ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

スウェーデンのこと

最近、日本でもスウェーデンにおけるムスリム移民の問題等が注目されているようだが、そもそも、なぜ突然のようにスウェーデンが脚光を浴びているのか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%B9%A5%A6%A5%A7%A1%BC%A5%C7%A5%F3)、興味深いところではある。
恐らく、You tubeの映像や、アメリカ発の記事や論考文等に感化されて、日本語のブログでも書く人が増えたのかもしれない。
パイプス訳文にも、スウェーデン記述が少しある(http://ja.danielpipes.org/article/12508)(http://ja.danielpipes.org/article/13393)(http://ja.danielpipes.org/article/14000)(http://ja.danielpipes.org/blog/14703)(http://ja.danielpipes.org/article/15348)(http://ja.danielpipes.org/article/16086)(http://ja.danielpipes.org/article/16868)(http://ja.danielpipes.org/article/17269)。
実は、パイプス先生のスウェーデン着目は、かなり前の2005年ぐらいからのことである(http://www.danielpipes.org/blog/2005/09/swedish-follies)。
昨年9月下旬にストックホルムを訪れて、スウェーデン議会の建物の中でブリーフィングを受けた時には(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161007)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161008)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161017)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170131)、議員さんから「ダニエルさんとは、かれこれ何年からの付き合いです」というご挨拶があった。その時、旅団メンバーの中には(ほうっ)と感嘆のため息を漏らす人もいた。つまり、ネオコンとかシオニストとか「イスラエル・ロビー」等と盛んに悪口を叩かれていた2006年から7年の頃(http://ja.danielpipes.org/blog/11560)(http://ja.danielpipes.org/blog/11775)(http://ja.danielpipes.org/article/14741)、ただイスラエルアメリカの外交政策や中東のイスラーム問題だけに取り組んでいたのではなく、かなり広く欧州にも目を光らせて、各地で人脈をコツコツと築いて来られたのだというお仕事ぶりが確認できたからでもあった。
あの旅行は、私にとって非常に集中度の高い、濃密な経験だったが、驚いたことに、英語圏のネイティブの人達でも、必ずしも帰国後すぐにではなく、数ヶ月経ってから、あるいは最近になってからでさえ、新聞や雑誌等に体験談や考察を投稿しているケースも案外にあることに気づいた。つまり、半年過ぎてようやくブログに書き始めることのできた私のスローテンポは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170327)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170329)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170401)、それほどスローでもなかったようなのだ。
スウェーデンの現状について、話を戻す。歴史背景を少し学ぶと、俄然、納得がいく。
日高義樹氏の『アメリカ・シンドローム講談社(1983年)を読んでいたところ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170202)、以下のような記述が目に留まった。私自身のメモを抜粋する。

ストックホルムの繁華街−新しいスウェーデン議会−反核族(p.149)


ノルウェーデンマークが武力でナチス・ドイツに占領された→スウェーデンは先手を打ってナチスに協力体制して占領を避けた(p.150)


スウェーデン国際平和研究所←ソビエトに全面協力:日本や第三勢力国家の平和運動家の理論のメッカ・進歩的学者は一度は訪れたい(p.151)
←データが平和集会の壇上で発表されているが、ソビエト政府の公式発表をつなぎあわせただけのもので、それ以上の実質つかめず(p.156)


・形は平和運動(p.151)


スウェーデンの兵器輸出問題の三原則(1)外国攻撃☓(2)反政府ゲリラ☓(3)‘侵略’戦争☓←本音論すらない(p.152)


スウェーデン:フランス系国王+ドイツ系王妃(p.160)

結局、日高氏によれば、「形だけをととのえる」スウェーデンのやり方は、プロシアナチス・ドイツソビエト等の「強大な国に囲まれた弱小国の生き残りの策略」(p.153)なのだという。
上記の日高氏の記述は1980年代前半のご著書からのものだが、今のような時代、インターネットのみならず、時には図書館で借りる等して古い本にも目を通す価値は、特にあると思われる。例えば、ニューヨークでは国連の地位が極めて低く、「何となく胡散臭い」のだとも記されていた(p.165)。なぜならば、「ソビエト・スパイの巣窟」であり、「アジア・アフリカの外交官のたまり場」だからなのだという。そして、国連職員のレベルは「国際的あぶれ者の集団」なのだそうだ(p.165)。
だが、当時学生だった私の記憶によれば、「国連」と言えば、明石康氏の活躍ぶりがメディアでも広く報道されていた上、資格としての英語検定には「英検」と並んで「国連英検」の勧めが広くなされていたはずである。
開明的な精神を持った若者が、憧れと理想を抱いて国連職員になったケースも少なくなかったのではないだろうか。
繰り返すが、我々としては、ニュース報道のみでスウェーデンの現状を批判するのではなく、このような歴史背景を知っておく必要がある。
現在、スウェーデン国家は、‘生き残り’として「人道支援」を名目に、高度福祉社会の看板を高々と掲げて、大量にムスリム移民を呼び込んできたのだろう。
ならば、日本でも「人道大国を」という呼び掛けに対して、どのように反応すべきか、過去から学べば回答が導かれることだろう。