ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マレーシア総選挙の結果など

昨日のマレーシア総選挙の結果は、半ば予想通りとなりました。
本来は「教会は信仰共同体であって政治には関与せず」という立場だったはずのキリスト教会も、非ムスリムを中心とする信徒集団の社会動向に沿って、ここ数年来、かえって積極的に投票を呼びかける動きも見られます(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080224)。
1990年代前半は、まだ日々の生活に必死で、不満があっても子どもに将来の希望を託すかのごとく政治には無関心を装い、国内治安法で電話を盗聴される(?)ことさえ恐れ、「ここはこういう国だから」と悟りきったかのような諦念を表明しつつ、せっせと自分達の暮らしに専念していたような人々も、この頃は私と同年代以下の世代を中心に、フェイスブックやメールや各種会合で不満をはっきり出すようになってきました。
1994年来の知り合いでお世話になってきた福建系華人で、コミュニティーリーダーとして周囲から押されて2008年に出馬し(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080214)、見事当選したことが逆に命取りになったかのように、2011年12月下旬に病気で亡くなった友人のご次男が、この度、お父さんの遺志を継いで出馬。昨年12月に、お嫁さんと三人で一緒にクランの墓地までお墓参りに行った時(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121225)、出馬の意志を聞かされていました。お父さんの時と同様、「私が交流を続けてきたのは、政治に関与して(研究やリサーチ上の)利益を得たいからではない」と意思表明し、「悪いけど、外国人として私は、政治関連では距離を置かせてもらうわね」と伝えてあります。
とはいえ、励ましの言葉は時折に。ものすごく気を遣うタイプで、このままでは周囲の期待に応えようとする余り、若くしてつぶれてしまうのではないか、と心配だからでもあります。
それはともかく、予想が外れなかったという結果は、私の長年のマレーシア・リサーチの恩恵でもあります。
野党側の進捗は当然のこととして、首相ナジブ氏の名前を出しただけでも、ものすごく顔をしかめる二十代、三十代とも出会い、(時代は変わったなぁ〜)と感慨ひとしお。ただし、日本側から見ていると、何かとこちら側との意識にズレが生じているのも事実。研究の場では「現地の視点で」を強調されますが、(今頃、こんなことを言っているようではねぇ)というのも正直な感想。そこが、いわゆる第三世界の途上国の矛盾葛藤なのでしょう、と人ごとのように...。
私の醒めた眼は、実は中東のいわゆる「アラブの春」の誤称および混乱の始まりに由来しています(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120204)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120319)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120321)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120622)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)。それと、そんなに簡単に政権交代できるほど、野党側が成熟しているようには見えませんし、それは日本の事例でもよくわかったはず。「どっちも嫌だけど、仕方なくましな方を選ぶとすれば」みたいな感覚は、ダニエル・パイプス先生も中東に関して表明されていたところで、上記の友人の息子さんも全く同じことを言っていました。
ところで、話は変わりますが、マレー語ないしはインドネシア語で書かれた聖書翻訳に関する研究論文についての私の率直な感想に対して、スシロ先生も同意してくださいました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130503)。何のことはない、「インドネシアの方がマレーシアよりも、この分野はずっと発展していますね」ということなのですが、スシロ先生の方も「あなたの観察は全く妥当だと思いますよ」とあっさり合意。だから私の場合も、学問上はオランダ語から始めて、インドネシアから見ていく必要があったと、常々考えていたのです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091230)。
そして、前回および今回のマレーシアの選挙動向に絡めて、マレー語聖書における「神」の語彙使用の問題まで浮上していたのも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%A1%C8Allah%A1%C9&of=150)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%A1%C8Allah%A1%C9&of=100)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%A1%C8Allah%A1%C9&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%A1%C8Allah%A1%C9&of=0)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130426)、本来おかしな話ではあるのです。結局のところ、きちんとした研究の積み上げがなく、まともなその筋の権威者もほとんどいないので、話が無責任に横に広がって、ああでもない、こうでもない、と言い散らしている状態。
マレーシアって、何も考えずにただ暮らすだけなら、楽しい場所なんですけどね...。
さて、4月8日から無断でお休みを取っていたパイプス訳業、5月に入って再開です。実は29本の下訳が既にできあがっています。ドイツ語およびフランス語からの訳文も混じっています。
このところずっと、ボストン・テロのことでご多忙だったようですし、講演会に招待されたものの、「あいつは考え方が偏っているから講演の謝礼を出さない」という発言まで飛び出してきて、何かと混乱状態だったために、こちらも控えていたのです。
パイピシュ先生は、ご自分に向けられた誹謗中傷に関して堅く方針と対処法を決めた以上、すっかり開き直って堂々と振る舞ってはいらっしゃるものの(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121020)、やっぱり味方がほしいようで、「あなたが僕の訳者であることを特権だと感じているよ!」と再び書いて来られました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121108)。
まぁね、訳業の申し出を正式にお受けする前の二ヶ月間、さり気なく様子伺いおよびご機嫌伺いを「メル友」として経験しておきましたから...(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120404)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120619)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120620)。立ち上げに時間がかかるものの、何か新たなことを始める前にあらゆる角度から慎重に検討する日本のやり方は、決して悪くないと思います。それに、地理的距離が幸いして遠くから見ているので、ついて回る感情の付着がないことも重要な要素。「アメリカとイスラエルの建設的な相互繁栄に寄与する(ことで、我々日本側にとっても益がもたらされることを希望し、ひいては中東全体の安定した社会構築に貢献する)」という原則をしっかり守っていさえすれば、後は人間社会の法則に沿って、礼節を守ってご連絡を取り、約束を遵守している限り、細かいことは何もおっしゃらないパイピシュ先生ですし...(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120623)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120628)。
テレビとラジオ出演について、前から質問したかったことを4点にまとめて、お尋ねしてみました。
以下は、そのやり取りです。

