ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

オランダと日本人の左傾化?

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41903


「懲りない朝日新聞のオランダ外相「強制売春」発言報道:清算済みの事案を蒸し返して、なおも歪曲」


2014.10.8
古森 義久


朝日新聞慰安婦問題報道で自らの大誤報を認めた後も、相変わらず実態をゆがめる報道を続けている。
・「日本軍による組織的な女性たちの強制連行」が虚構だったことを認めながらも、なおも論点を巧妙にずらして、「強制」を拡大し、自紙の大誤報を正当化しようとする姿勢が顕わである。反省の色はまったく見られないと言ってよい。
朝日新聞のそんな歪曲報道の最近の実例が、10月5日朝刊の国際面に載った「『強制売春 何の疑いもない』」という見出しの記事だった。副見出しには「インドネシア売春婦 オランダ外相発言」と記されていた。ハーグ発の梅原季哉記者の記事である。
・「オランダのティマーマンス外相は3日、第2次世界大戦中に日本軍が占領した旧オランダ領東インド(現インドネシア)での慰安婦問題は、『強制売春そのものであることには何の疑いもない、というのが我々の立場だ』と発言し、慰安婦問題を巡る謝罪と反省を表明した河野談話について、見直しを求める日本国内の動きを牽制した。ハーグの同国外務省で、日本メディアを対象にした記者会見で発言した」(以下省略)

(部分抜粋引用終)


この記事で思い出すのが、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160224)だが、新鮮なところでは、この10月3日に早朝のストックホルム空港からオランダ航空を利用した帰路で、アムステルダム経由で関空まで飛んだ時、隣の席に座った日本人男性である。気さくな感じで、それまで知人らしい白人男性とオランダ語で話していたのに、私の方へ顔が向くと、自動的に日本語に切り替わるのである。泉佐野のご出身で、「泳いで(歩いて?)空港から自宅まで」と、おもしろくもない冗談を飛ばしていた。
この男性は、35年以上もライデン大学で日本語を教えて来られたそうで、お母様の具合が悪くなったので、急遽、一時帰国を決めたらしい。私に向かって「もう我々の歳になったら、そういうことも考えとかないと」みたいな軽いお説教をされた。
言われなくても、ずっと前から身にしみていますよ!
だから、機を捉えて、行ける時に海外へも行くんじゃないの….。若い時のように「また今度」なんて、あるのかないのかわからないんだから。
ライデン大学と言えば、私にとっては、まず、聖書学の村岡崇光先生である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110424)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120109)。実はまだお目にかかったことは一度もないのだが、所属学会を通じて、ここ数年、英文和文両方のエッセイが度々送られてくる。エッセイを纏めたご著書も、既に日本で出版されている。
東南アジア、特にマレーシアの神学校では、半島部でもボルネオ島でも、著名な先生である。戦時中の日本軍の行為に対するアジアでの謝罪の旅を、奥様と共に続けていらっしゃるからである。それも、名誉教授でいらっしゃるので、ヘブライ語ギリシア語などの聖書原語を無料で教授する代わりに、先生のお詫びの気持ちを現地の人々にお伝えする、という極めて特殊かつ高尚な交流である。
広東系のNg Kam Weng博士などは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=Ng+Kam+Weng)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Ng%20Kam%20Weng%22&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Ng+Kam+Weng%22)、「祖父母が日本製品は一切買わなかった」と断言するほど、かつては日本嫌いで通ってきただけあって、村岡先生については「本当に紳士で、神々しい方だ。そして学者だ」と、手放しの賛辞を私に向けて繰り返されている。
戦時中のことを克服しない限り、私のマレーシアでのリサーチはお遊び程度で終わってしまったであろう。それ故に、村岡先生との出会いは貴重である。
但し、沖縄や中国の今日的な問題については、私は村岡先生と見解を異にしており、その旨、今回の欧州旅行前にも率直にメールで申し上げた。そのこともあって、お隣の日本語の先生に対しても、「私、村岡先生にお目にかからない方が、むしろがっかりされなくていいんじゃないか、と思います…」などと予防線を張っておいた。
すると、「村岡先生、活発な方ですよね。奥様とご一緒にっていうのがいいですよね」「だって、イスラエルで学位を取ってすぐ、オランダに来て、一年も経たないうちにランダ語でスピーチをされるぐらい、語学の才能がある方だから」と、教えてくださった。
私も、「えぇ、送ってくださるエッセイには、いつも奥様同伴だって書いてあります」「東南アジアでも、聖書の原語をボランティアで教えていらっしゃるみたいですよ」と話を合わせたが、不思議なご縁でもある。
とはいえ、そのオランダ帰りの日本語の先生とは、「日本の人口縮小に対して、移民を受け入れなければ経済的に立ち行かないからダメだ」とおっしゃった点で、きっぱり私は見解が異なっていたので、それ以降は、黙ったまま、別途帰って行かれた。
オランダで報道されている欧米のリベラル左派思想に、もしかしたら、村岡先生も染まっていらっしゃるのでは?

