嫁には遺産はない?
「そうやって一生懸命にやっていても、嫁には遺産はないからね」
と、数年前に親戚の一人から言われた。
要するに、私が「主人が」「主人が」とブログで持ち上げて(?)いるのは、遺産分配で少しでも有利に立てるようにとの算段だとでも言いたげだった。
確かに、昔から「女は三界に家なし」とはいうものの(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151217)、何だか随分、興ざめというのか即物的というのか何というのか....。
私からの即座の応答は、「結婚した直後に、主人の母からまとまったお金をいただいたんです。『二人でこれを使いなさい』って。あのような暮らしで、コツコツと働き続けて、日々を切り詰めて、こんなに貯めていらしたんだって、びっくりしました」。
だから、遺産より何より、主人の母にはゆっくり過ごしてもらいたいだけなのだ。
主人も「もう僕は、これ以上親からもらうことは考えていないからね」と常々私に言っている。
人のお金を当てにして計算しながら、コソコソ立ち回るような人間にはなりたくない。
ましてや、働いて得た人の収入を難癖を付けて取り上げるような、馬鹿げた人間にはなりたくない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)。
犠牲者精神を発揮して、自己権利ばかり主張して、基本的義務を果たさないような忘恩人間にはなりたくない。
自分の食べる分は、あくまで自分で働いて稼ぐのだ。そこに気概も誇りも生まれる。
飲むお茶に至るまで心身の健康面に留意するのも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161226)、働ける間は働き続けるためだ。それが世の中(「傍」)を少しでも「楽」にできるならばと考えてのことである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161216)。
「働かざる者食うべからず」と新約聖書にも記されているではないか(第二テサロニケ 3章10節)。
この第二テサロニケの3章は、学生時代に聖書を読み始めた頃、とても好きになった箇所だ。いわば、勤勉の勧めである。
「怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい」(3章6節)
「だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです」(3章8節)
「自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい」(3章12節)
(以上、日本聖書協会『新共同訳 聖書』(1987年)より)