をめぐる西側との紛糾原因は、西側がイスラム革命政権を打倒しようとするところにあるとし、イランは射程2,500㎞のミサイルを保有し、イスラエルがイランを攻撃すれば、これでテルアヴィヴやハイファを破壊する、と述べた。
ハタミは、パレスチナの武力闘争にも言及し、テヘランイスラエルと武力闘争を展開するパレスチナ組織に支援を惜しまないとし、イランがハマスイスラムジハードに送ったファジル5型ミサイルが、2012年11月の火の柱作戦テルアヴィヴを攻撃したことを明らかにした※2。以下そのハタミ演説の概要である。
ロハニ次期大統領に対する警告
「新大統領は(2013年6月17日、選挙後の第1回演説で)国家の権利防衛について語り、(アメリカに対し)イランの立場を明確にする必要性に触れ、我々には誰にも借りはないという話をした…イスラム社会の指導者(ハメネイ師)の立場に反対する者は、国(即ちハメネイ体制)から報いを受けなければならない。イスラム法による支配が、イスラム共和国の規準であり、誰ひとりとしてそれに楯突くことは許されず、大統領といえどその権利はない…。
国家のモットーは〝我々はあなたの兵士。ハメネイ師よ。我々はあなたの指示を待ち、忠実に守る〟である…」。
ハメネイ師に対する忠誠は、神に対する真の信仰と同じである
ハタミは「正義の体系は神聖であり、社会の指導者(ハメネイ師)は、神の御恵みにより、権力渇望がない」とし、「指導者(ハメネイ師)に対する忠誠は、神に対する真の信仰と同じである」、「イスラム法による支配体制以外の体系は無効である」と述べた※3。
西側はイランの核開発計画を解決したくない
ハタミは、シーア派がその信仰の故に世界各地で殺されていると主張し、「イスラム革命の勝利から今日まで、傲慢な世界(アメリカに率いられた西側)によって遂行されている戦いは、すべて宗教を背景としている」と述べ、「西側がイランを敵視するのは、イスラム革命や核エネルギー問題或いは核兵器がらみではなく、イラン人がシーア派であるからだ」と主張、「西側は、イランの核エネルギー問題を解決したくないのである」とつけ加えた。
攻撃されれば、我々はテルアヴィヴとハイファを破壊する
ハタミは、イランが射程2,500㎞のミサイルを保有していると述べ「シオニスト政府がイランを攻撃するなら、我々は最低でもテルアヴィヴとハイファを破壊する。我々は誰も恐れない」と言った。
我々はイスラエルと戦うパレスチナ武力組織を支援する
パレスチナ武力闘争についてハタミは「指導者(ハメネイ師)は、シオニストとの戦闘を望むパレスチナ集団を支援するよう、我々に指示されている」と指摘。2012年11月のハマスイスラエル間の戦闘時イラン製ファジル5型ミサイルで、テルアヴィヴはゴーストタウンになったと語った※4。
※1 ザンジャン(イラン北西部)で開かれた聖職者会議で、ハタミは「ロハニ政権がイスラム法支配から一寸でもはずれるなら、我々はその政権を合法的政権とは見なさないイスラム法の支配が、シーア派の政治的存在のバックボーンである」と述べた。2013年7月3日付Tasnimnews.com
※2 2013年5月1日付MEMRI S&D No.5291「イランはファジル5型ミサイルをガザに供給、ミサイルはイスラエルに向け発射―イラン政府関係者発言」を参照。
※3 2013年6月27日付Tasnimnews.com (イラン)
※4 2013年6月27日付 Fars (イラン)

2.Inquiry and Analysis Series No 998 Aug/28/2013


政治的イスラムの没落を予言する北アフリカのメディア
A・マフジャル-バルドゥチ(MEMRI研究員)
ムスリム同胞団の幹部でエジプト大統領のモルシが追放され、トルコではエルドアン首相のイスラミストAKP(公正発展党)に対して抗議デモが発生した。
