ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

どの思想に拠って立つか

一昨日(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170129)、昨日(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170130)の二日間、私にとっては懸案だったブログ・トピックを長々と書いたことによって、2016年1月30日以来の重苦しかった課題に光明が射したような気がした。気分が軽やかに、爽快になってきた。
月末なので、本当は今日のうちに本来の厄介なテーマである「ヨハネ福音書の言葉・国立国会図書館の壁の標語・起草者の羽仁五郎(と姑の羽仁もと子自由学園)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160129)・曽野綾子氏のエッセイ」vs「2016年1月30日の関西セミナーハウスでの佐藤優氏による講演会の冒頭発言」の下書きを掲載することによって締めとしたかったが、他にも用件が溜まっているので、どこまでできるかわからない。
そもそも、私の困惑と混乱の元は、母校ではない同志社大学神学部に2004年に招かれたことがきっかけである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141010)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141011)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141012)。父の従兄弟と父方の従姉妹が同志社出身なので、私にとっては全く無関係というわけではなかったものの、よろず文献中心に物事を把握する傾向のため、同志社と言えば、昔ながらの自由主義的で闊達な輝かしい大学だとばかり思い込んでいたのだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080325)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100131)。
ここでは繰り返さないが、その頃に始まった大学改革との絡みで、先生方も生き残りをかけて必死だったため、よそ者の私など、(イスラミスト教授のN氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=N%BB%E1)の元でおとなしくやっていればよいものを)(がたがた言わないで、自分の研究を追求することに専念すればいいのに)という扱いだったのだろうと思われる。
だが、仮にその場はそれで乗り切れたとしても、この十三年間の学生達への負の影響などを考えれば、自己保身のみに集中していて良いのかは疑問である。事実、2014年4月にアメリカのハートフォード神学校(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%CF%A1%BC%A5%C8%A5%D5%A5%A9%A1%BC%A5%C9&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%CF%A1%BC%A5%C8%A5%D5%A5%A9%A1%BC%A5%C9%BF%C0%B3%D8%B9%BB)へ再度、資料集めに行った時(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140520)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140524)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140525)、偶然にもその場に居合わせて、大量のコピーを手伝ってくださった日本人夫妻がなんと同志社神学部の出身だったのだ。アメリカまで来ているのだから恵まれていると思いきや、「もう大変だった」と京都での苦労話の一部を聞かされ、「こんなに細かくやっているなんて、いつか先生の論文を是非読んでみたい」とまで言ってくださったのだった。
ご主人の方は、同志社系のキリスト教会の在り方に疑問を持ったことからイスラーム改宗し、イスラーム研究者として身を立てるべく頑張っていたのだが、N氏の指導下にいると、最初は良くても、徐々に精神的にきつくなっていったらしい。「妻はクリスチャンですが、絶対にイスラーム改宗を勧めません。中に入ってみると、イスラーム世界は民主主義がないし...」と正直だった。よく話してくださったものだと感謝している。
だが、一般世間はそうではなかった。今でも覚えているが、同志社の話が突然舞い込んできた時、父は事情も知らずに喜んでメールをくれたし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160118)、主人も「これで視野が広がり、関西で知り合いが増えるいいきっかけだ」と応援してくれていた。
特に、結婚を機に関西へ来たものの、専らマレーシアのことばかり考えながら、毎年の現地訪問と資料集めと自宅での勉強のみに集中していた私にとって、経歴や仕事探しの上で、一つの突破口にもなると主人は考えたのだ。自分の病気(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BF%CA%B9%D4%C0%AD%C6%F1%C9%C2%B4%B5%BC%D4)のことで負担をかけていると申し訳なく感じているだけに、より一層「ぴったりの場じゃないか」と大喜びしていたのだった。以前から、研究会や学会の度に、わけのわからないいい加減なコメントに振り回されて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150311)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161205)、「形相が変わる」様子の私を見ていたからだった。
「人の目なんか気にせずに、しっかり研究して、良い論文を早く出せ」「できるんだから、そのままでは勿体ない」などと物心両面で支援してくれていた。
同志社キリスト教系なんだから、そういう変なことを言っている人は一部に過ぎない。どうしてそっちに引きずられるのか?相手にするな」とも、頻繁に注意してくれていた。
今でも、その気持ちは大変にありがたいのだが、その辺りは、主人も文系環境に無知だった。主人が専門とするような、客観的な正確さを期して、コツコツと積み上げていく作業が重要視される理系の技術研究職とは全く違う。文系はその点、余程の伝統の積み上げがない限り、尺度や基準が「多様性」の名の下に曖昧模糊としているのだ。従って、内容よりも数で勝負とか、鼻息の荒いほうが勝つ仕組みにもなっている。
私の場合、国文学科という伝統的な学科で学部生を過ごしたので、特に古典分野では、いい加減な発言は決して許さない教授の下で、学問に触れることができた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080220)。その精神は極めて重要なのだが、それを保持したままで人生を歩もうとすると、こんな馬鹿な目に遭う。
もし、大学や学会で仕切っている人やイデオロギー的に撹乱を試みている人の思惑や戦略手段や思想体系を把握する(佐藤優氏の十八番表現を借用すれば「相手の内在的論理をつかむ」)ことなく、ただやみくもに真面目一筋に、細かくレジュメを作成して、勉強した長い文献一覧表を添えて、自腹を切って発表を続けていたならば、所詮、自滅の道へと向かっていただけだ。つまり、最初から相手にされるはずもなかったのに、大学が「キリスト教系」だから、自分の研究テーマと接点があるはずだと思い込み、何か貢献できるのではないかと信じつつ、少しでも理解してもらおうともがきながら、無理矢理に頑張っていた状態である。
幸いなことに、このように単独で暗中模索してきただけあって、私なりの実体験からブログはいくらでも書けるし、もし迷える子羊のような若者がいるとすれば、その世代への一つの助言にはなるかと思う。また、その結果、2012年春以降、パイプス親子先生と知り合うことによって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22The+Pipes%22)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%D1%A5%A4%A5%D7%A5%B9%BF%C6%BB%D2)、本来はごく小さなテーマだったはずの私の研究が、実は大きな世界の現代情勢とも見事に連動することがわかり、道筋に光が見えてきたのである。
フランス内務省、ドイツ連邦議会スウェーデン議会へも入れていただいた昨年9月の欧州旅行の時(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161007)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161017)、自己紹介の時間があった。その時に私が話したことはメモがあるので、折を見て紹介する予定であるが、とにかく私が話し終えると、同行だった英国人の人気論客ダグラス・マレイさん(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160726)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160802)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161018)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161024)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20090218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130309)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20150108)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20161208)(http://itunalily.jp/wordpress/)がこちらを見て、ニコッとされたのが印象的だった。姪御さんが日本生まれだそうなので、パイプス訳者とはいえ、日本人の私が一人で参加する理由には興味があったのであろうが、要するに「それならいいよ」という暗黙の了承なのであろう(と私は勝手に解釈している)。
ご著書を読んでからまた書ければと思うが、彼は非常に頭のいい人で、育ちもいい。学歴も申し分ない。話にも態度にも一本筋が通っていて、妥協を決して許さない。しかし、旅行中は質素で目立たない服装をされ、特に旅団メンバーに媚を売るようなタイプでもなかった。ただ、質疑応答では常に積極的で、立て板に水を流すような典型的な英国風アクセントの英語で、各スピーカーに鋭く質問を投げかける。私にとっては、彼の質問のおかげで、話者やトピックに関する問題が浮き彫りになり、欧州状況を理解する助けになったことが、とてもありがたかった。逆に言えば、陽気なアメリカ人やオーストラリア人等は、積極的に質問する元気の良さはあるが、問題は何をどのように問うかである。(カナダ人は概しておとなしい。)
こういう英国人が今もいる(というよりも、ようやく表に出て発言してくださるようになった)ことが、私には大変に嬉しい。

