ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

訃報:中村紘子さん

中村紘子さん、亡くなったって」
起床後すぐに、ラジオを聴いていた主人が教えてくれた。
しばらく前、大腸ガンのため休養すると公表されていたのは知っていた。だが、関西に居住するようになってからは全く聴いていないし、演奏会にも行かなかった。1990年代前半期のマレーシア滞在中に、中村紘子さんがクアラルンプールで演奏会を開くと大使館経由で同僚が知らせてくれた時も、私は行かなかった。
私にとっては、中村紘子さんは敗戦国日本の文化地位向上のために尽力された一つ上の世代、という印象があり、国内外の他の演奏家、特に若手演奏家の目覚ましい活躍振りを知ると、もっとアクチュアルな音楽の世界に触れたいという気になってしまったからだ。

小学生から高校生の頃までは、勿論、テレビでも夢中になって演奏を視聴していたし、高校生の時には、名古屋で開かれた演奏会に一人で出かけ、記念にサイン入りのLP(CDではない)を3000円で買った。華やかなドレス姿に甘い美貌で上品な声の語り口なのに、実際のホールでは、舞台袖からスタスタと足早に出て来られたかと思うや否や、そのままドスンと椅子に座った途端、物凄い勢いで弾き始める、という男勝りのスタイルだった。
学生時代に聴いたNHKラジオの文化講演会で、「ピアニストは両手を均等に動かすので、長生きする人が多いそうです。憎まれっ子世に憚る、と言いますが、百歳ぐらいのよぼよぼのお婆さんになっても『あの人、まだ弾いているのかしら?』なんて陰口を叩かれながらも、ハンサムな若い男の子に手を引かれて、ニコニコと舞台に上がってピアノを弾き続けていたい、それが私の夢です」みたいなことをおっしゃっていたことを覚えている。
他にも「一日に十時間は練習する」「子どもの頃、ピアノの指を守るためにスポーツは一切厳禁だった」「プロであることは苦しみである」とも話されていた。
余談だが、今、国際的に活躍しているクラシックの演奏家は、そこまでストイックにならなくとも、さまざまな科学的訓練を活用して、もっとうまく両立させているのではないか、とも思う。私が演奏会場で拝見している限りでは、今のクラシック演奏家は、一流になればなるほど、舞台ではにこやかに楽しげな表情で奏することが流儀なようだが、中村紘子さんは、常に眉間に皺を寄せて、とても難しそうに指を動かし、精一杯バンバンと弾かれていた。
だからこそ、恐らく、百歳までは演奏活動を継続はされないのではないか、と当時から思っていた。若い頃から注目され、特に美貌で鳴らしていると、なかなか周囲もご自分も許さない老いの姿、というものがある。だから、静かにいつの間にか引退されて、長い音楽活動を振り返って著述を少しずつ、というライフスタイルになるのではないか、と想像していた。
中村紘子さんは、高度経済成長期に育った私の世代辺りまでの一般日本人に対して、政財界人との人脈経由でクラシック・ピアノ音楽の啓蒙普及に努められた方だと思う。ある意味で、ピアノの世界を通して、西洋文化に対する夢や憧れ(と現実とのギャップ感覚)を与えてくださる方だった。一般の手の届かない、遙か高い所にある世界という距離感があればこそ、真摯に努力をして学び吸収もし、そこに人生を賭ける意義も当然のようにあったのだった...。
一方、あらゆる情報が簡単に入手でき、耳が肥え、全般に敷居の低くなった今はどうだろうか。例えば、数年前に偶然You Tubeで見たビデオ・インタビューでは、あまりにも物を知らない勉強不足の若い女性が、あまりにも初心者的な質問を中村紘子さんにぶつけていた。一つ一つに丁寧に答えられていたものの、さすがに不愉快そうな表情を最後にチラッと見せられて終了した映像だった。私の世代では、あまりにも安易に過ぎ、考えられもしない不作法だと思った。
ともかく、ピアノ演奏以上に文章の方が、本格的なクラシック音楽の評論とは違い、どこか読者受けを狙った大衆的な感覚が入り混じっていておもしろかった。

http://www.asahi.com/articles/ASJ7X7RGVJ7XPTFC01H.html


私生活では1974年、作家の庄司薫さんと結婚して話題に。きっかけは、芥川賞を受けた庄司さんの小説「赤頭巾ちゃん気をつけて」に自分の名前が登場するのに気づいた中村さんが、庄司さんに電話したことだった。