本記事は、この二つの情勢に関する北アフリカチュニジアとモロッコのメディアの論評である。チュニジアとモロッコは共に首相がイスラミスト党の党員であるが、要するにエジプト、トルコにおける最近の事件から学ぶことのできる教訓は何か、ということである。
エジプト・チュニジア:政治的イスラムは没落―チュニジアのメディアKapitalis
チュニジアのジャーナリスト、バルナト(Rachid Barnat)は、2013年7月2日付チュニジアのメディアKapitalisで、アラブの春は政治的イスラムの障害に人民の目を開かせる効果があった、と論じる。バルナトによると、チュニジアとエジプトのイスラム政党が与党に選出されなかったのであれば、人民は、イスラム政党が権力を握ればどうなるかと、今だに思い巡らしているだろうが、イスラミストが権力の座についた後は、彼等がかつての独裁者と同じように行動し、イスラミスト全体主義支配を押しつけてくるのを知った。更に、政治的イスラムは今後衰退し、そのイデオロギーは、平和的にせよ苦痛を伴なうものにせよ、いずれにしても消滅する。次に紹介するのはその記事内容である。
イスラミストは…独裁者のやり方を復活した
「革命はイスラミストパワーを生みだしたとして、後悔し文句を言う人々がいる。しかし、彼等は間違っている。アラブの春(革命)は、別の意味でメリットがあった。つまり、政治的イスラムの本性が明らかになったのである。関係諸国の人民そして世界中の人々の目に、その実態を白日のもとに晒した。
チュニジアとエジプトで独裁者が打倒された後、イスラミストが選出され、絶対多数或いは相対的多数票によって権力の座に就いた。勿論、その関係諸国にとって不吉なことであった。数週間もたつと、権力の座についたイスラミスト達は、なかには"穏健"のふりをする者もいたが、国を本当に破綻状態につき落したのである。特に経済と社会を目茶苦茶にした。今日状況がどうなっているか。チュニジアとエジプトを見ればよい。専門家の手を借りて短時間の内に生じた破綻(規模)を調べるまでもない。
このイスラミスト達は、"穏健"のふりをして、素早く(直ちにといった方が適切な表現である)、前の(追放された)独裁者のやり方を復活させてしまった。例えば、能力の有無など関係なしで、親族や友人を要職につけて縁故主義に走り、ゆすりや賄賂は当たり前、更には(イデオロギーの強要、押しつけのため)法を私物化し、(公民の)自由を侵したのである。
関係諸国にとって、この一連の行動は悪いことには違いない。しかし、見方を変えれば、これは良いことであった。イスラミストが権力を握れば何をするか。どんなことができるのか。人民は知ってしまったのである。この"敬虔"な連中は、権勢欲にまみれた野心家にすぎず、単なる偽善者であり、国家の崇高な理念や使命など全く眼中になく、権力、金とゆすりたかりそして縁故主義にしか関心のない俗物であった。
私が言いたいのは、これが教訓で、しかも全員にとって素晴らしい教訓であったことである。イスラミストが権力の座に就かなければ、正体が判らなかったに違いない。彼等はいつまでも犠牲者面を続け、人民は彼等の約束する奇蹟を信じ続けたであろう。
宗教をベースにする政党は穏健になれない
人民は、イスラミストが実権を握っているところを見たのである。これが良かった。この教訓が重要な痕跡を残す。つまり、政党が宗教をベースにすれば、穏健にはなれず、公民の自由を許すこともない。その深奥の核心部分は全体主義的性格を有する。神の言葉を使えば、誰も逆らえない。否応なく実行するからである。シャリアは、コーランを解釈する"学者"によって神の言葉の連続とされる。このシャリアをベースに全体行動をとる。シャリアはコーランのように不易である。しかし、人間の言葉をアッラーの言葉と混同するやり方こそ、異端そのものである。
