ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「アメリカ製日本憲法」

http://japan-indepth.jp/?p=29728


2016年8月21日
アメリカ製日本憲法の真実 バイデン発言の波紋」
古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授
古森義久の内外透視」


・バイデン副大統領は8月15日、ペンシルベニア州での演説で共和党の大統領候補ドナルド・トランプ氏を批判する中であっさりと語った。
「核保有国になれないとする日本の憲法を私たちが書いたことを彼(トランプ候補)は知らないのか」


・日本側ではとくに現行憲法を絶対に変えるなという陣営をとまどわせたようだ。朝日新聞などバイデン発言は「戦後の歴史を無視する」と書いた。そのうえに「憲法起草では日本の研究者たちの意見も参照された」とも書いていた。いずれも史実に反する反応である。朝日新聞は自らが歴史の糊塗を図ろうとするかのようである。


日本の憲法アメリカが書いたという事実など日米史に関心のある人たちの間では常識だからだろう。


日本国憲法はまちがいなくアメリカによって書かれたのである。その作成のプロセスで日本人が活動したというのも、これまた根拠のない虚報だといえる。まして日本の国会が議論というのも、そもそも日本は当時、独立国家ではなく、占領地域だったのだから、そこにまともな意味での「国会」が機能しているはずがない。


・私がここまで明言できるのは、日本国憲法の生い立ちについて長年、取材し、調査をしてきた結果があるからである。なかでも決定的なのは日本国憲法起草の実務責任者チャールズ・ケーディス氏から作成当時の状況を詳しく聞いたことだった。ケーディス氏の証言の全記録はそのまま今日にいたるまで保存してきた。ケーディス氏にインタビューしたのは1981年4月、彼の弁護士としてのウォール街のオフィスでの長時間の質疑応答だった。


日本国憲法1946年2月3日からの10日間で連合国総司令部(GHQ)の軍人ら20数人のアメリカ人により一気に書かれた。マッカーサー総司令官が日本側に草案作成を命令し、その産物の「松本試案」がA案もB案も米側の意向に反するとして排された結果だった。占領軍当局は日本側が自主的に作成した新憲法草案を完全に拒んだのである。そしてアメリカ側が独自に新たな草案を書いたのだった。


GHQ民政局次長で弁護士だったケーディス氏の証言によると、東京の第一生命ビル内での憲法作りはすべてアメリカ人だけで進められた。その間に朝日新聞がいま伝えるような「日本人研究者たちの意見の参照」などまったくなかった


・中核となる起草運営委員会を構成したケーディス陸軍大佐、ラウエル陸軍中佐、ハッシー海軍中佐の3人が憲法前文を書いた。憲法全体11章の各章ごとに委員会を作り、法務経験のあるアメリカ軍人が責任者となり執筆した。9条のある第2章はケーディス氏自身が書いた。内容はアメリカ本国政府やマッカーサー元帥からのごく大まかな方針に沿うだけで、実務担当者に驚くほど大きな裁量が与えられていたという。


・「天皇は国民統合の象徴」という表現もケーディス氏らがふと考えついた結果だった。「戦争の放棄」には逆に上からの指示で「自国の安全保障のためにも」という字句があったが、同氏の一存で削除した。いくらなんでも自国の防衛をみずから禁じる人間集団が国家でありうるはずがない、というのがケーディス氏の当時の考え方だったという。とはいえケーディス氏はアメリカ製の日本国憲法の最大の目的は「日本を永久に非武装のままにしておくこと」だったと総括した。


・ケーディス氏は1946年2月13日のGHQから日本政府代表への公式の憲法提示の会合についても詳しく語った。外務大臣公邸でのこの会合では民政局長のコートニー・ホイットニー准将が吉田茂外相らにもしこの憲法案を受け入れなければGHQ権限で国民投票に付すと迫ったという。占領下の日本国民の対応は目にみえていた。


・いまの日本での憲法論議でこうした憲法の出自をあえてぼかすことは不健全である。バイデン発言はその憲法の歴史へのドアを邪気なく開けたということだろう。日本国憲法は疑いなくアメリカ製なのである。

(部分抜粋引用終)
またもや、朝日新聞の快挙!
韓国の憲法の一部は、日本国憲法のある箇所にそっくりのところがある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131109)。もう一度、読み比べてみたい。そして、その背後の意図を探るならば、地政学的に、朝鮮半島と日本を米国側がどのように見てきたかが自ずと理解できるようになる。
また、弁護士資格を持つケント・ギルバート氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160809)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%B1%A5%F3%A5%C8%A1%A6%A5%AE%A5%EB%A5%D0%A1%BC%A5%C8)が「憲法を書くのは実は簡単」と公言されているが、そのことは、上記の古森氏からも裏付けられよう。国防についての明確な規定がない現日本国憲法は、法学試験ならば「落第」で「書き直せ」と突き返されるらしい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160308)。
私の学生時代から「アメリカから憲法を押しつけられた」と騒いでいる人々がいたのは知っていたが、今頃でもまだ子どものように反発している人達がいるのは驚きだ。それよりも、(1)敗戦国とはそういう処遇を甘受しなければならない運命にあること(2)当時の日本人は、戦後の焼け野原の中、日々の暮らしの立て直しに精一杯で、とにかく「戦争が終わったこと」に安堵し、新しい憲法で新しい日本を建設するのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091221)、という夢を抱いて、意欲に燃えて経済活動に邁進していった経緯を踏まえるべきではないだろうか。
日本国憲法に不満があるならば、もっと早く、せめて数十年前には修正ないしは改憲していなければならなかったのに、今でもまだ指一本触れられていない。それを踏まえれば、これが日本人の特徴を表しているとも言えるし、だからこそアメリカが日本に対して兄貴分のように振る舞っていたというプロセスも理解できる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131127)。本州でも沖縄でも、現実的で賢い人なら「アメリカさんとは何とかやっていますよ」と小声で囁いていたのも思い出す(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120131)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120316)。
マレーシアにいた1990年代前半、イスラーム改宗してインドネシア女性と結婚し、マレー語の専門家として大学で教えていた日本人男性と知り合った。その人の研究室に行くと、日本語で話せる相手が嬉しいのか、長々と時間を過ごす羽目になったが、今から振り返ると、大事なこともおっしゃっていたことに気づく。
一つ記憶に残っているのが、「マレーシアに住むなら、マレーシアの憲法を最初から最後まできちんと読まなければならない。日本から研究者が来て、マレーシアの調査をすると言っても、憲法さえ読んでいない人が多い」という指摘だった。イスラーム法によるマレーシアの全面統治を目指して邁進中のムスリム世界に浸っている人だったから、当然のことを口にされただけなのだろうが、考えてみれば、日本国憲法のことでさえ、メディアも大学の学者と呼ばれる人々もこれほどまでに混乱しているのだから、推して測るべし。
リサーチ目的から、マレーシアの憲法を私は読まざるを得なかった。マレーシアに行く度に、新しく憲法の本を書店で買い求めている。今では何冊も本棚に並んでいる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080330)。お陰様で、自分の国に対して別の角度からの視点が与えられた。その意味では、この一連の経験を非常に感謝している。