ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

宜なるかな

有名な著述家を批判的に書くことは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170205)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170206)、一般素人にとって、とても勇気とエネルギーが要る作業である。
先月下旬からの風邪がここしばらく長引いたことに加え(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170124)、さまざまな疲労やストレスが相当に溜まっていたのであろうか、先週末からとんでもない疾病に罹患してしまった。今はとても外出できるような顔ではない。
「薬をしっかり入れて安静にするように」と言われて、今週は仕事をキャンセルし、最低限のことだけをしながら、休養することとした。
これを機に、2月と3月はペースダウンして、ゆっくりと家の中の片付け物をしよう。
一昨年撮った自宅の部屋の写真を見ると、それほど散らかっているわけでもないのだが、どういうわけか、私の心象風景では常に落ち着かなく、物事がすっきりと整っていない。一つは、各種メディアによるいい加減な思想の吹聴に惑わされていること、自分のやってきたことに収まり所が見つかっていないこと等が挙げられるだろうか。
違和感を覚える度に、自分の視野の狭さのためかと反省してみたり、もっと読書幅を広げて知識を身につけなければと思ったりもしたが、案外に、そうでもなさそうである。
もっと早くから判断できればよかったのに、とも思う。
自分に合わない思想や、出鱈目な文章を書く人とは距離を置き、長年集めて積み上げてあった資料なども、すっきりと整理整頓して、今後に備えたい。
佐藤優氏について、講演会での直接の経験を基に、やや批判めいたことを思い切って綴ってきたが、今調べてみると、もっと前から、遥かに詳しく説得力のある批判がインターネットで出ていたのだった。

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070309


2007年3月9日
佐藤優再論」 


・しかし、単にその閲歴でもてはやされているだけで、言っていることは、多量に読書をしたちょっと頭のいい若者の思いつきの域を出ていない。ある仮説を、学問的に多方面から検証することができていない。ただ珍奇な説を断定的に述べているだけである。

(部分抜粋引用終)

http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20100214/1266146782


2010年2月14日
佐藤優氏の「知の欺瞞」


・こういう訳の分からない自称「人文系」的な言説が跋扈するからこそ、理系人間はいつまでも迷惑を被ることになるのである。

(部分抜粋引用終)

https://meteorite1932.wordpress.com/


2014年3月19日
佐藤優を斬る──なぜ佐藤優はデタラメな議論をしているのに評価が高いのか」


・私は『国家の罠』から読み始めて佐藤のファンになり、一時は彼の著作を熱心に買い漁っていたものですが、あるとき彼の思考法や著述内容のデタラメに気がつき、読むのをやめました。今ではそれでよかったと思います。
佐藤優の議論のほとんどは、持ち前の知識や教養を、何の関係もない社会現象や事件と無媒介に結びつけて論じただけのデタラメである。
佐藤優は議論だけではなく、その知識や教養もデタラメである。きちんと本を読んでいれば絶対にしない誤解や誤りを書いているからである。
・「知識の誤りは誰にでもある」「些細な誤りにすぎない」と佐藤を擁護する人が多いが、的外れな擁護である。佐藤の議論の誤りは知識ではなく思考法にあるからであり、看過できない本質的な誤りだからである。
・悪質なのは、佐藤が単に知識や教養を現代社会と繋げているだけではなく、知識を曲解し、恣意的な形で繋げることによって自分の主張を補強していることにあります。
佐藤優が支持される理由とは、一見役に立たない知識や教養を使って社会を見事に分析している(ように見せる)ことによって、読者の知識欲や教養主義を満たすとともに、頭が良くなりたいというスノビズムをも満たすことにあります。
佐藤優いい加減な議論の弊害が最も大きいのは、実はキリスト教ではないかと思っています。
・さらに厄介なのは、佐藤が正確な学術的解説を放棄して、甘い言葉を投げかけて誤ったキリスト教理解を喚起することです。

(部分抜粋引用終)

実際に現場で担当者に会って話を聞き取り、内部資料も入手して読み、参考文献を集めてコツコツと調べ事を続けてきた私が、何だか馬鹿みたいな気がしたのも、上記から(宜なるかな)であった。