ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

自分の位置づけがわからない

今日の午前中は、お茶のお稽古の二回目(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161030)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161101)。正味三時間ぐらいかかるが、月二回ならば、よいだろう。
海外にも支部があるという理由で、最初から裏千家で始めたので、長いブランクの後、同じ裏千家を探した。先生の個人宅だと、費用が安くて近くても、過去に経験したように、お点前のお稽古中に、換気不足のため一酸化炭素中毒で死んでしまっては元も子もないので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161028)、やはり文化センターが手軽で気楽だと考え、多少は時間がかかるが、電車に乗って梅田まで出かけることになった。
お点前はブランク年数相応に忘れていることが多いが、一番の収穫は、関西と名古屋の文化の違いや、日本社会の中でのそれぞれの位置づけがわかるようになったということだ。こればかりは、いくら本を読んだって、人生経験を積んで年数が経たなければ、わかるものではない。
一般的に、若い頃の茶道は結婚前の花嫁修行という意味もあり、お茶の先生は、ご年配であればあるほど価値があるかのように思われていた。今は時代の推移もあってか、習う私達が専ら既婚者だからなのか、やはり現代風になっている。和やかでお喋りも混じり、先生もメリハリがついている。お稽古中はお着物で、ピンと背筋が伸びて格好いいが、終わるとさっさとジーンズに着替えていらっしゃる。お若いこともあって、とても気さくな雰囲気の先生だ。
今日の収穫というのか、最も印象的だったのは、お辞儀を丁寧にし過ぎてはいけない、ということだった。どういう意味かと言うと、私がしたように(つまり、結婚前に名古屋で教わっていたように)、畳に頭を擦り付けるようにしての深いお辞儀は、「お家元から離れた位置にある人がするもの」ということなのだそうだ。
今日の女の先生によれば、「もっと高い位置でもいいのよ」とのことだった。
「それは、関西だからですか」と質問したところ、全く関係がなく、昔はお茶の先生にもいろいろな背景の方がいて、お家元に近ければ、もっと気楽でいいのに、そうでなければ、お弟子さん(というより、ただ習っているだけなのだが)にも、同じように堅苦しく、低頭するように教えてしまったらしい。自分がそうしているから、自分の所に来た若い嫁入り前の女性にも、同じことを求める、ということのようだった。
なぁんだ、それを早くから知っていればよかったのに....。
実は、母方の大正生まれだった祖母も、自分の兄弟に医学部の大学教授がいたこともあって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150405)、「何もペコペコすることはありません。しゃんとしていなさい。戦後は価値観がガラっと変わったから、変なことを言う人が増えたけれど、ユーリちゃんは何も問題がない。威張る必要もないけれど、ただ真っ直ぐでよろしい」と、よく私に言っていた。
だが、片方の親がどういうわけか変なことをするので、私の中で価値観の混乱が長引いたのだった。
私の人生上の一番の悔しさは、常に場違い感覚がある、ということだ。それは、このブログを読んでくださっている方には、既にお察しのことであろう。ブログを綴ることで、一つずつ気持ちを整理している、という効能もある。
今時の若い人達が描写するように、毒親だと思ったことはないが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150321)、親の一方が精神的に大人になりきれないままに子どもを産み、最初の子である私に憤懣やるせなさを全力でぶつけてきていた。これほど、子どもにとって大きな負荷はない。落ち着いて考えてみれば、とんでもない人生の損失である。こればかりは、長生きをしなければ、到底、帳尻が合わない。
また、マレーシアについての学問的な蓄積が日本に欠けていたので、母校でも、帰国直後に無責任な逆カルチャーショックを経験した(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161101)。何と名古屋大学は今、マレーシアの大学と提携を結ぼうとしているのだそうだが、私に言わせれば、その話は過去の償い(注:戦争責任ではない)をきちんと済ませてからだ。
そして、1980年からの全世界に及ぶイスラーム復興問題。これも、私の直接の研究テーマではないが、勿論、大きくのしかかっている問題である。要するに、ズィンミー・メンタリティである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071203)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141019)。しかしながら、1990年代には、まともな一次資料もなく(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160302)、指導できる教授も日本にはいなかった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091230)。
私的レベルでは、真面目に生きているのに、妹や弟から不当にも馬鹿にされる。ほぼオールAの成績で学部を卒業したのに、大学も出ていない親戚から「口利きで大学院に行ったの?」などと、とんでもないことを言われる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)。緑の公用旅券の正規ルートでマレーシアに教えに行ったのに、高卒だった中学の同級生から「ボランティアに行ったって、新聞に出ていたじゃない」と、しつこく言いふらされた。「オラン・マレーシア」と、法事で会う度に私に言ってくる親戚のおじさんもいた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151107)。
嫉妬心もあったかもしれないが、私に言わせれば、つまり戦後教育、否、社会主義思想によって、逆行が起こっていたのだった。愚痴は避けたいが、言わなければ通じない人も多いので、あえて記しておく。
繰り返すが、お辞儀は丁寧にすればいいというものでもない、と教わったことが、今日の一番の教訓だった。
だが、実際のところ、私は自分の位相がわかっていない。
私と知り合った頃、主人は背筋をピンと伸ばして、いつでも堂々としていた。180センチも身長があったので、悠然と歩いていた。アメリカ留学を経験していながら、人の心の痛みの分かる繊細さやゆとりがあった。それもそのはず、戦前の校長を務めた田舎の祖父母宅では(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100108)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151010)、周囲の人々が畳に頭を擦り付けるようにしてご挨拶されていたからだった。(今は病気で下がっているが)人の上に立つということは、偉そうに威張り散らすことではなく、そういう態度を自然と取れるということなのだと知った。
田舎で主人の祖母のお葬式があった時、私も畳に頭を擦り付けてご挨拶を繰り返していた。すると「いいお嫁さんが来た」と、皆さんが喜んでくださった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)。