支配するため神の言葉を利用する程悪辣なことはない。人民はこの点も理解するだろう。イスラミスト達は、無能の故にあらゆることを悪用する故に、嫌気のさした人々が増えてきた。つまり、宗教は政治に介入してはならず、宗教は宗教としての然るべきところにとどまるべき、つまり人の心のなかに、モスクのなかに在るべきである。このように考える人が増えている。
イスラミスト達は、意図せずして、アラブ諸国に世俗国家のアイディアを助長せしめたのである。
今日私は、政治的イスラミズムの終焉を予言する
私は確信している。イスラミズムは打倒される。暴力を伴わぬ選挙手段によるか、或いは人民の意志を受入れぬ事態で暴力的に打倒される。非人間的イデオロギーと同じように、イスラミズムは死を迎える。ファシズム共産主義、汎アラブ主義、汎イスラミズムのような自由抹殺イデオロギーは、墓地で葬り去られる。
この破綻の兆候は既に見えているのではないか…エジプトで活動するイスラミスト打倒をめざすタマルッド運動は、その例である。私は、政治的イスラミズムの終焉を予言する。明日でなければ、明後日、数年後には没落する。痛みを伴うかどうか、私には判らない。しかしながら、このような自由抹殺イデオロギーは、恐ろしい程後進的で破壊的であり、進歩、発展とは無関係であり、全然未来を持てない。
個人的な野心のためか、或いは歴史の期待にこたえられないため、イスラミスト達と不自然な同盟を組もうとする者がいる。気をつけよ。人民も歴史もこのような人間を許さない」。
トルコ:エルドアンの没落は政治的イスラムの神話に打撃―チュニジアのメディアTunisie Numerique
チュニジアのメディアTunisie Numeriqueは、2013年6月2日付論説で、「欧米はアラブの春諸国に対し、ポスト革命政府のモデルとしてトルコを見習えと促した。政治的イスラムと世俗の民主国家体制との"一応は妥当な結合"を具現化している、と主張するのである」が、「2013年5月28日に始まる抗議運動は、当初イスタンブルのタクシム公園の再開発問題であったが、その内にPKKの政策に反対する抗議になった。つまり、ポスト革命イスラミスト政権のトルコモデルが空中分解しつつあるのは、明らかである」と論じた。以下その論説内容である。
「AKPとエルドアン(首相)をいただくトルコは、大揺れに揺れている。我々は、今まさに始まらんとする神話の崩壊を目撃しているのであろうか。
この国(トルコ)は、所謂"アラブの春"の始まりの頃、政治的イスラムと世俗的民主体制の一応は妥当な結合を具現化しているとされ、見習うべき好例と称された
今日我々は、知っている。所謂春季の煽動者達は、職務に適さぬアラブの指導者即ちイスラミストを権力の座につけるべく腐心し、やるべきことはトルコとその政策を真似ることに尽きる、と主張したのだ…。
このイスラミスト達は、権力の座につくと、アラブの春諸国の旧指導者が全然生みだせなかったこと、即ち、世界新秩序の確立という夢の顕現に必要な改革任務を与えられた…。
一連のイスラミスト政権は、あり過ぎる程多くの“不行跡”を犯している。しかし諸大国(欧米)はその彼等に目を向けた。彼等の任務、そして又自分達の関心を考えてのことであった。大抵の場合、この諸大国はその不行跡を“軽く”叱る程度にとどめ、時には一寸した御世辞で励ました。そして毎度、“トルコの奇跡”例をとりあげた。任務完遂までもっと辛抱せよというわけだが、その任務完遂が遅れに遅れているのは、一目瞭然である。
(ところが)この新しい指導者達は、新しい役割に大変な魅力を感じ、誰にも彼にも思いこみの激しい自分の“正当性”を語り続け、自分で信じこんでしまった。しかし、このイスラミスト達は、諸大国が思っていることと違って、大衆に愛されていない。
