一つの帰着
今年1月28日の(公財)日本クリスチャン・アカデミーの関西セミナーハウスにおける「キリスト教徒は政治問題をどう見るか−沖縄と北方領土をめぐって」と題する佐藤優氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BA%B4%C6%A3%CD%A5)の正味四時間の講演会は、私にとって三度目の参加であったが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170129)、出席者数は、初回が120名と超満員であったのに比して、昨年の70名以上よりも、今年は更に減っているように思われた。前方でも空席があったからである。但し、若い男性の出席が増えたことは注目される。
司会者のお話では、佐藤氏を招いての講演会は今年で四回目だそうだ。
私は中央列の前から二番目に席を取ったが、今回はカメラも忘れてしまった。その上、例年のように『みるとす』誌最新号を持参して、連載中の国際分析に関する数ヶ所について質問もしようとしたが、定刻にプログラムが終了すると、さっさと講壇テーブルを片付けて見事に立ち去られてしまった。
この去り際は、鮮やかなほどの足早であった。
ご著書へのサインについては、マジックを用意されていて、途中のコーヒーブレイク中に3,4名ほどの男性が並んでいたが、私はその間、質問用紙に記入することで忙しく、とても暇がなかった。
自宅には、何冊かのご著書が本棚に並んでいるが、あちこちに書き込みと折り目をつけて読んでいるので、とても「サインをお願いします」などとは言える状態ではない。また、どの本を選ぶかも迷うのだ。
従って、初回と二回目と同様、最も無難な『みるとす』誌を持って行き、写真付きの連載ページの冒頭に日付入りでサインをお願いしようかとは思っていた。ちなみに、私はキリストの幕屋の関係者ではない。
だが、今回で自分なりに決着がついた。
同志社大学神学部やイスラエル事情など、私にとって話題に身近な接点が多かったので、長い間、参考になると思ってお話を聞いたり、著述を拝読したりしてきたが、超多読で仕事量が抜群な異才は認めるものの、本質的に肌合いが違う、ということが明確になったのだ。
佐藤優氏は、多方面の膨大な執筆量で有名だが、主に以下の側面にまとめられよう。
(1)久米島の名家のご出身であるお母様ゆえの沖縄に関する発言(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110407)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170129)
(2)外交官としてのインテリジェンス分析の経験
(3)人目を引く外務省関連の珍しい話(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110407)
(4)日本では希少価値のあるキリスト教神学の知識
(5)ロシアでの経験
(6)日本ではあまり知られていないチェコの神学者フロマートカ研究(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160327)
(7)社会矛盾をえぐるためのマルクス主義への知的傾倒
文筆で売り出すために幾つもの切り口や持ち幅がある点で、生き残り術としては変幻自在で雑草のようにたくましく、したたかな計算ぶりが窺える。
その点では学ぶところ多く、大いに尊敬もするが、一方で、スポーツや伝統芸術の話が一切出てこないのは何故なのだろうか。得意なスポーツは何か、クラシック音楽や絵画や日本の伝統文化に対する造詣はどうなのか、やや気になるところではある。
また、左派系にも保守系にもどちらも通用する言説をお持ちだということは、多彩で幅広い視野の証左であり、お名前の通り、優れた能力だとは思うが、一方で、著述や発言に相互矛盾が見られることがなきにしもあらずである。百戦錬磨と言いたいところだが、対談相手は誰でも良いというわけではなさそうだ。
講演中は、必死になってレポート用紙にメモを取るのだが、幅が広過ぎて話に脈絡がなく、エピソードに目眩ましのような部分があることに気づいた。また、質疑応答でも、一種のテクニックというのか、直球で返さずに変化球を投げたり、別の話にすり替えたりされることもしばしばである。
もし聞き違えでなければ、締め切りを90本も抱える売れっ子作家なので、前後で矛盾や相違が見られるのは致し方ないのだろう。だが、どうやったら90本も書けるのか。短いインタビュー形式なども含めるのだろうが、一日に最低四時間は自分用の読書に当てる日課だそうなので、相当な早業である。記述の裏付けを取る作業や資料を読み込む時間は、どのように確保されているのだろうか。
いきなり話し始め、間を取ることもせず、滔々と話し続ける話法は、聴衆に関西のキリスト教関係者が多いと見てのことなのだろうか。つまり、神学を散りばめながらも幅広く曖昧な話が通用するという見立てなのだろうか。
忘れないうちに、今回、私が質問用紙に書いて提出し、休憩後の第二部で真っ先に読み上げられた質問および応答を以下に記そう。
「ご熱心なお話をありがとうございました。冒頭で、例えば靖国神社への首相や大臣の参拝の是非は、教会が関与する問題ではないとおっしゃいました。また、沖縄で職員を殴った牧師(?)がいたとのことです。トラブルを起こす牧師の存在や、その結果としての信者の教会離れについては、よく耳にしております。しかし、靖国や沖縄に熱心に関与するクリスチャンの群れがあることも事実です。同志社大学神学部の教授陣は、何をなさってきたのか、システムやカリキュラムに何か問題はなかったのか、率直な先生のお考えをもう少し詳しく伺いたく存じます。以前、同志社大学神学部を推薦するご著書を出版された当時と今とでは、どのような連関があるのでしょうか」。
