ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

なぜ保守派なのか

https://twitter.com/ituna4011


日本いまだ独立せず―1966年からの取材秘録』日高 義樹(1996年)集英社https://www.amazon.co.jp/dp/4087802361/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_NuvezbZ18D9X8 … via @amazonJP)


都鄙問答』(岩波文庫 青 11-1)石田 梅岩 (https://www.amazon.co.jp/dp/4003301110/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_.uvezbXDEWMMG … via @amazonJP)

(転載終)
昨日、二冊の中古本が届き、日高氏の本は読了した。石田梅岩については、高校の日本史で習ったのみで、実態を知らなかったので、興味を引かれて注文。

日高義樹氏は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170507)、ジャーナリストとして54年目に相当する2014年1月時点で、出版した本が70冊以上、制作したテレビ番組は無数にあるとのことだが、今年1月中旬に直にお目に掛かった後は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170124)、読み方が少しは変わってくる。煽り立てるような題名、記述に重複や繰り返しが見られること、実現化しなかった記述に対する釈明のないこと等の不足もあるが、ワシントン事情を知らない者に縦横に考えさせる意味はあると思われる。物怖じしない人柄というのか、冷静に計算しながらも、グイグイとどこにでも飛び込んで人脈を築かれたタイプなのだろう。
それに、一冊毎に予測が外れていることも少なからずあるのに、80歳を越えた現在に至っても次々と書き続ける精神力は逞しい限りだ。愛知県出身で亡父とほぼ同い年(著作によっては、出身地と生年が少し異なっている)なので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170202)、背景となる勤務態勢や時代趨勢は、大凡想像できるところではある。
このような古い本を読むと、還暦過ぎても、共和党を辞めても、まだ活動中のダニエル・パイプス氏の若かりし頃の人的環境の一端が伺え、私にとっては非常に参考になる。事実、パイプス先生のお父様の名前が二ヶ所出てくる(p.297, 310)。(但し、前者は「ダグラス・パイプス博士」と間違って提示されている。)
この本で最も興味深かったのは、「序章」のページである。
1959年頃、革新勢力の牙城だったNHK福岡局に配属された日高氏は、デスクと喧嘩の末、「赴任して何カ月もたたないのに取材停止、下宿で謹慎」の処分を受けたという(pp.20-21)。だが、根拠あってのことだったので、「この事件の後は、私は安保政策や日米関係の問題で、基本的には社会党(現社民党)の姿勢を批判しつづけることになる」(p.21)。
そして、転任先の佐世保で四年間、アメリカ海軍の基地を取材し、ベトナム戦争では、「日本のマスコミでは一番乗り」で「第七艦隊の旗艦空母ミッドウェー」に乗り込むことが可能になった(p.22)。
1967年のベトナム移動特派員時代、「社会党ベ平連は、ベトナム最前線で負傷したアメリカ兵が日本の病院に運びこまれるのに反対してデモを行い、アメリカ国民を憤激させていた」そうだ(p.22)。
一方、「暴れ者の若い記者」だった日高氏は、「NHK支局のあるサイゴンにはあまり近づかないよう支局長から警告されていた」らしい(p.22)。だが、そのためにダナン・プレス・センターで暮らし、多くの米軍ジャーナリストと知り合うことができ、ワシントン特派員になってからの「大切な財産」となったという(pp.22-23)。
1970年、ワシントンで配属された取材先がペンタゴンになった時、「日本人記者では初めて」という形容付きで、「ペンタゴン記者室に小さな机と電話をひとつもらうまでにはあまり時間はかからなかった」との由(pp.24-25)。
また、「ブッシュ政権時代には、私の長い間の友人たちがロビイストとして影響力をふるい始めており、そのおかげもあって私はホワイトハウスの公式な部分についてはほとんど木戸御免の自由な行動が許されるようになった」ようである(p.31)。
このように、日本の組織内部では、筋を通そうとしてどこか外されていた日高氏も、「日本はアメリカの対ソ戦略のなかでのみ大事にされており、日本はこの立場を利用してアメリカにどっぷりと甘えていた」(p.30)という文脈において、ある面では、その一部恩恵に与ったのではないかと想像する。または、自力で開拓した人脈づくりの苦労を知らないで、アメリカについて気楽に語っていた論客を、暗に批判されているのかもしれない。
ともかく、若かりし日の日高氏の奮闘振りと、長いご経歴の中で、なぜ一貫して共和党寄りで軍事面に焦点を当てた日米関係のテーマなのか、という理由が明確になった。
繰り返しになるが、やはりインターネット情報だけに依存していては、わからないことがあるということだろう。
さて、フランスの大統領選挙については、以下の論考に目が留まった。過去ブログに関連項目があるので、よろしければご参照を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170423)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20170505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20170509)。