とにかく、現在の欧州の流れを、単にニュース情報を通して頭で知ったつもりになるのみではなく、また物見高いファンクラブみたいな調子で後追い物真似するのではなく、あくまで自分の人生上の経験を契機とし、それによって抱かされた深刻な疑問から、絡み合ってモヤモヤしたものを自分なりに解明し、納得した上で人生の歩を進めたいと思いつつ、ここまで来た。
ブログなどに時間やエネルギーを費やすよりは、もっと正規の紙媒体に書く方が効果的なことは百も承知である。本当は、もっと早くから割り切って、淡々と自分の生活を充実させることに費やしたかった。
だが、私の場合、今は所属もないし無名なので、他に伝える方法がない。また、恥ずかしい身内の遺産話で明白になったように(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170117)、祖母や父が亡くなって初めて、血の繋がる係累の中で私(の正当な権利)を守る人が事実上、誰もいなかったことが、数年経ってようやく自覚できたので、やはり、どこかで書き記しておかなければならないと痛感するものである。
そうでなければ、将来、何か事が発生した時にも、社会的な責任や罪を問われかねない。
そもそも、非常識なのは誰か。これではっきりしたのだ。
繰り返すが、堅気の勤め人で常識的だった父は、いつも黙っていたので「最も賢い」と親戚から言われていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160313)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160323)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170111)。だが、黙っていたために、事情を知ろうともしなかった自分の末息子によって、永遠に地上から名を消されてしまったのだ。