応答を記す前に、講演の中で語られたことを抜粋してみよう。
従来から「日本のキリスト教人口は約100万人で変化がない」と考えていたところが、資料を調べてみたら「今では300万人」。それについては、「相当いい加減な自己申請をする教会」だとおっしゃった。「日本基督教団では、正直なところでは15万人ではないか。陪餐会員(パンと葡萄酒を受ける資格のある人)は9万人程度で、毎週教会に通う人は2,3万人ではないか」とのことだった。何を根拠にそのような数値が出るのか、私としてはもっと知りたいところだったが、早口でそのようにおっしゃった(とメモには残っている)。
日本基督教団の牧師の主流には、政治に不満があっても直接行動せず、教会形成によって政治活動を拡大するケースがあるとも言われた。また、「とても頓珍漢でけしからん」のが「問題提起派牧師」で、野放しだったとのこと。
さらに、全く勉強しない学生だったので就職できず、ギリギリの成績で大学院に上がって牧師志願するケースもあるが、人格的に未熟なままであり、学力低下も著しいという。「召命」に関しては誰も否定できないため、場合によっては、定年近くになって突然「召命感」が湧いてくる人もいるという。東神大では、偏差値が38で、受験する3,4人は全員合格するのだが、その学力で果たして責任を持って教育できるのか、ギリシア語やヘブライ語の習得は大丈夫なのか、ともおっしゃっていた。
要するに、世の中で相手にされない人が「教会」に向かい、力不足のためにトラブルを起こす牧師がいるということらしい。
さて、上記の私が提出した質問については、次のようにお答えになった。
「教会が関与することはかなり限定すべきで、全員がついていけるものにしなければならない」。また、「キリスト教的政治というものはなく、キリスト教徒として政治にどのように関与するか、はある」とのことだった。さらに、トラブルを起こす牧師については、「どんどん教会を変わればいい」とバッサリ。生き残っている教会は質が高く、きちんと理解出来る人がいるとのことだった。
同志社大学神学部は、少し別の方向性になったそうである。「宗教学としてイスラームもキリスト教も」という従来の在り方から、「やはりイスラームとキリスト教では神が別である」ことがわかり、今では「実践神学が自立しつつある」とのこと。
どのような人がコミットするかについては、「抽象論は言えない」が「自分への危害がなければ、批判せず、他者排除をしない」。なぜかと言えば、「他人にも自分にも愚行権があるからだ」との由。
早口の回答で、何だかわかったようなわからないような感覚だったが、この問題は、当事者がもっと真剣に取り組まなければならないのではないだろうかと思う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070817)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071009)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071028)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090122)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140324)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160112)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160113)。
大統領候補の一人だったテッド・クルーズ氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150904)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160508)については「トランプよりも、もっとひどい」とのことで、iPadで短い映像を出された。マシーン・ガンにベーコンを巻き、銃を発砲した熱でこんがり焼けたベーコンを剥ぎ取って食べるクルーズ氏である。
私には、どのような文脈でそのような映像が出てきたのかが不明だったことと、銃規制に反対する保守派であれば、それぐらいはアメリカ人ならやりそうだ、としか言えない。
その他には、大統領の信仰的な背景(例えばトランプ大統領の場合はカルヴァン派の長老教会のため、選びの確信を有する)が、就任演説その他の発言にどのように表れているかが読み取れるか、という話もあった。確かに興味深いが、踏み込み過ぎはかえって危険ではないだろうか。というのは、3億の人口から直接選ばれて頂点に立つ大統領の器であれば、所属教会や信仰する教派のみで推し量れない要素が多分に含まれるはずだからである。また、そのような分析が、一種のレッテル付けにすり替わってはならない。
それに、この種の話は佐藤優氏の専売特許ではなく、既に主流の英語メディア等で取り上げられている。
一つ、最も気になったのが、「アメリカの総領事館をエルサレムに置くこと」は、「看板代のみ」なので、「5万円ぐらいで可能」という話だった。
果たして、それほど簡単なことなのだろうか?ご参考までに、過去のパイプス訳文(http://ja.danielpipes.org/blog/12829)をどうぞ。