ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

アラブ改革派の一見解

「メムリ」(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP331910

Special Dispatch Series No 3319 Oct/31/2010


パレスチナ問題のイスラム化は解決の障害
パレスチナ人改革派の見解―



2010年10月4日付でアラブのリベラル派ウェブサイトAafaqに、パレスチナ人改革派のラシード (Zainab Rashid) とのインタビューが掲載された。インタビューでラシードは、アラブの独裁政権が国内の諸問題から国民の目をそらし、民主化と改革の動きを阻止するため、パレスチナ問題を利用していると指摘、パレスチナ問題が審判の日まで続く宗教闘争として解釈されている限り、問題の解決はあり得ない、と主張した。


ラシードは、アラブ・イスラム世界の暴力と過激主義が、イスラムの宗教と教典に由来すると述べ、このようなテキストを放棄し、究極のゴールである「国家と社会の世俗化、即ち宗教と国家の分離」のために戦え、とアラブ知識人に呼びかけた。以下そのインタビュー内容である。


イナブ・ラシードとは何者か


問)ザイナブ・ラシードとは何者ですか。ラシードは、ラマッラに住む一女性である。アラブ世界の女性が直面する抑圧的環境で、��論争を挑む人格�≠ェどうやって形成されたのか。あなたがこのテーマを選んだ動機は何ですか。


答)私がザイナブ・ラシードという名の女性です。私はパレスチナ人女性なら誰でも味わう苦しみを経験し、それに耐えてきた一パレスチナ人女性です…(パレスチナ人女性の)苦しみは二重性を帯びています。ひとつは、熱狂的ともいえる性差別主義の社会。今なお女性を、未発達で無能の存在として扱っています…女性は、占領と(パレスチナ自治政府の)支配に苦しんでいます。自治政府のやり方は、3年ほど前迄、公的機関というよりギャングのやり方に類似していました…。


パレスチナ人は自己の民族的権利に反した行動をしている


問)最近発表された記事のなかで、あなたはあなた自身をパレスチナ人と呼んでおられる。ところが、多くの人があなたの書く記事はイスラム的で、イスラムに対する攻撃性が強い、と考えています。人々は、あなたのパレスチナ人としてのアイデンティティに疑問を呈し、イスラムに敵意を抱く人と考えます。どうしてでしょうか。


答)パレスチナ人は…居住するアラブ諸国の大半と衝突しています。彼等は特殊な地位におかれ、パレスチナ人として最低限の権利さえ認めて貰えない。(居住国の)心のこもった扱いも受けていません。

パレスチナ人は、周期的に失敗を重ねています。これがパレスチナ人の積極的行動主義の運命でした。失敗しているが、パレスチナ人は、ヨルダンに居ようが、レバノンクウェート或いはイラクに居ようが、信念を持ち続けています。生活のあらゆる分野特に信仰がそうでしたね。不幸なことにパレスチナ人は自分自身を一番のイスラム教信者と思っています。つまり、審判の日まで続く戦いの最前線にあって、ユダヤ人を相手に宗教戦争を敢行中、と信じこんでいるのです。


 私がこの一連の態度なり行動なりを批判すると、彼等は彼等でパレスチナ人としての私の立場に疑問を呈してくるわけです…この非難は、男であれ女であれ、馬鹿気たパレスチナの常識から逸脱した者に向けられるのです。よく考えれば、この常識は我が民我が指導者達によって、神聖にして侵すべからずの絶対的真理に変えられたのです。


 ヨルダンでは、パレスチナ人の活動にネガティブな面があり、レバノンでは足を踏みはずして虐殺にかかわり、或いはレバノン問題に介入しました。一番重大なのが、ヨルダンとレバノンに国家内国家をつくろうとしたことです。私が批判すると、この種事件にかかわり、支持し或いは鼻を突込んだ人の大多数が、私の民族的宗教的アイデンティティに当然の如く疑問を呈するわけです。


 イラクの独裁者がクウェートを占領したことに対して、パレスチナ人の愚かで非人道的支持に私が反対すると…そして9/11テロを私が非難すると、彼等は当然の如く私の民族的宗教的アイデンティティに疑問を呈するわけです。パレスチナ人その他ムスリムが、パレスチナパレスチナ大義イスラム化するため、宗教の教典を使っています。その教典は、パレスチナ人が同胞を異端だとか裏切りと非難して殺すのを、宗教の名のもとに許すのです。その教典は、我々やほかのイスラム社会に存在する苛烈な社会的偽善を覆い隠すために、使われてきたのです。私がこの教典を批判すると、彼等は当然の如く私の民族的宗教的アイデンティティに疑問を呈するのです…。


