ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ダグラス・マレイの新保守思想

2月3日の右目の炎症が実はヘルペスだった、という話を書いたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170313)、今日に至ってほぼ回復し、左右両目が同じ大きさに戻り、白目も同じ状態になっている。
....と、午前中の眼科で診察を受けてわかった。目薬も軟膏も回数を減らしつつあるが、さらに減らすことになった。次は二週間後の診察とのこと。
やはり、思い切ってセカンドオピニオンを受けてよかった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170306)。
こんなに長い間、複数の目薬を使ったのも生まれて初めてだが、こんなに症状が長引いたのもショックだった。
発症当日のことを思い返すと、用事を重ねて済ませようと思い、次々と動き回っていたのだが、夕方、自転車で帰宅する途中、足の裏がこむら返りを何度も起こし、しばらく自転車から降りて休んだ。相当、疲れていたのだろう。風邪と寒さとで、余計に負担がかかっていたらしい。
また、当初、目薬が合わないと気づいた段階で、週末であっても緊急医療でヘルペス内服薬を飲んでいたら、また違っただろう。
それに、一度迷った時に今の眼科ですぐに受診していれば、もっと軽く済んだかもしれない。
...と、反省点はいろいろあるのだが、まだ額と右側のこめかみの赤い発疹跡が残っていて、虫唾が走るような感覚があるので、眼科の後で皮膚科にも立ち寄った。
こちらは、いつでもほぼ待ち時間のない眼科と異なり、待合室が満員で、30分ほど待たされた。
結局、そんなにすぐにはきれいに発疹跡が消えることはないらしく、様子見だとのことだった。また、髪の毛を染めるのも、「待っていたらいつまでもできないから、どうぞ」とのことだった。
結構、時間が経ってみると、いろいろと客観的に見えてくるものがある。
この二ヶ月、のんびりした時間を過ごしたが、その代わりに、ダグラスさんの新保守主義のお勧め本もやっと読み上げられたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170316)、よかったとしなければならない。
出版当時、まだ27歳だった2006年の時点で、「私の世代は」と、堂々とアメリカのC−SPANの講演でも述べていた(http://itunalily.jp/wordpress/)。聴衆はやや少なかったが、質疑応答は活発だった。
イラク戦争の混乱は、ネオコンのせいではない」と落ち着いて言い切り、「マーガレット・サッチャーネオコンだと私は見なしていないが、英国政治史上、珍しくも最高の政治家だった」などと断言されていた。
あの内的自信に満ちた静かな落ち着きは、さすがに英国人だけある。かつての日本高文化の基準とも相通ずるものであるはずだ。
本の中では、「大学は、入学のクォータ制を廃止して、社会投資に見合う義務を特権と感じる知的エリートを提供すべきだ」「大学拡張による無駄なコースや二流大学は、災難である」「入学許可は少数精鋭主義にすべきだ」(pp.172-3)「政府系の州立学校は、(少数のユダヤ系学校を除き)キリスト教にすべきだ。伝統的な価値教育から子ども達が益を受けると、次世代は国の文化的霊的遺産とつながる」「モラルと宗教的枠組みの中で育った子どもは、自由で責任ある市民として、最高の方法に位置づけられる」「アメリカの子ども達を育てるのに最高の方法は、ユダヤキリスト教倫理と道徳の中で育てることである」(pp.175-6)というような主張が書かれていた。
これなど、25年以上前までの日本でも、今よりは通用する話だったのではないか。
但し、宗教と学校の関係について、私には異論がある。彼がそのように主張できたのは、最初に通っていた政府系のグラマースクールのモラル低下を心配したご両親が一年で止めさせ、その後は、ロンドンの有名なカトリック系私立校で教育を受け、お父様の知り合いの音楽の先生とも巡り会い、そこでイートン校やオックスフォード大学につながる良いチャンスを得たからでもあろう(https://www.spectator.co.uk/2011/09/chance-of-a-lifetime/)。
それに、英国のキリスト教系学校は、今やクリスチャンの生徒よりもムスリムの生徒の方が多いと聞く。ある場合は、学校名はキリスト教であっても、内実はムスリム学校のようになっているという英文記事も、よく目にするところである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20170325)。
(英国ばかりではない。ダグラスさんとご一緒させていただいた昨年9月の欧州旅行の際、フランスのカトリック学校について、モダン・チャーチの司祭に私は質問した。「フランスのカトリック校では、ムスリムの教師もいますか?」その質問に先立って「ムスリムの生徒もいる」ことが前提となっていたが、私に対する返答は、勿論、ウィであった。その時の旅団の雰囲気としては、「フランスは何をしているのか」という苛立ちと落胆が入り混じったものだったと記憶している。)
そして、キリスト教左傾化もさることながら(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150402)、ドイツ神学の本文批判のように、聖書を細かく刻んで分析に分析を重ねた結果、基準が徐々に変化していき、ついには何を信じているのかわからなくなってしまった事例があるからだ。
最近の「地球市民」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141020)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150926)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161230)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161231)だの「多文化共生」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C2%BF%CA%B8%B2%BD%B6%A6%C0%B8)だの「自分らしく生きる」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160225)だの「あるがままの自分でいい」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160515)だの「お互いに認め合って」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131001)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)だの「文化相対主義」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%CA%B8%B2%BD%C1%EA%C2%D0%BC%E7%B5%C1)など、一見もっともらしく、実は国力低下に結びつくスローガンなどは、混乱と雑多さと能率低下につながるだけだと、早く気づかなければならない。
ただ、かつての旧宗主国としての大英帝国の栄光を持つ英国人だからこそ、若くして言えたことでもあろう。
ロンドンなど、1986年に初めて国会議事堂辺りも歩いたが、その頃から既に旧植民地出身者が目立つことにも気づいていた。例えば、地下鉄のアナウンスなどは、日本語の丁寧さとはうって変わって、ぶっきら棒で必要最小限の単語のみ。車掌さんを見ると、明らかに白人ではなかった。
その時、(日本の車内アナウンスは余計なことを知らせている。「傘をお忘れなく」「忘れ物のないように」など、あたかも子どもに注意しているかのようだ)と思っていたが、それは、あの頃人気のあった犬養道子氏の本(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090317)に影響されていたからでもあった。だが、今思えば、長々とアナウンスすると、かえって理解できない人がいるからではなかったのか。
さて、時代は下って、最近のロンドン議事堂前のテロ事件について、ダグラスさんが次のようなコラムを書かれた。

