ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

オマーンと日本

まずは、フェイスブックhttps://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)の転載から。

21 March 2017


日本にとってはオマーンは「親日国」だというイメージが広まっているので、特に驚くべきことではありませんよね?


「最も驚くべき中東の国オマーン
2017年3月15日
http://ja.danielpipes.org/17404/

(転載終)

親日国」という用語について、今回の場合は条件付きで私は使った(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170124)。

理由
1.オマーンで実践されているイスラームは、イバディ派(イバード派)という極少数派であること。
2.オマーンの現スルタン・カブース・ビン・サイード国王の叔母は、日本の血が半分入ったプリンセスであること。
3.オマーンと日本の友好外交の重要性は、石油タンクを積んだ船が通過するホルムズ海峡の治安維持からも、言うまでもないこと。

オマーンの王族の中に日本人の血が混じっているという話は、昨年2月に日本でもテレビ放映されたそうなので、ご存じの方がいらっしゃるかと思う。私は見ていないので知らなかったが、訳文作成のために、少し調べてみた。
今のカブース国王の祖父に当たるスルタン・タイムールが、戦前の神戸に来られて、ダンスホールで見初めた日本女性を娶り、三年ほど神戸で暮らしたようだ。その日本女性は、病気のために二十代で亡くなったが、その間に生まれた娘さんが、今はマスカット在住のプリンセスである、と知った。

オマーン日本大使も、2013年9月22日付『オマーン・タイムズ』紙上で、そのことに少し触れられている。
http://timesofoman.com/article/23443/Oman/-Japan-and-Oman-enjoy-robust-economic-ties
大使の記述によれば、オマーンのマスカットを1924年に訪れた日本人地理学者との縁で、スルタン・タイムールが1935年に神戸に来られたとある。
そもそも、オマーンと日本のつながりは古く、1619年にはエルサレム巡礼の途上でオマーンに立ち寄った日本人クリスチャンがいたとのことである。

ともかく、今の日本語のインターネット情報では、王位を捨ててまで大山清子さんという日本女性との愛を貫いたという美談が誇張されて伝えられているような印象があるが、実は第四夫人に相当し、オマーンには既に三人の妻がいらしたとのことである。さらに、大山清子さんが夭逝されたからでもあろうが、英語情報によれば、このスルタン・タイムールは計六回結婚し、息子が五人いるとのことである。ただ、そのことは、日本では一般向けに触れられていない模様である。
そもそも、なぜスルタン・タイムールが1932年に王位を放棄したかと言えば、時期的に考えても日本女性との「純愛」のためではなく、むしろ、当時のオマーンの経済事情が関係していたようでもある。
https://en.wikipedia.org/wiki/Taimur_bin_Feisal
従って、現カブース国王の父であるサイード・ビン・タイムールが、若くして借金を背負わされて王位を譲られた後に、鎖国政策のような統治をし、その後、開明派の実の息子(現国王)に宮廷クーデターで地位を奪われたという背景は、日本側の純愛仕立ての説明では理解できないことになる。

それはともかくとして、1990年代前半のマレーシア勤務中に、日本人外交官が書き、国際交流基金が発行したオマーンに関する本を私は読んでいたので、オマーンが中東アラブの中でも格別な国だということを知っていた。だから、もし9.11テロ事件の発生により、中東イスラームムスリム全般に関して否定的な目を向けることで世界情勢が悪化することを防ぎたいならば、オマーン事例をなぜ出さないのか、と不思議に思っていた。

2014年12月12日付で、拙訳(http://ja.danielpipes.org/article/15287)を提出した際、パイプス先生に「では、オマーン(やクウェート)はどうですか」とメールで尋ねた。優先順位としては、荒々しく米国や欧州にとって脅威になる標的をまずは取り上げる、ということのようで、返答では何も触れられていなかった。それよりも、カタールのような奇妙な政策を取っている国について、何かわかれば書きたい、ということだった。

その後、書かれていないことを見ると、充分な情報が集まっていないので、いい加減な話は書けない、ということだろうと私は理解している。

私が常に思っていることとして、外交は外交、研究は研究、調査は調査と分けなければならないということだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120126)。最近では、何もかも障壁をなくすことが平和共存と多様性の力の発揮であるかのように簡単に語られるが、単純に言えば、それは混乱と平板化と抑圧と水準劣化を生むだけである。
例えば、オマーンについて、日本女性の血が半分王族に入っている事実を日本外交面で活用することに、私は全く異論はない。だが同時に、そのプリンセスが殆ど表に出て来ない様子を見ると、内実は複雑なのであろう、という想像力を持つ必要は、我々にとって最低限の常識である。
また、日本のテレビで一般向けにオマーン事情を知らせ、視聴率を稼ぐためには、多少の(かなり?)脚色と事実誤認も含めてムード作りをする必要もあるのだろう。だが同時に、中東の現実を客観的に正確に知らせることは、我が国の安全保障の観点からも、メディアの倫理である。