イラクスーダン人民の悲劇はパレスチナ人の悲劇より大きい


問)パレスチナ人評論家の大半はパレスチナ問題を中心にすえて物事を考えますが、あなたはそうではない。パレスチナ問題だけではなく、イスラム(時代)以前の一般的話題や、イスラムと近代的価値観との葛藤なども論じておられる。このような話題を扱われる理由は何ですか。


答)ひとつ一般的傾向があります。つまり、パレスチナ人、アラブ、ムスリムの大半は今尚パレスチナをアラブ、ムスリム大義の中心にすえ、人道上有史以来の大悲劇と位置づけて論じるのです。確かにこれは大きい悲劇であり、パレスチナ人にとって辛い現実です。しかし最大の悲劇ではありません。イラクイラク人民は、サッダム政権下で、そして今ムスリム自爆隊の支配下で、恐怖の生活を送っています。彼等の悲劇は、我々の悲劇よりずっと大きいのです。スーダンスーダン人民特にダルフールの住民は、バシール(Omar Hassan Al-Bashir) 犯罪者政権下にあって苦しみ、その悲劇も、我々の悲劇より格段に大きいのです。人道上道義上私が指摘せざるを得ない問題は、ほかにも沢山あります…。


 イスラムとその闘争に関する私の著作について触れましょう。イスラムが衝突するのは近代的価値観だけではありませんイスラムは我々の社会で中心的地位を占めていますが、つまり思想、信仰、文化等の領域でも、異質のものと衝突します。我々の社会では、政治、文化、経済等すべてがイスラム化されています。あたかも1400年以上も前メッカのクライシ(族)の野営地で生活しているかのようですね。今日、教育をうけた知識層が戦う主敵は、宗教の教典とそれを(食いものにする)者です。究極の目的即ち国家と社会の世俗化、つまり国家と宗教の分離が完了する迄、この戦いを続けなければなりません…。


パレスチナ問題を食いものにするアラブ独裁体制


問)アラブ諸政権は、民主的改革を避ける口実として、アラブ・イスラエル紛争を使います。パレスチナ問題は、独裁体制がやみ、世俗の民主国家が建設されて初めて解決する。あなたはそう信じておられる。しかし大半のアラブ国家ではイスラミストが物事を動かしています。ハマスの例にみられるように、無記名投票の選挙をやれば、イスラミストが勝利する。これが現実でしょう。であるとすれば、変革は如何にすれば起きるのでしょうか。


答)抵抗組織の宣伝機関は闘争を強調しますが、存在するのはアラブ・イスラル紛争であり、闘争ではありません。アラブの独裁体制がこの紛争を食いものにしているのです…民主々義、多元的社会、政界の再編成や大変革といった問題が浮上すると、(改革回避の)口実としてこの紛争を持ち出します。証例ならいくらでもあります。


 紛争の火種を大きくするため、無神経にもパレスチナ問題を利用し、一部のパレスチ人をたきつけるのです。和平努力を妨害するためなら何でもやります。機会は絶対に見逃しません。最近もパレスチナイスラエル交渉を妨害しました。シリアとイランの支配下にあるハマスが、支配者の指示をうけ、ワシントン協議の直前ウェストバンクで二件のテロをやりました。勿論目的は交渉妨害です。紛争解決を阻止するため、歴代独裁政権が使ってきたのが、この手口です。


 我々がこの紛争に終止符をうけたいのであれば、まずパレスチナ問題のイスラム化をやめなければなりません。彼等は(現代の)問題を宗教の教典に書かれていることに従って解釈します。一方人民は教典に依拠し心の奥底では、審判の日、樹木と岩が背後に隠れているユダヤ人を殺せと、ムスリムに呼びかける日まで紛争は続く、と今尚信じているのです。このような状況にある時、この紛争を一体どうすれば解決できるのでしょうか。


 今日、イスラム国家で公正な選挙をすれば、これら諸国の社会にある尊大且つ熱狂的信心を考えると、イスラミストが勝利するでしょう。この(熱狂的信心)が、社会の心をヒジャブで閉ざし、人々を盲目にしているのです。格言にあるように、頭を斧で叩き割らなければ、目覚めないのです。しかしその事態では時既に遅しですね。イスラミスト運動の支配から脱却しようとしても、自力ではできなくなり、国際社会の助けを求める以外手はありません…。


 イスラミスト運動は、民主々義を一時の用と考えています。この方法を借りて権力の座につけば、それで終りです。その後民主々義は刷新禁止事項(bid`a)になるのです。この禁止事項は何であれ、それは逸脱、(地獄の)火に焼かれるのが適当な逸脱なのです。本当のことをはっきり言わなければなりません。彼等の運動は、国家と社会のニーズにこたえることができないのです。彼等の黄金時代は反対の立場にある時だけで、権力の座につくと、たちまち破滅へ向かうのです。


