本当に、人生とはわからないものだ。この頃、本来すべき仕事を脇に置いて、しばらく見苦しい私的な話を綴っているのは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151107)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151110)、いつから日本社会がそれほどおかしな方向に流れて行ったのか、地に足をつけて具体的に考えるよすがとしたいからである。
いつもじっと黙って見守っている主人の母(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151010)も「どうしてこんなことになったんだろう?」と何度かつぶやいていたことが過去にあったが、実際に我が身に降りかかってくると、あまりの恐ろしさに言葉も出ないという感覚である。
現代版の姥捨山さながらである。
このブログは、暇潰しで書いているのではない。始めたきっかけは主人の勧めによるもので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101027)、「僕だけが聞いているのは勿体ないような、おもしろい話だよ。人目を気にせずに、思い切って書いてご覧。文章書くの、好きなんだからさ」と言ってくれたのだった。
それに、そもそも実家で寂しがっていた父が読んでくれていたから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150103)、続けてきたということもある。勉強ノートがてら、どのような暮らしをしているかを気儘に綴ると、現役時代には忙しくて親子の会話などがほとんどなかったので、私が結婚してから初めて理解できたと、わざわざ電話をくれたこともある。
子ども時代には、親同士の関わりで親戚との繋がりがあり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150215)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150408)、「○○さん(父の名)の長女でしょう?」などとご年配のおじさん達からも声を掛けていただいたりした記憶がある。その延長線上で今も考えていたのが、とんでもないどんでん返しに出くわしてしまった。
祖母が亡くなったら(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110502)、突然、性格が変わってしまった人もいる。おとなしかった嫁の立場から実権を握る姑の座に昇格したとばかりに、私を高見から見下ろすような支配的な言葉遣いになった。(例えば「ご主人の言う通りに行動しなさい」など。)実のところ、私の方が先にその家に上がらせてもらっていたのである。産湯を使ったのだから、記憶は体の芯に残っている。それにも関わらず、妻の座、母の座、祖母の座、姑の座を確保すれば、誰でも従わせることができるかのようだ。
結婚すれば、嫁姑の対立やら、夫の浮気や暴力やお金絡みのトラブルが何度かあるのは当然。そこをうまく切り抜け、子育てに励み、何でも忍従を迫られるのは女の嗜み。女の成績表は子どもに現れるとばかりに、親子で競い合う。母娘の仲の良さが家庭円満の証であるかのように、いつまでもベタベタと付き合う。実家こそが依り所。嫁入り準備は母親が腕を振るう場。電話での長話は夫や姑の悪口合戦。本当に自分を理解してくれるのは親だけ。感謝の強要。
...こんな暮らしは真っ平ご免だと、小学校低学年の頃からずっと感じてきた。
その結果、主人と巡り会い、今まで、こうして暮らしているところだ。多少は山あり谷ありだが、大枠で見れば、結構、満足している。
父が亡くなってからここ二年半以上、突然、滝のように電話で話すようになった親戚の人だが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)、何かとこちらのあら探しをしようと、尋問口調で話していることには、すぐに気づいた。「やっぱり遺産が欲しいのね。ふふっ」といった調子で、勝手に勘違いして笑うのだ。「親が病気なのに海外旅行なんて」と言うのだが、こちらは病気の性質やら状況から判断している上、明確な目的を持った旅行なのである。もちろん、主人と相談の上である。ホテルや飛行機の予約は私でもできるが、大抵は主人が率先してやってくれる。また、帰国後、写真の現像は主人がするので、何も隠すことはない。今は行動範囲もデータ表示されてしまう時代だ。
そうすると、お宅のご主人は何か狙っているものでもあるのではないか、というニュアンスになってくる。いい加減にして欲しい!
そういうこともあって、何の証明にも証拠にもならないが、ブログを書いてきた。感想は人それぞれだろうが、見る人が見ればわかるのではないだろうか。
この頃、主人の母が勢いづいてきて、「ユーリさんに私の生い立ちを語りたい!」と言い出した。とても楽しみにしている。恐らくは、微笑ましく温かいお話なのだろう。主人と話しているとすぐにわかるが、義母のご実家の話題になると、家庭の位相が全く異なるのである。そして、私はそのことが好きだった。
主人に言わせると、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんや伯父さんは、考え方が私にとても似ているのだそうだ。義母の作る料理は、いわゆる田舎料理だが、私の味付けなどと、実はほとんど変わらないとも、最近言った。また、性格や雰囲気が似ているところがあるとも指摘した。例えば、鳥羽に連れて行った旅先でイルカをじっと見つめて喜んでいた母は、今回紀州の一泊旅でUFOのような形をしたザリガニ風の生き物を飽きもせず見ていた私と、姿がそっくりだったと言った。そう言えば、田舎のおばあちゃんは、いただきものの小さなぬいぐるみをテレビの下のケースに並べていたが、私もいただきもののぬいぐるみを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090304)、電子レンジの下の棚に並べて置いている。
何でもないことのようだが、案外、結婚にはこのような要素が肝要なのかもしれない。
主人はおとなしく見えるが、小学校一年生の時から大学生の頃まで、一人田舎で夏休みを過ごし、過去帳を広げて家系を語るおじいちゃんから歴史を学び(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100108)、家の仕事はおばあちゃんから言いつけられ、宿題などの勉強は伯父さんが見てくれたという。「都会の子は、まだそんなレベルなのか!」と一喝したところ、翌年からラジオを持って勉強に来た、と伯父さんが笑って話してくださったことを覚えている。最初の頃、実家とはあまりにも違う雰囲気に遠慮して、少しだけ食べていたところ、早速、一回り大きなお茶碗を買ってきてくれて、翌日から「たくさん食べなさい」。「子どもは遊ぶ時は遊ぶもんじゃ」と言われて、かけっこパンツに麦わら帽子で走り回っていた。おばあちゃんが洗ってくれたパンツは、田舎の水なので真っ白できれいになった。「他人が作ったものは何が入っているやらわからないから」と、何でも自分で作っていたおばあちゃん。鶏卵を産む鶏の肉を買って作った新鮮なカレーは、大阪のとは味が全然違っていた。
おかげさまで、塾にも通わず、ストレートで入学して、大学は首席卒業。奨学金など利用もせず、一括払いで借金なしで大学院まで授業料を払った。教授推薦で就職し、勤務先が米国にお金を出していたので、その見返りとして選ばれてアメリカ東部の大学で勉強させていただいたのだった。
結婚式の準備を二人だけでここまでよくやった、と褒めてくださったのも、田舎の伯父さんだった。
病気の診断を受けた際には、「そんなはずがない!」と驚いて否定していたが、電話で相談すると、大学院の時の研究室と同じ大学の附属病院(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090226)で診ていただくよう助言をしてくださり、今に至っている。
私達は自然に身についたもので生きている。それこそが、真の遺産であり、継承である。
それを思うと、小さい時にはあれほど三人ともかわいがってもらったのに、「末っ子が一人前になるまで見届ける」と言っていた父に対して、本当に恐ろしいことをしているのだ。
父が写したのであろうアルバムに残っている小さなお団子のような私達の笑顔は、まるで将来の崩壊を予期して予防線を張ったかのように思えて仕方がない。