ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

義務と権利の不当な剥奪

三日前にJRの駅前でパンフレットを配っている人達がいたので、そのままオレンジ・リボンとボールペンを一緒にもらってきた。
中を見ると、大阪府の福祉部が支援しているグループによる「児童虐待の通告は義務」だとの啓蒙だった。
殆どが既知の内容だったが、目を引いた新情報は、「子どもが得たアルバイト料を保護者が理由なく取り上げている家庭を見かけたら連絡するように」とのこと。大阪府では「大阪府子どもを虐待から守る条例」により、保護者がその管理に属しない子どもの財産を不当に処分することを「経済的虐待」としている、とも書かれてあった。
そんなこととは知らなかったが、この場合の「子ども」とは、児童福祉法で満十八歳未満を指すとのことである。
しかし、私のように、社会人として真っ当に勤務して、規定通りに受け取った一年分の給与通帳をごっそりと取り上げられた場合は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160318)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160320)、既に「子ども」ではないので該当しないことになる。また、法定相続人なのに、父の遺産を全く受け取っていないどころか、何の連絡もない場合は、どの部署が担当されるのであろうか。それに、父のお墓参りをしたくても、弟達が勝手に墓石なしに決めてしまい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151110)、メールの事後連絡のみの場合は、一体、誰がその責任を問われるのであろうか。
自分で働いて得たお金で勉強を続け、将来に渡って研究費用に当てようと計画していたのに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150405)、知らないうちに横取りされていたのだ。金庫に入れておいた通帳がいつの間にか紛失していて、銀行に問い合わせたところ、いつ誰が勝手に解約したのかは、判明している。
しかも、その銀行は父が勤務していた職場であったので、騒ぎ立てるなとも言われた。その上、何ら関係のない主人が盗んだことになっていて、随分前のことになるが、手紙で主人の母が責め立てられたようだ。勿論、主人の母は、ショックで入院までした。
こういうわけのわからない話は、一体全体、どのようにすればいいのだろうか。どうすれば、お金が戻り、私自身のささくれ立った気持ちが収まるのであろうか。
「まぁ、交通事故にでも遭ったと思って、あきらめてください」と某所で言われたが、あきらめるも何も、私は交通事故に遭ったことさえ、一度もないのだ。
認知症講座の後遺症かもしれないが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161116)、長年のいろいろと理不尽なことが思い出されて、非常に疲れる。
昨日の講座の一事例に、コンビニでの支払いの際、お財布を店員が開けてお金を出そうと手伝うと、お年寄りには「お金に執着する」ケースがあるので、それは良くない対応になるという話が出てきた。自分が遣り繰りして貯めてきた大切なお金に関する執着ならわかるが、こちらが猛勉強して、教授推薦も受けて、大変な思いをして途上国で仕事に取り組んで得た私自身の収入や、真面目に経済的に学校に通い、事故も怪我もなく健康に育った子としての、当然の私の権利にまで執着しないでほしいと、強く願う。

PS1:本件については、(周囲にそのように言う人が複数いたため)自分自身のせいかと長らく思い込んでいた。あるいは、世間に顔向けできないほど恥ずかしい特殊事例だと思ってもいた。ところが、冒頭にもあるように、この種の逆行現象は、現在ではそれほど珍しいことでもなさそうなのである。インターネット上にも、被害にあっている未成年および成人した子ども側の叫びが散見される。悪戯心からの作り話かどうかは、私自身がすぐに判断することができる。まだ見ぬ仲間のような気がして、心から応援したくもなるし、「自分自身の人生を大切に築き上げてね!」と叫びたくもなる。つまるところ、一種の社会現象でもあるのだ。
だから、私は国政モニターとして、以下の意見を提出し、掲載していただいた。
https://monitor.gov-online.go.jp/report/kokusei201611/detail.php?id=1127690

PS2:もう一点、素人が勘違いしやすいことだが、このような環境下で育った子どもは、概ね生真面目で頑張り屋であることも少なくない。だが、それを「親に認めてもらいたいから、勉強を頑張ったんだね。もう頑張らなくてもいいよ」と、わかったふうに慰めているつもりのケースがある。私も、そのように言われたことが過去にあり、非常に脱力した。親に認めてもらいたいかどうかではなく、恐らくは父方の血筋を受けたのであろうと思うが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B2%C3%C6%A3%C0%C5%B0%EC)、私は小さな頃から、音楽を聴いたり、本を読んだりすることがとても好きで、従って、学校の勉強も全く苦にならなかった。そのことは、19年間、一緒に暮らしてきた主人が一番の証人である。「もう頑張らなくてもいい」ではなくて、むしろ「もっと頑張りたかった大切な時期を剥奪された」という悔しさが、無念としてあるのだ。勘違いしないでいただきたい。要するに、何事も、人を見て法を説け、である。