自爆犯はイスラム法の犠牲者


問)アメリカのムスリムは、自分達が迫害され非難にさらされていると主張しています。(実際には)アメリカで生まれ育ったアメリカのムスリムが、ソマリアアフガニスタンのジハード戦場へ群をなして集まっています。アメリカのムスリム青年がテロ組織にひかれるのは、どうしてでしょう。


答)アメリカのムスリムが口にする迫害とは、自分が犠牲者の役廻りを演じているということです。そのようなカテゴリーの話です。ムスリム指導者がムスリム同胞にこの役廻りを押しつけるのですが、その手腕は仲々のものです。現在アメリカには700万のムスリムがいます。アメリカの憲法に従って、彼等はほかの国民と同じように権利と義務を持っています。


 問題は、アメリカ国民や法律ではなく、ムスリム自身にあるのです。アメリカのレバノンムスリムがCIAで機密にかかわる仕事を得ますと、自分の立場を利用して、ヒズボラのために情報を集めますアメリカのパレスチナムスリムアメリカ軍に入隊し、首尾よく任官すれば、戦友を撃ちまくり、13名を射殺し、数十名を殺傷するのです。ムスリム青年は、児童教育から保険衛生まで、アメリカ国民としてあらゆる権利を享受した後、ソマリアアフガニスタンへ行って、同胞であるアメリカ兵を殺すのですアメリカが問題なのではない。問題は宗教の教典にあります。レバノンの女性が機密情報に接する職務を利用して、その情報を外部に漏したり、ムスリム青年が同胞を殺す。イスラムの教えがこれを許すのです。
 いずれの場合も、彼等全員が教えの犠牲者なのです。天国での永遠の生を語る教えに唆かされて自爆する者が、犠牲者の最たるものでしょう…。


問)9/11テロ事件の後、穏健派ムスリムがテレビに登場して、テロリストはイスラムを代表していないとか、彼等が犯した行為はイスラムの教えに反する等と主張しました。過激派やテロリストはコーランとスンナをベースとして行動しているわけであり、そこを踏まえて考えると、穏健派ムスリムは一体どうやって過激派やテロリストと戦うのでしょうか。


答、9/11犯罪から9年経過した今日、この犯罪を非難するムスリム世界の声は、コーランを燃やすと言ったテリ―・ジョーンズ師に対する非難の声より小さいのですテリー・ジョーンズ師の発言は、(9/11)に対するムスリムの非難がおずおずして、ばつの悪そうなトーンを帯びており、(テリ―・ジョーンズ師の意図に対する)激烈なトーンとは対照的であることを、明らかにしたのです…。


 今日に至るまでに、テロリストの首領オサマ・ビンラーデンやこの犯罪の犯人達は異端と明言した人は、ムスリム指導者の重鎮で誰もいません。彼等がジハード・アルタラブ(Jihad al-talab、それぞれの地における異教徒に対する聖戦)を敢行したとし、その聖戦は、全員(ムスリム)に課せられた義務であるが、もし誰かが実行すれば、ほかの者(の義務)を免除する。イスラム教界の重鎮が沈黙するのはそのためであり…(換言すれば)9/11の犯罪は、全ムスリムの代表として(実行犯等が)敢行したことになるのです。


 別の意味もあります。シャリーアによると、9/11テロを実行した者は、所謂穏健派のイスラム教指導者よりも格段に良きムスリムなのです。イスラムでは過激主義に対する穏健主義というのはありません。更に現実の世界をみると、穏健派を自称する人は、金もなければ力もなく、過激派が使うような実行手段もありません。過激派と称せられる人達は力もあれば金も沢山持っています


サウジアラビアの非ムスリムにも礼拝所を


問)あなたは、ニューヨークにコルドバ・モスクを建てることに反対し、これをジャラル(Dharrar)モスクと呼ばれている※2。イマムのアブダル・ラウフ師(Imam Feisal 'Abdul-Rauf) はこの特別な地域にモスクを建てると執拗に言い張っています。どうお考えですか。


答)アブダル・ラウフ師とその支持者達の意図は良い、と私は思います。この特別の地域にモスク或いはイスラムセンターを建設するのは…ムスリム全体とアメリカ国民との和解をはかるため、と師は言っています。その意図が本当に純粋に和解にあるのであれば、アメリカ国民から反対の声があがった段階で、すぐ計画を中止すべきでした。反対の声をあげたのが9/11犠牲者の遺族かどうかは関係ありません。中止する代りに、ムスリムに礼拝所を建設する権利があるという話になり、議論をそっちへ持っていったのです…。


