ネックレスは必須
三十代の頃まではフォーマルな外出時にイヤリングをしていたが、コンタクト・レンズを止めてメガネ一筋にして以来(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070916)、顔がうるさくなるので、すっかりおさらばした。それに、二十代の未婚時代というのは、気力、体力、忍耐力共に最高値にあり、多少、耳たぶが痛くても、おしゃれ優先で耳飾りを長時間つけていられる。
だが、主人が夫でいてくれる以上は、男性の目を気にする必然性がなくなったので、耳の痛さを我慢する必要性も、いつの間にか同時に霧散した。
移動の多い旅では、服装は軽くてシワにならず、動きやすく乾きやすいものが一番だ。色合わせさえ気をつけておけば、重ね着の組み合わせ次第で、一週間ほどは何とか変化をつけられる。全体的に地味な無地にしておくと、ふんわりした薄桃色の地にパステルカラーの花模様の華やかなシルクのスカーフが合わせやすい。例えば、前回のフランス旅行は2月の激寒期だったので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110222)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110224)、薄ベージュ系の無地のセーターに、長い絹スカーフを大柄の花びら風に大きな蝶結びにしたり、一つ結びにして垂らしたりしていた。
スカーフの巻き方は、暇な時に本屋さんや図書館のファッション雑誌を眺めて覚えておくのである。ただし、私は背が低いし、髪の毛が肩よりも長いので、実のところ、スカーフはあまりうまく使いこなせていない。
だが、首元に何もないと、そこで自分の価値観に基いて相手の経済的地位を推し量る西洋人もいるようなので、大学院時代の副指導教官でいらした胡白井成雄先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111001)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111003)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111006)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111226)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121007)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160119)の御香典返しにいただいた、花びらを型どった銀色のネックレスをつけていた。白井先生のご専門はフランス文学で、アランの教育論を始め、ユダヤ系作家のアルベール・メンミも翻訳されていたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141112)、仮に誰かが何か難癖をつけてきたとしても、「亡くなった私の恩師の贈り物なんです。大学院でフランス語の教授でいらしたのよ。ユダヤ問題にも深いご理解がありました」などと言い返す準備は、既にネックレスから始まっていた。
実際のところ、暇そうに難癖などつけるような意地悪な人は皆無だった。ただ、ユダヤ系であろうか、宗教心に富んでいらして、食前には二人で手を取ってお祈りしていたフロリダ出身のご年配のご夫婦が参加されていた。途中で奥様の方がちょっと顔をしかめて、「それ、クロス(十字架)なの?」と。
「いえ、お花です。二重になっていますし」と返答すると、安心されたようだった。四つ葉のクローバーの形が重なったデザインである。
いくら、西洋の自由をムスリム移民が侵している、などという議論が熱を帯びていようとも、「これ見よがしに、己の宗教実践を公共の場で示さないこと」を建前とするフランス(および現在のドイツや世俗化したスウェーデン)では、部外者の私でも気をつける必要はあった。旅団メンバーに、キッパを被っている人は誰もいなかったし、勿論のこと、十字架のネックレスなども見かけなかった。
日本人なら背伸びをせず、アクセサリーも日本ブランドが無難だとは思うが、宗教性ではなく、何か自分のアイデンティティを強化するようなメッセージを含むネックレスが最適ではないか、と思う。