ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ちょうど一ヶ月前には....(3)

フェイスブックで疲れたので、今日はちょうど一ヶ月前の出発を記念して、今回の欧州の旅(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161007)で知り合ったオーストラリアの女性との会話を。
この方はシドニー在住で、ユダヤ系ではなく、お孫さんもいらっしゃるようですが、なぜかフェイスブックの自己紹介の欄には「離婚」と書いてありました。でも、非常に元気で活発で、今回もびっくりしたことには、パイプス先生率いる欧州の旅(2016年9月24日の夕方にパリのホテルで集合から10月1日の朝にストックホルムで一端解散+有志参加のストックホルムの会合で夕方終了・各自帰国)の後、知り合いのつてを頼りに、スウェーデンの他の地域や中東欧の各地に加え、何と中東までぐるりと飛び回っていらしたようなのです。先程入った連絡によれば、やっとオーストラリアへ戻った模様。ほぼ一ヶ月の欧州と中東の旅ということになります。
それにしても、このエネルギーはどこから出てくるのでしょうか。英語話者なので、世界中どこへ行っても言葉に困らないという利点に加え、オーストラリアというお国柄の利便性も預かっていると想像します。それに、活動の目的が明確で、西洋へのイスラーム過激派や不適切なムスリム移民の浸透を防ぐべく、ご自分が発起人となり、有志グループを作って、盛んに情報交換をし、意識を高めていく運動を展開されているのです。この戦略性と機能性は、もっと私も学ぶべき時期に来ているのかもしれません。
この女性から、バスで隣同士の席になった時、日本のイスラームムスリム事情について問われたので、即座に日頃のブログ書きによる勉強ノートを思い出し、英語に置き換えて、以下のようにお返事しました。
「日本のムスリム人口は流動性が激しく、モスクのイマームでさえ移動するので、正確な統計を得るのは非常に困難ですが、大雑把には10万人前後いて、その約9割が外国人ムスリムで、残りの約1割が日本人の改宗者だと言われています。外国人ムスリムは、インドネシアバングラデッシュ、パキスタン、マレーシア、中東などの出身で、留学生だったり、労働者だったり、大学でイスラームアラビア語を教える人だったりします。日本人ムスリムは、国際結婚による改宗か、個人改宗です。個人改宗の場合、大学でイスラームを学んで惹かれることも多いようです」。
「日本には、大きなモスクが東京と神戸にあり、建築はトルコ式だそうです。その他には、マンションの一角や廃屋を用いたモスクや祈祷所があるようですが、その数は正確にはわかりません。いつの間にか閉鎖されていたり、移転したりしているからです」。
こういうことは、旅の合間に誰から尋ねられてもよいように、普段から書籍や論文を読んで仕込んでいなければならないと思っています。インターネットのニュース情報だけでは不正確なこともあるからです。
驚いたことに、答えるや否や、大切そうに片手に握っていたスマホに私が言ったことを入力されてしまいました。それも、ご自分が立ち上げたグループの人々へ即座に共有するらしいのです。
帰国してから、気になったのでいろいろと調べてはみたのですが、20万という数値もあれば、11万という細かい数字もあり、学術論文でなければ、上記のデータが妥当かとも思いました。もっと詳しく信頼のおける資料が見つかったら、後日、連絡しようと思っています。
ところで、その元気なオーストラリア女性から、ホテルのエレベーター前で、皮肉っぽく言われてしまいました。
「あら、(可愛いうさちゃん)がいるじゃない?」
そこで、すぐに言い返しました。
「Bunny(兎)じゃないわ。私はhuman(人間)なんですよ!」
「それは、オーストラリアの言い方よ」
ミッフィーhttp://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080105)ですね?」
ちょうどエレベーターのドアが開いたので、そこでお別れに。
それにしても、私も「ああ言えばこう言う」を地で行っていますね?日本語では負けませんが、英語でも、2012年春以降、パイピシュ先生に相当鍛えられて、負けてはいません。肺活量と鼻息の勝負みたいな英語圏4ヶ国の旅団の人々に混じって、唯一の遠来の珍客たる極東人の私は、それなりの貢献を示さなければならないのです。
「貢献」とは‘contribution’なので、‘con’(共に)‘tribution’(「捧げること」「与えること」)の部分で存在感を出さないと、「では、次からはご遠慮願います」ということにもなりかねません。「あの人は、一体全体、何をしに来たのだろう?」「あの人が来たら、足手纏いになった」ではいけないし、ましてや体調を崩したり、粗相をするなどして、ご迷惑をかけてはいけません。だから、食べ物もセーブして、飲み物だけは充分に、夜はぐっすりと休み、無理をせず、危険な冒険は控えて、団体行動の規則を遵守することに留意した、8日間でした。
お陰様で、最後の送別夕食会では、スマホで交代で写真を撮り合ったり、ハグを受けたり(これは忙しかった!)、「また今度も参加してね」等など。
まだ、12冊のメモ、あちこちで入手したパンフレット、各種レシート、購入した本、講演者や参加者からいただいた名刺などの整理がついていません。考えと思い出をまとめるには、いつものことながら、思い立った順にブログで自由に書き連ねつつ、ある程度、時間を置いた方が私には向いています。それ以上に、「大学の一セメスターに相当する内容を含む」とパイピシュ先生自ら、事前に宣伝されていただけあって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161010)、相当に重く深い考察項目が並んでいます。
ただ、2003年まで、マレーシアへリサーチ旅行に毎年行っていた頃の何とも形容し難い、曖昧模糊として徒労感の多い、ぐったりした疲れは、さすがに先進国なので全くなく、気候の上でもほぼ大差なかったので、体調も服装も楽でした。
録音禁止という条件がついていたので、盛んにメモを取っていたものの、他の方が送ってくださった写真を見ると、また新鮮な印象があるのが不思議です。ビデオ映像も数本たまっていますが、現場にいた時の臨場感に、落ち着いて繰り返し見直せる自宅でのビデオ鑑賞が加わると、考察も深まります。
文化圏が異なるので、同じ物事を経験しても、各文脈を理解するためには二重三重に準備をし、考えを一つずつ積み重ねて整理していかなければならず、大変は大変。でも、私にはこのスタイルが合うようです。勿論、パイピシュ先生の激しく集中した移動スケジュールと変幻自在の詰め込みプログラムは、私の好みでもあります。
やっぱり私、バニーでしょうか。