ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

欧州旅行の写真など

9月23日から10月3日までに自分が撮影した欧州旅行(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161007)の写真をざっと見たが、日付(と名前)が入っていないので、まだメンバー用に写真の共有ができない。
昨年(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)はメンバー共有用にグーグル・ドライブを使ったが、それも掲載までに、私は一ヶ月半以上かかった。経験量を落ち着かせるまでに、時間が必要だったのだ。今年はグーグル・フォトが便利だそうだ。いつの間にか、私もそのグループに入れてもらっていたが、なぜか「アルバムから退出」表示がついていた。一方、自由に転送してもよい、と数百枚分を気前よくフェイスブックに掲載している人もいた。
それにしても、写真の撮り方や保存の仕方など、どんどん進化していって、私のようなアナログ人間には、到底追いつけそうにない。最初は無料だとしても、すぐにアップグレードして料金を払わなければならなくなるので、要注意だ。
どちらかと言えば、感じたことや考えたことをまず文章で小出しにまとめる作業を重ねて、ある程度の時間(約一ヶ月ぐらい)が経ってから、写真などの映像を手がかりに旅を振り返る、というやり方が自分には合っているようだ。昔のカメラに比べて操作が簡単なので、自分では撮った覚えのないアングルで写真が出て来るのも、不思議な気がする。移動しながらなので、ぶれていることもあるし、操作ミスで撮れていない場合もある。他の人達と交換すると、同じ所で重ねて何枚も撮っていることもあって、何だかおもしろい。
本来は、それぞれに写真を持ち寄って、自分に欠けている写真で欲しいものは相互に共有するというシステムだったようだが、集合写真も、昨年の三回に引き換え、今回は一度のみ、しかも、その写真はまだ出てきていない、という...。
昨年も今年も、全員が写真交換会に参加しているわけではなく、部分的だったり、個人で交換している場合もあるようだが、とにかく時間差がある。帰国すれば、それぞれの生活が待っているし、集中した旅だったので、行動そのものは簡単に辿れても、自分達が経験したことを理解するためには、とにかく読むもの、学ぶもの、整理するものが多過ぎるのだ。

http://hirobuchi.com/archives/2016/10/post_741.html#text


October 24, 2016
トランプ妄言を正す活動が必須(大統領選後)


・最悪です。日本人の立場で、彼を軽蔑したり無視することは簡単でしょうが、彼の無知に基づく日米安保観に引きずられて、日米安保に反対するアメリカ人が何百万人も出てくる可能性があります。彼らに正しい日米関係観を持ってもらうにはどうすべきか?今はなにもすべきではありませんが、大統領選挙が終わったら、安倍首相も外務省も全力を挙げて「対米啓蒙活動」に邁進してもらいたいものです。

(部分抜粋引用終)

繰り返すように、今回の英語圏(勿論、米国出身者が最多数)の欧州旅団に(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161007)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161017)、異質の遠来かつ珍客の勇敢なる(?)東洋人として(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161023)、私は単独で参加したが、このうんざりするような大統領選のディベートなるものには、一切、距離を置いていた。
途中、パリでフランス語新聞の見出しを見ていたら、どうやら討論会をやるらしいとのことで、参加者の中でも体力抜群の人達は、夜中も起きてテレビ中継に熱中していたらしい。
私はと言えば、シャワーを浴びて、翌日に備えてさっさと寝ていた。
こういう時、「ゆっくり喋って、言葉に多少不自由しているらしい日本人」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161024)と自他共に認めるハンディキャップが、有効に働く。誰も誘って来ないし、意見を求めることさえしない。全体として、昨年も今年もパイプス旅団は親切で温かい人達が多く、食事の時など、決して一人ぼっちになることがないのだが、こういう口角泡を飛ばす活発な議論については、私のモタモタ英語に誰も気が向かず、勝手に放っておいてくれる。プライバシー確保の上でも、疲労回復の時間を取る上でも、実にありがたかった。
ただし、パイプス先生にも参加者の一部にもはっきりと申し上げたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161016)、「大変失礼ですが、今回の大統領選には、一日本人の立場としてがっかりしています」「日米間の政治記録を、あの一連の発言で壊してしまっています」「米軍によって軍事的に保護してもらう代わりに、日本の経済力が米国を助けたという相互協力の面もあったのに、それを知らない人々がいるのです」「米国は内向きになるのですか?でも、そもそも日本を平和憲法で弱体化させたのは、米国じゃありませんか?」
これぐらいは表明しておかないと、(あいつ、何しに来たんだ?意見がないのか?)と勘違いされても癪なので、この際、はっきりと釘をさしておいた。
びっくりした表情をしていた人もいたが、「だって、あの時は日本が怖かったから」「でも、安倍首相は、軍事力を上げると公言したぞ」「もう一度、偉大な国に米国はなりたいのよ」「そうよね、彼女の言っていることは筋が通っている」などと同意してくれた人も複数いた。
こういう時、第二次世界大戦の苦い教訓から、世界秩序を脅かさず、国際法を遵守し、なすべきことをきっちりとしてきた日本の外交および内政の重要性を痛感する。もし、国が破綻していたり、「失敗国家」と呼称されていたりしたら、カラチ夫人(https://raheelraza.wordpress.com/2016/10/11/a-tour-of-europe/)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20161005)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20161021)(と私が敬意を込めて命名したニックネーム)のように、殊更に流暢な英語で、西洋人に対していつも身構えてムスリム防衛言論を張っていなければならない。これはこれで、大変なことである。
日本の場合は、最初から誰がどう頑張ってみても非一神教文化で、首相を筆頭にあまり英語が上手ではない国民だという国際的な評判があるので、誰も何も期待していない。体も小さく、体力さえ西洋人に劣る。従って、期待する方が無理というものであり、私ならばそこを逆手に取る。
要するに、当事者ではないが故に、期待値外にあるので責任も過重ではないという意味だ。騒動や対立の喧騒に巻き込まれずに済むということだ。その利点を活かして、世界情勢を縱膻に学びつつも、己の力量の範囲内で、勤勉かつ伸び伸びと、自分ならではの領域をより深め、より高め、より広げるべく、常に黙々と努力を続けていればよろしい、ということである。
相手に押し付けなければ、誰も文句は言うまい。そう考えて、常に悠然と落ち着き払っていた私だった。