 グラウンドゼロ付近にモスクを建設する件の議論は、尊大に近いムスリム青年の一団の手にかかって死んだ9/11テロの犠牲者の御魂をどう思っているのでしょう。犠牲者の無念に対する配慮が欠けますイスラムの教えは寛容であるとか率直で偏見がないと主張するわけですが、それならそれを証明すべきでしょうイスラム諸国特にイスラム揺藍の地サウジアラビアに非ムスリムによる礼拝所の建設を認めるべきです。それで我々はイスラムの教えが9/11犯罪の犯行組織と結びついているという主張を、くつがえすことにもなります。他者の国内法を楯にとり、モスク建設のためこれを利用しようというのは、他者の寛容を証明するだけで、イスラムの寛容を証明することにはなりません…。


暴力がイスラムの根底にある


問)シリアの哲学者サイード(Jawdat Sa'id) は、(根本原理としての)非暴力を提唱しました※3。これが(ムスリムを)理性の道へ戻すというのです。コーラン預言者の生きかたに証明を見つけようとし、「暴力は暴力を引き起すだけ」と論じました。シリアの哲学者ジャラビ(Khales Jalabi) も同じような提言をしています※4。非暴力をアラブ世界で反対の意志表示や政権交代の戦略とする考えは、いかがですか。又、コーランに(非暴力の)ルーツを探すというサイード師の考えを、どう思いますか。


答、占領反対とか暴君の独裁体制に対する人民運動の組織化など、特定の問題について世界的運動を起す一方法として、非暴力は極めて大切であり効果的です。しかしながら、イスラムの教えに(非暴力の)ルーツを探すというのは、イスラム教の構造と矛盾し、歴史的にみてもおかしいのです。イスラムは(紀元624年の)バドル侵攻とその後の攻撃で従兄弟(ユダヤ人)を倒し、暴力によって始まりました。それから剣の力で東西にひろがったわけです。哲学者のサイードを尊敬はしますが、本人の主張に果して何名賛成するのか。疑問に思います…(ほかのムスリムを)異端視して非難し、世界をムスリムイスラムを受入れていない者の二つに分けるシェイクならごまんといます。そして、どのシェイクでもよい。一人ひとりのシェイクに何万何十万という信徒がいるのです。
 暴力がイスラムの根底にあります。暴力はイスラムのルーツに無いとか、イスラムは快適で寛容な手段を以てひろがったという主張は、イスラムの教典をひっくり返すことになります…。


問)最近、アメリカ安全保障政策研究センター(American Center for Security Policy)が報告書をだしました。シャリーア即ちイスラム法は、アメリカの国家安全保障の脅威であるという内容です。これをどう思いますか。


答)アメリカ国民でないムスリムは、世界で15億人を越えているようですが、この人達がアメリカの国家安全保障上脅威の圏外にいると仮定しましよう。アメリカ国内には700万のムスリムがいます。進んで自爆しようとするムスリムは100人にひとり、いや1000人、1万人にひとりの僅かしかいなとします。このような表現なら、誰も私を裏切り者などと非難しないでしょう。しかし、ものは言いようです。ムスリム10万のうち1人は進んで自爆する者がいるとは言えます。機会があればアメリカの何処かの都市で群集にまぎれこみ、無辜の市民を自爆して殺す人間は、10万にひとりは居るのです。つまり、アメリカのムスリム700万のうち、テロ攻撃を実行する用意のある者が、少なくとも70人は居るのです。9/11犯罪の実行犯は(僅か)19人だったことを考えれば、アメリカの国家安全保障の脅威になる規模であることが判ります。


 責任はこの自爆志願者にはありません。彼等は、異教徒を殺せば天国への道、永遠の生活が保証されると吹きこむ、イスラムの教えの犠牲者なのです。アメリカ国民は、イスラムに改宗しない限り、或いは人頭税(Jizya)を払わなければ、不信仰者です※5。アメリカ安全保障政策研究センターは、正しい結論に到達したと言えます。もっとも遅すぎた感がありますが…。


※12010年10月4日付www.aafaq.org
※2イスラムの伝承によると、ジャラル・モスクは偶像崇拝の家として、そして又ムハンマドの敵対勢力の拠点として、イスラムの敵によって建てられた。預言者が破壊するように命じた。
※3チェルケス系のシリア人ムスリム哲学者。非暴力は、イスラムの教義の一部と主張し、非暴力を提唱している。
※4シリア系のムスリム哲学者で医師、現在サウジアラビアに居住。リベラルな見解記事をよくアラブ紙に寄稿している。
※5コーラン第9章改悛29に「アッラーも最後の日も信じようとせず、アッラー使徒ムハンマド)の禁じたものを禁断とせず、また聖典を与えられた身でありながら真理の宗教を信奉もせぬ、そういう人々に対しては、進んで貢税(人頭税)を差出し、平身低頭して来るまで戦い続けよ」とある。

(引用終)