http://ironna.jp/article/6516


『「脱悪魔路線」を進めたルペンを極右批判するのは大間違い』
八幡和郎


・フランス大統領選挙は世論調査のとおり、社会党政権から離脱して左右の不毛な対立からの脱却を訴えたエマニュエル・マクロン前経済相の圧勝に終わった。


・ルペン氏が勝つかもしれないとか、善戦するだろうなどといった識者は反省が必要だし、もうフランス政治のことなど知ったかぶりして書かないほうがよいと思う。


・iRONNA編集部からいただいた「どうしてフランスのような伝統的に左派支持層が多い国でルペン氏が人気を集めるのか」というテーマについて論じたいのだが、議論をいくつかに分ける必要がある。


・ひとつは、フランスではもともと反体制的な極右政党が一定の支持を集めることがあるということだ。そして、父親のジャンマリ氏のときからの国民戦線の成功の原因、ルペン氏になってからの躍進の理由、そして今後の可能性だ。


・フランスでは、18世紀末のフランス革命後もナポレオン帝政、王政復古、7月王政、第二帝政が続き、共和制が安定しなかったが、普仏戦争の後に訪れた王政復古の機会が、フランス王家だったブルボン家が共和派のフランス三色旗を認めなかったことで頓挫し、ようやく共和制が確立された。それ以来フランスの政体では、「革命の伝統を引き継ぐ」という理念に結集することが体制派であることの条件になっている。


必ずしも、狂信的な国粋主義者とはいえない現在のルペン氏と国民戦線が極右といわれるのは、この定義によるものだ。


・ただ、常に「自由・平等・博愛」や「ライシテ」と呼ばれる徹底した政教分離策といった共和国の理念に疑問を持つ勢力が出てきて、保守的な小市民の受け皿になってきた。


・その勢力は、人気のある軍人を担ぎ、政府を武力転覆しようとしたブーランジェ事件や、ユダヤ人を排斥しフランス世論を二分したドレフュス事件に登場し、その敗北の反動から生まれた極右団体「アクション・フランセーズ」や、第二次大戦中ナチスに協力したペタン将軍のヴィシー政府などで中核を担ったのである。


・その後右派諸派の糾合を目指し、72年に国民戦線を結成し党首となる。国民戦線は移民排斥、妊娠中絶反対、治安強化、欧州連合(EU)からの脱退(のちにユーロからフランへの回帰)、国籍取得制限の強化などを訴えた。


・娘のルペン氏が進めたのは「脱悪魔路線」である。国民戦線ステレオタイプな極右政党から脱却させ、国民の広い支持を集める政党に脱皮させた。


・さらにルペン氏は個人の権利や自由、中絶まで含めて女性の権利を擁護し、事実婚や性的マイノリティーに対しても寛容な姿勢を示した。自身も2回の離婚歴を持ち、服装もジーンズを好むなど伝統的な極右主義者の雰囲気は感じられない。


・今回の選挙では、保守派の共和党がフィヨン前首相を候補者に選んだ。予備選ではポピュリスト的イメージで国民戦線の支持者とやや重なるが新自由主義的な経済政策を掲げたサルコジ前大統領、中道左派的でリベラルなジュペ元首相を退け、経済政策では誰よりも新自由主義的だがカトリックの伝統的な価値観に寄り添ったフィヨン氏が選ばれた


社会党を飛び出したマクロン氏は、親EU、移民に好意的市場経済を生かしつつ合理化した上で社会政策を維持するという新しい路線を打ち出した。


・決選投票に残る候補者について、当初はフィヨン氏が確実でルペン氏が2位、マクロン氏がそれを追うとみられた。しかし、フィヨン氏の脱落で、マクロン氏とルペン氏が優勢となり、フィヨン氏とメランション氏の終盤の追撃を振り切ったが、僅差の結果に終わった。