https://blogs.spectator.co.uk/2017/03/pray-london-antwerp-nice-europes-new-normal/


Pray for London, for Antwerp, for Nice: this is Europe’s new normal
Douglas Murray
23 March 2017

(部分抜粋終)
その後、ツィッターで告示。テレビで10分ほどの討論をしたとのこと。

https://twitter.com/DouglasKMurray)@DouglasKMurray


I was on Sky earlier, discussing the London terror attack with Adam Boulton and Ajmal Masroor: https://www.youtube.com/watch?v=kj1K10ZwUP8

(転載終)
私もツィッターhttps://twitter.com/ituna4011)から転載を。

ダグラス・マレイさんの話は、筋が通っていて常識的。今回のロンドン議事堂前テロについては、「52歳という最高年齢」がポイントだとおっしゃっている。ムスリム側が口を挟もうとすると、まず制止して続けた後、ウンザリした表情をされていることに注目。

討論者のAjmal Masroor氏は、最後に「自分には二人の子どもがいる」と口走ったが、その含意を汲み取ること。彼はバングラデッシュ系二世の英国人ムスリムだが、配偶者はハンガリー系女性でイスラーム改宗した。つまり、英国人ムスリムの人口は、自然増加するという含みである。

(転載終)
ダグラス・マレイさんについては(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170316)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170317)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170318)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170320)、やはり英国人気質の方で、背景文脈を理解せずに、発言を文字通り取ると馬鹿を見ると私は思う。討論やスピーチでは、その場の趣旨に合わせ、いわば言葉のアヤで論理を組み立てている面がある。
例えば、ムスリム改革運動の推進者の一人である「カラチ夫人」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170320)とパネリストとして仲良く一緒に活動していても、イスラームの改革については、アメリカの福音派がメインの読者である雑誌『世界』には「少し悲観的だ」とおっしゃっている。この執筆者のジルさんとは、昨年9月の欧州旅行でご一緒し(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161007)、名刺もいただいた。

Worldhttps://world.wng.org/2017/02/northern_migration


Northern migration
4 March 2017
by Jill Nelson


Can Islam reform?
He is “slightly pessimistic”: There’s little willingness to admit what the problem is and reformers face untold obstacles.

(部分抜粋引用終)
私の見るところ、長年、「イスラームは改革できる」(http://ja.danielpipes.org/article/13899)と主張されてきたダニエル・パイプス先生と一緒に活動していても、実は懐疑的な人の方が欧米人には多そうだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170320)。
例えば、早くも4年前のことになるが、郵便配達人を装ったムスリム移民から自宅で頭部を危うく襲撃されそうになったデンマークのラース・ヘデゴー氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130207)も、「懐疑的だ」とおっしゃっている。
それは、欧米人に問題があるからではない。ムスリム世界全体の問題なのだ、と軸を据えなければならない。
但し、イスラームに関する見解には各自の理由があり、それをどのように表現するかが、分かれ目のようである。