1.テレビやラジオでは、先生のウェブサイトのご意見を読んだプロデューサーが、番組に出演するよう先生をお招きするのですか?
→ どのように彼らが僕を見つけるのか確かではないけど、話を進めるのは彼らであって、僕じゃないよ。


2.米国では継続的に番組の新たな変種があるように思われます。出演を受諾するに際して、決定の基準は何でしょうか?
→ 僕の伝えたいメッセージが届く助けになるものは何かを探ろうとはしているよ。


3.スカイプとスタジオ出演の選択に関する主な相違は何ですか?
→ 可能ならばスタジオで、スカイプは(スタジオが)不可能な時だね。


4.放送でお話になる前にリハーサルをされていますか。それとも、大半の内容を即興で語っていらっしゃいますか?
→ 時々、事実を記憶して準備するけど、今回のように一般的な議論の時、普通は準備しない。

こういう素朴な質問をしたのは、「ユダヤ人がメディア・コントロールをしている」とか何とか、わけのわからない風評をもっともらしく語る人々がまだ存在するからです(http://www.danielpipes.org/12731/)。最初から私が一度も「ユダヤ人の世界制覇」とか「ユダヤ人のメディア・コントロール」などに靡いたことがなかったのも、子どもの頃から、教育に重きを置く知的で創造的で個性的な民族だという印象があったため。
どの民族にも特徴や傾向があり、当然、誰でも得意な分野で生き延びようとするのは世の習いであって、たまたま、自分達の国土を持たずに、世界中で散らばって生きてきた人々であれば、教育熱心になって、それぞれの才能を活かして生きていけるようにするのは自然だと考えるからです。ユダヤ系の場合、学者や芸術家や弁護士の他に、ジャーナリズムでの活躍が目立ちます。聖書解釈でさえ、あれだけ議論を理屈っぽく繰り返す習慣を持った人々なのですから、文筆で生計を立てる人達が存在するのも、むべなるかな。
それに、子ども時代から、著者や作曲家がユダヤ系だと知らずに引き込まれて夢中になっていた本や音楽が(実は...)と後から判明したことが多くて、それも興味深く思っていました。
ともかく、パイピシュ先生には、どういうわけか何かといつも小うるさい批判者がいて、定期的に騒動を起こすので、こちらも楽しませて(?)もらっています。パイピシュ先生も、大胆なようでいても、実は非常に生真面目で神経質なところがあって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120812)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120929)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130121)、まともに反応しようとするから余計に...とも感じますが、これも個性というのか持って生まれた人柄なのでしょうねぇ。
ともかく、私にとっては、適度に楽しく学ばせていただいています。人生、何事も勉強です。