追記:個人宛のメールの著作権は、受取人ではなく、差し出した本人にあると解釈し、以下に私から送信した村岡先生宛のメールを複写する。

村岡崇光 先生


確かに拝受いたしました。これからゆっくりと拝読いたします。


主人と(久米島も含めて)沖縄を初めて訪れた2011年3月には(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101117)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131105)、ガイドさんなどが大変親切にしてくださり、「アメリカさんとは何とかやっていますよ」「平和学習ってあるじゃないですか。でも、あまりこちらを気遣わないでください」「今の若い子はプレッシャーをバネに頑張っている」などと、ボソッとおっしゃった方までいました。


恐らくは、沖縄の人々の間でも、さまざまな沖縄観があるのだろうと思います。固定観念ではなく、それぞれの立場があってのことだろうと柔軟に考えていきたいと願っております。


取り急ぎ、お礼のみにて失礼いたします。


2016年9月19日

村岡崇光 先生


もちろん、おっしゃっていることは、大学でも学会でもよく耳にするところで、私は決して、無視しているわけではありません。


ただ同時に、それのみではない、(利得や利権で生きているのではなく、ごく普通の)沖縄の人々もいることに気づかされたのが、私達の旅でした。


那覇市で、歩道橋のような所に「本土の人々を温かくもてなそう。そうすれば私達も栄える」と大きく書かれた標識を見て、非常に心を動かされました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110407)。


もし、「沖縄の人々は二等市民扱いされている」とのみ公に言及していたら、 むしろ、その標識を無碍にすることになりはしないでしょうか。


沖縄には沖縄の文化や考え方があり、本土で育った私には到底、理解しようとしても及ばないことがたくさんあると思います。でも、沖縄の人々の中には、大阪に出てきて、しっかりと私達と一緒に暮らしている人々もいるのです。そこに上下関係も差別観などもなく、ただ同じ日本国民として、 「一緒に暮らしている」現実があるのみです。


主人とも、この問題については時々話し合っていますが、理系のためか、「差別だとか何だとか、殊更に言い立てているのはかえって変だ」「米軍基地による事件などはニュースで知っているけれども、だから我々も負担をしているではないか」「戦争の時、本土決戦を防ごうとして犠牲になった人々のことは、我々だって充分心しているではないか」という方向に向かっていきます。


佐藤優さんのご親戚の方々とも、久米島や京都でお会いしたことがあります(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101013)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110407)。親族の誇りのようで、集合写真まで見せてくださり、いろいろとお話しくださいました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101117)。


イスラエルへ初めて行った2007年にも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070725)、大阪の企画だったのに、沖縄のご夫婦も参加され、一緒に充実した時を過ごしました。


マレーシアで若い時に鍛えられたせいか、私としては、もう少し素直に、さまざまな沖縄の人々と自然に接することができればと願っています。


沖縄が中国に呑み込まれそうになる時、沖縄の人々がそれでも日本国を信頼して、日本を選択してくださるような交流を、普段から心掛けたいと思っています。


2016年9月21日

(複写終)
但し、過去ブログのアドレスは、このブログ用に追加したものであり、村岡先生宛のメールには含まれていなかった。