ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

世界で唯一の手袋

名古屋出身だとのことで、関西では、美容院でもお茶教室でも「結婚式が派手なんでしょう?」とよく言われるが、私にとっては社交会話だ。
「そうですね、中にいる人はそうですけど、私は関西に出て来たので....」と済ませる。
実際のところ、他地域がどうなのかは知らないし、今の名古屋もどうなっているのかはわからない。
また、(ここで声が小さくなるのだが)お金をかけて豪華な結婚式をしたから結婚生活が一生安泰で幸福が約束される、という保証はないのではないか。
日の丸弁当持参だった私の場合(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161218)、自分自身で働いて得たお金でさえ完全には自由にならなかったのだから、結婚式を派手にするかどうかは二の次、三の次。とにかく、歩み寄って共同生活を始める一歩として、基本形だけは守るスタイルだった。
結婚に際しては、家事育児は私の義務だが、希望としては、少しでも空いた時間に勉強を続けること、少なくとも本を読むことだけは許される環境であって欲しいと望んでいたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091214)、結婚相手には、女性問題、飲酒問題、賭け事や借金や経済感覚の著しい差などの金銭問題がないこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120310)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151227)、お互いに隠し事や秘密がないことを、最低の基本条件としていた。
お陰様で、条件は予想を遥かに超えてクリアされ、その意味では、呆気ないほど楽な結婚生活である。
「嫁入り道具」と言っても、台所用品などは、実は主人がアメリカ時代に購入して使っていたものが大半。お皿なども、主人の母が家にあったものを使って欲しいと送ってきたので、ありがたく使い続けている。(私は、マレーシアから帰国する際、きれいに洗ってダンボール箱に詰め、欲しいとおっしゃってくださった知り合いに全部お譲りした。)
新婚なのだから新品で揃えなければダメ、とか、このメーカーでなければ家風に合わない、という面倒なことは全くなかった。これは大変にありがたいことだと思う。
ところで、この頃では断捨離が流行しているが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160622)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160922)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161201)、私はあの「5年で書類や家計簿を処分する」という呼びかけがどうも気になる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160126)。旧社会主義圏の国策であった「5ヵ年計画」を彷彿とさせるからだ。
先日、大学病院の担当医がおっしゃったには「5年でカルテを処分する」らしいが、そんなことをしていたら、難病の場合、経過推移などを知るための研究データが残らないということになってしまいはしないか。
使わないものは処分する、ここ数年着なくなったものは思い切って捨てる、という判断で整理したつもりでも、後になって後悔することはないのだろうか。
ところで、今秋に受けた認知症講座のお陰で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161117)、5年前にアルツハイマーで亡くなった母方の祖母の思い出が鮮やかに蘇ってきて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110502)、この頃、声や話が生き生きと思い出される。同時に、3年前に亡くなった父のことも、いろいろと思い出すことが増えた。亡くなった人は、生きている人の中で今も生きているのだ。
おばあちゃんにとって、私はどんな孫娘だったか?
初孫として誕生した直後から幼稚園に入る前ぐらいまでは、皆に「可愛い、可愛い」とかわいがられて(小さい頃の私は、本当にあどけない表情をしている)、まるで大将のように大威張りだったと聞かされていた。今だって、祖母のご自慢の孫ではないかもしれないにせよ、決して、人の道を外れた歩みはしていないつもりである。
小学校低学年の頃まで、父はよく「おばあちゃんの所で預かってもらって、躾けてもらえ」と私に言っていた。
戦後の価値観の大変換から、その下の世代とは衝突することが多かったかもしれないが、祖母のお陰で、私は公私両方の価値観を、戸惑いながらも何とか受け継いできたつもりだ。
高校生の頃、祖母が編み物で作ってくれた真冬の受験勉強用の(鉛筆が使えるように指先が出ている)手袋が長らく箪笥にしまってあったが、最近になってようやく初めて、それを引っ張り出してきて使うようになった。上等のえんじ色の毛糸で編んだよそ行き用と、普通の毛糸で編んだ普段着用と、お掃除にも使えるような、古くなったストッキングを細かく割いて糸状にしたのを古い毛糸に混ぜて編み込んだものの三種類だ。
お掃除用は、自転車に乗って町内の買い物に行く時、ちょうどいい。丈夫で温かく、汚れも心配ない。ストッキングを結んで繋げてある幾つかの部分が、まるで細かいリボン飾りのように見えるところが、何となくお洒落だ。
孫ができてもおかしくない年齢の私だが、今だに私は、おばあちゃんの手袋をありがたく使っている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161121)。
恐らくは、祖母の心孫知らずだった私の受験期、あれこれと心配したり期待したりしながら編んでくれたのであろう。今でも、日本経済が最高潮だったあの頃の世相と祖母の気持ちが織り込まれた、世界で唯一の手袋だ。