そして、諸政権のモデル(トルコ)そのものが、突如として屋台骨をゆすぶられ始めたのである…」。
ロッコ:カイロの教訓―モロッコの週刊誌Tel Quel
コラムニストのイラキ(Fahd Iraqi)は、2013年7月10日付週刊誌Tel Quelで、モロッコのベンキラン首相(Abdelillah Benkirane、イスラミスト党PJDの党首でもある)が、エジプトのモルシと同じ轍を踏んでいる、と論じた。イラキは、ベンキラン首相が同胞団の導師のように振舞っているとし、次のように書いている。
不孝なことにベンキラン(首相)はモルシと同じ轍を踏んでいる
「モロッコは、エジプトとは違う。ベンキラン首相は、エジプトのモルシと違って、軍によって追放されるような危ない橋を渡っていない。2200万の署名を得るための請願がでる可能性は、まずない。更に、エジプトのタハリル広場のように公共の広場で、選挙で選ばれた政権首班の退陣を求めて、数千数万の群集が野営する事態にはならないだろう。しかし、それで、二つの国が全然違うということにはならない。ベンキラネ首相が、エジプトの“兄弟”が味わった辛い経験から教訓を学ばなくてもよい、ということにはならない。
逆説的な話であるが、モルシは自分を敵視する統一戦線をつくりあげてしまった。このムスリム同胞団指導者は、1月25日革命の民主的精神を護持し、全国民の大統領になると約束したが、たちまち化けの皮がはがれて本性を現した。政権の自由抹殺と権威主義の体質と行動によって、顎鬚姿の男(イスラミスト)のイメージを定着させた。つまり、宗教上の同胞とその政治上の仲間の利益のため、革命の成果を横盗りしている姿である。それと同時に、モルシの同志達の経験不足、いや無能こそが社会的正義を求める人民を欺く結果になった。
その結果エジプトの青年達が通りに出て抗議することになった。反対派は大統領打倒で結束した。アズハルの宗教指導者、コプト派(キリスト教)指導者は彼を拒否し、軍は武力によって彼を解任した。
不幸なことに、ベンキランはエジプトの同輩(モルシ)と同じ轍を踏んでいるように思われる。更にベンキランは、国家元首ではない。行政府の長にすぎない。そのため、彼の党は覇権を握ろうとしてもできない。しかし、同時にベンキランは、(2011年)2月20日の(モロッコの)人民蜂起でかちとった小さい民主的成果を、人質にしている…。
通りの抗議は権力を与えるが、逆もあり得る
ベンキランの業績に関しては、社会・経済上の成果は殆んど見るべきものがない。これまでのところ、ぼろをださないで済んでいるが、言い訳がいつ迄も通用する訳がない。選挙民は、ベンキランと仲間が日々の問題を解決できない事実に直面する。次の選挙になった時、選挙民が彼の党に信任票を再び投じるとは思えない。
一般的に言って、ベンキランは日々支持者と結びつきを切っている。基本的にいえば、責任があるのは彼の方である。彼は、モルシのように、宗教的同胞(ムスリム同胞団のこと)の導師のように振舞っている。行政府の長なら、国民の期待に応え、社会の多元性を尊重し、夢を語り、社会のプロジェクト(ビジョン)のまわりに国民を結集する。しかしベンキラネの振舞は導師そっくりである。
今のところ(ベンキランの)行動は、小手先のやり方でうまくいっている。小手先というのは、彼を追放できる唯一の存在即ち王家、に楯つかないことである。彼は、2月20日運動を通し、通りの力を動員することを忘れているようである。あの力がプロセスを始動せしめ、そのおかげで、彼の党が選挙で勝利できたのである。
エジプト革命の第2場は、通りが権力を与えることもあれば、奪い去ることもできることを、我々に教えてくれた…。
(引用終)