・今後のフランス政治の見通しだが、マクロン与党が左派中心か、共和党を大きく取り込むかたちとなるか分からないし、何より共和党がどのような路線で再建を図るかが問題だ。ただ、今回の選挙で、ルペン氏のEUやユーロ離脱(最終的にはユーロとフランの併用と言っていたが)のような非現実的で、経済の行方に不安を与える政策を放棄し、いずれも運用の見直しをドイツなどに迫るような方向に政策の舵を切れば、極右が不適切な保守政党として、いよいよ認知される可能性も少なくないだろう

(部分抜粋引用終)
最後に、加瀬英明氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B2%C3%C0%A5%B1%D1%CC%C0)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=kase-hideaki)の最新コラム(http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi)から部分抜粋を。

「ロシア2月革命100周年 なぜ日本に左翼理論が根付かないのか」
2017年5月8日


・今年は、ロシア革命をもたらした2月革命の百周年に当たる。


・先週、出版社の編集者がわが家をたずねてくれて、ロシア革命が話題になったところ、「青年時代に左翼に気触れることがなかったのは、渡部昇一先生、小室直樹先生、宮崎正弘さんと」私の4人だといわれた。


・私は高校時代に、アンドレ・ジッドの『ソ連紀行』アーサー・ケストラーの『真昼の暗黒』や、ジョージ・オーウェルの『1984年』とか、『動物農園』を読んでいたから、共産主義がおぞましいものだと知っていた。翼の人々は知的に怠慢で、無知だと思って、軽蔑した


・私は60年安保騒動のあいだ取材のために、毎日、国会周辺に通った。そのために、いまでも全学連の歌』『インターナショナル』から、『ワルシャワ労働歌』『決起せよ、祖国の労働者』まで、国会議事堂を囲んで渦巻いていたデモ隊がうたっていた歌を、うたうことができる。


・国会を取り巻いていた、時には10万人を超えたデモ隊は、改定された日米安保新条約が発効すると、潮が引いたように姿を消した。


・1970年に安保条約を改定することができる、10年目が巡ってきたために、「70年危機」が取沙汰されたが、学生たちが新宿駅を占拠して騒いだほかに、不発に終わった。


・私はこの年に「60年安保騒動」を回想して、月刊『文芸春秋』に寄稿したが、「悪霊どもはその人から出て、豚に入った。豚の群れはいきなり崖を駆け下って、湖に入り溺れ死んだ」という、『新約聖書』の一節を引用した


・私は60年安保の体験から、日本における左翼運動は風俗にしかすぎないと、確信するようになった。


・国会は国の命運を握っていることを忘れてはならない


・3月に北朝鮮が4発のミサイルを発射して、3発が秋田県の沖合に落ちた。北朝鮮は「在日米軍基地を攻撃することを想定した演習だった」と、声明した。


・もし朝鮮半島で戦争が始まったら、日本が北のミサイル攻撃を蒙る可能性が高い。韓国の原子力発電所が破壊されれば、放射能が偏西風に乗って日本列島を覆うことになる

(部分抜粋引用終)

「平和無抵抗憲法」では国民の安全は守れない
2017年5月8日


・今年の5月3日に、現行憲法が「憲法記念日」70周年を迎える。70年前といえば、日本はアメリカ軍の占領下にあって、国旗の掲げることも、国歌「君が代」を歌うことも、禁じられていた。日本国民は自由意思を、奪われていた。


・現憲法には、日本がどの国も当然のこととして持っている、自国を守る権利を否定した前文と、第九条が盛り込まれている。アメリカが日本を永久に属国とすることをはかって、毒を盛ったものだ。


民進党も、共産党も、社民党も、テレビ、新聞も、アメリカに日本国民の安全をまかせておけばよいと思って、属国根性丸出しだ


・中国の脅威も増しつつある。アメリカは“アメリカ・ファースト”を唱え、どこまで日本を守ってくれるものか、分からない


・アジアは風雲急を告げている。アメリカが超大国であることに疲れ果てて、内へ籠りつつあり、世界秩序が腐蝕している。このようななかで、現行の「平和無抵抗憲法」では、国民の安全を守ることはできない。


憲法第九条①は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と、述べている。さらに②で「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と、定めている。


・現行憲法を全面的に改正するために、時間的な余裕がない。それであれば、せめて第9条2項だけでも、大急ぎで書き直して、「国家の独立を守るために、自衛軍を保持する」と、うたいたい。楯となる自衛隊員に、防人(さきもり)としてふさわしい地位を与えたい。

(部分抜粋引用終)