ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

生き残るための独学

まずは、メーリングリストから抜粋を。

千田琢哉『生き残るための、独学。』を読み解く


・英検1級クラスになるとさらにハイレベルで、もはや学歴は関係なく、幅広い教養を持った人が多かった。

(抜粋終)
「生き残るため」に「独学」を続けることには賛同するが、上記の文には同意できない。というのは、私も20年以上前に英検一級に合格したが、とても「幅広い教養」どころではないからだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070712)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130207)。
「英語を活かして仕事をする」というキャッチフレーズが流行っていたのは、私の学生時代だったが、今や英語はできて当たり前。それ以上に、もっと国語を磨き上げなければならない。それこそが教養の基礎である。
高校の同窓会の資料が届いたこともあってか、最近、高校時代の数学や化学の授業を思い出す。文系クラスだったが、私は数ⅡBや数Ⅲや化学が好きだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070721)。
成績とは別に、複素数三角関数微分積分等の抽象概念を考えることも、好きだった。
ある時、廊下を歩いていたら化学の先生から声が掛かり、早朝補習の少人数のクラスに入れていただいたことがある。基本を再度、簡単に説明されて、プリントの応用問題を解きながら復習を固めていく方式だったが、予備校や塾に行かなくても高校の先生に僅かな謝礼で見ていただけるということで、母方の祖母や両親が「安上がり」だと喜んでいた。でも、自分では「できん子クラス」なのだと思い込んでうつむき加減だったことも、この頃になると思い出すところである。
野村先生(渾名は「V先生」)、誤解していてごめんなさい。本当にあの時は、熱心なご指導をありがとうございました。
文系だからこそ、数学や化学の知識を持たなければならない。論理性を訓練するためにも、必須である。
逆に言えば、理系だからこそ、文学や歴史の知識を持たなければならない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180719)。しっかりとした世界観を持ち、人間を深く知るためにも、必須である。
今の時代は、文理共同プロジェクトが増えているようだが、それは相当に優秀な人達の集まりに限られる。そもそも、学的境界線を限りなく曖昧にすることの思想的基盤は、どこにあるのだろうか?
高校時代に「赤点」は一度もなかったが、残念ながら物理が全く駄目だったので、理系はあきらめた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100726)。
もしも理系に進んでいたら、医学部の保健学科か薬学部で学び、専門職として働いていたことだろう。
今の私は、結婚後一年で診断を下された脳神経の進行性難病患者である夫(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BF%CA%B9%D4%C0%AD%C6%F1%C9%C2)の私設アマチュア看護婦として、毎日イキイキと活躍中である。今日も早朝6時から部屋の中で転倒したので、私の貴重な資料や本を血だらけにし、数時間を無駄にした。
このようにして、私は家の中で「結婚しても輝いて働き続ける」女性の代表である。
所属学会では、私達の払った学会費から、小さな子どもを持つ研究者に子育て支援金が渡されているが、難病患者を配偶者に持つ私のような研究者には、当然のことながら、誰も支援金を出さない。配偶者が難病になったのは、当該学会とは無関係だからである。要するに、「自己責任」。
従って、節約できるところは節約し、若い頃に海外で一生懸命に働いて貯めたお金を使って、タイマーを掛けながら、毎日分刻みで勉強している。何事も先回って考え、常に時間との競争である。
勿論、マレーシアの研究テーマは絶対にまとめていく。論文に仕上がらなければ、今ではヴァチカンの枢機卿をされているクアラルンプールの元カトリック大司教をはじめ(http://jams92.org/pdf/NL27/27(24)_tsunashima.pdf)、長年にわたって貴重な内部資料をたくさん複写で分けてくださった多くの地元のリサーチ協力者の人々に、大嘘をついたことになる。
日本人としての信義が問われている。
夫の病気の性質と先行きの見通しを考慮の上、人生を「論理的に」考えて30代の頃には必死に頑張っていたのに、研究会では「毎回発表するな!」「私はぁ、エリートでぇ、頭がいいけどぉ、この人何やっているの?」「三年ぐらい、発表を休みなさい。毎回しなくてもいい」「あれこれ本を読むな!」「えらくなりたいんですか?」「マレー語って、英語のできない人がやるんでしょう?」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140524)「集めた文献リストは、『ついでだから載せました』という感じで、全部不要です」等と、変なコメントをする同世代の研究者や教授が目立った(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100423)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100716)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101231)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120304)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140324)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141204)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161205)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170103)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170124)。当時は、自分が地方出身者で大した学校を出ていないから、そのように言われるのだと思い、ますます頑張らなければと、キリキリと思い詰めていた。
父方と母方の大正生まれの大叔父達が理系の大学教授だったことを思えば(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161219)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170711)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180708)、その何分の一かは血を受け継いでいるはずの私にも、何か世の中に貢献すべきことがあるはずなのに、何たることかと反省ばかりしていた。
今ならば、ブログを書いて生活記録と勉強ノートを公表し、自分なりにさまざまな角度から考えた結果、何が原因でそのような成り行きになったかが明快である。
最も大きな要因としては、専門性が高いだけで、教養が著しく不足しているか偏っている人々が大学に残って、研究者として学会や研究会を仕切っていることである。
(蛇足だが、我が町には石碑に町民憲章が彫り込んであり、「教養をたかめ、豊かな文化をまもり育てます」と書いてある。町民として、私は義務を果たしたい。)
その上、2003年の大学改革の結果(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170412)、まともな就職ができなかった人達が大学院に来るようになり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091219)、基礎学力の低い学生の面倒を見なければならなくなった結果、当時の日本では新しかったテーマに現地経験から着目して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140607)、コンスタントに発表し続けていた私が目障りだったのだろう。
また、文系大学のマルクス主義の浸透も見逃せない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180709)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180724)。
あの頃、私を応援するつもりで、主人は「人の言うことを気にするな」「そんな狭い集まりでやるな。英語で書いて、世界レベル(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110930)を目指せ」と激励していた。そして、「奥さん、何やっているの?」と他の人達に尋ねられると、いつでも嬉しそうに「家内は論文を書いています」とニコニコと答えていた。
大変な時代に生きているが、仕方がないものと諦めて、前進を続ける。