(部分抜粋引用終)
庄司薫氏は私の学生時代に有名な人気作家だったが、私はと言えば、読んだ作品は上記の経緯を知ったが故の『赤頭巾ちゃん気をつけて』一冊のみ。確かに、中村紘子さんのことが極僅かに綴られていたが、予想外の記述の少なさに驚いたことも印象深い。つまり、世間的には持て囃されているが、ピアニストとは練習に練習、演奏会、会場までの往復の旅の連続で、あまり人とは深く長く接する余裕がないのではないか、と思ったのだった。
以下の四冊のうち、三冊目までは自宅にあるが、最初の頃は興味深く読んだ。

チャイコフスキー・コンクール−ピアニストが聴く現代』(中公文庫/中央公論新社 1988年)
http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070908
アルゼンチンまでもぐりたい』(文春文庫/文芸春秋 1994年)
ピアニストという蛮族がいる』(文春文庫/文芸春秋 1995年)
http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071005
コンクールでお会いしましょう−名演に飽きた時代の原点』(中公文庫/中央公論新社 2003年)

マルタ・アルゲリッチについては、アルゼンチン出身であることの背景については触れられず、腕が太いとか、子どもが生まれる度に父親が違うなど、どうでもいい記述が目に付いたこともあったが、上品ぶったクラシック音楽の裏話や舞台裏などが垣間見られて、視野が広がったことは確かだ。しかも、出版後に「私、もっとピアノがうまくなったと思うの」と新聞記事のインタビューでおっしゃっていた....。
ここで、よく知られた懐かしい映像を。

「1960年 10月19日 イギリスBBCスタジオ収録。16歳の頃の演奏。指揮:ウィルヘルム・シュヒター 管弦楽NHK交響楽団


https://www.youtube.com/watch?v=8PZqhjx3ITM
Chopin Piano Concerto No.1 1st.Mov. Hiroko Nakamura

https://www.youtube.com/watch?v=8wWB6Ly3Tzs
Chopin Piano Concerto No.1 2nd.Mov. Hiroko Nakamura

https://www.youtube.com/watch?v=g4wm6zLqT-o
Chopin Piano Concerto No.1 3rd.Mov. Hiroko Nakamura

1960年の時点で、西洋文化を吸収した十代半ばの小柄な日本女性が、日の丸を背負って世界の檜舞台に出て頑張っていらしたという貴重な映像。
着物で弾くのは大変だったとは思うが、確かに「ハイフィンガー奏法」ではあるものの、この頃の方が、きれいな音が出ていたのでは?また、ご自分でもおっしゃっていた人口に膾炙する話だが、演奏後にお辞儀をした後、指揮者との握手もなく、オケへのご挨拶もなしに、憤然としてさっさと右側の舞台袖に戻っていく辺りは…。
もう一つ映像を。

https://www.youtube.com/watch?v=AHbWTtD9n0k

イスラエル教育テレビでのインタビューとピアノ演奏(28:25)。初めて中村紘子さんの英語を聞いた。日本経済の好調期と自分のピアノ経歴がパラレルで、ラッキーだったとおっしゃっている。日本は小さい国なのに、3500のコンサート・ホールがあると。皇后陛下が音楽好きであることも功を奏している、と。
予定は先々まで立てられていた。

http://www.nakamurahiroko.com/schedule/


2016年9月24日(土)開演15:00


中村紘子トーク&コンサート〜少女の頃の夢〜

2016年9月24日(土)15:00
ホテルカデンツァ光ヶ丘 地下2階 宴会場「ラ・ローズ」
お問合せ:ホテルカデンツァ光ヶ丘 Tel.03-5372-4438

(抜粋終)
今なら、チケットを入手されていた人々もいたのでは?

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160729/k10010612791000.html


「ピアニストの中村紘子さん死去」
7月29日


日本を代表するピアニストで、世界的に活躍した中村紘子さんが、今月26日、大腸がんのため、東京都内の自宅で亡くなりました。72歳でした。
昭和19年に山梨県で生まれた中村紘子さんは、3歳でピアノを習い始め、中学3年のとき、今の日本音楽コンクールで史上最年少で1位になりました。
昭和40年には世界の一流ピアニストへの登竜門として知られる「ショパン国際ピアノコンクール」で、日本人で初めて4位に入る快挙を成し遂げ、その後も繊細さと躍動感を兼ね備えた演奏で多くのファンを魅了し、日本を代表するピアニストとして世界的に活躍しました。
これまでに国内外で3800回を超える演奏会を行い、平成20年に紫綬褒章を受章したほか、翌年には日本芸術院賞・恩賜賞に選ばれています。
所属事務所によりますと、中村さんは、おととし大腸がんが見つかり、その後、演奏活動の休止と復帰を繰り返していましたが、およそ2年半の闘病の末、今月26日、東京都内の自宅で亡くなったということです。

(転載終)
お名前が含まれた過去ブログは、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140509)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080526)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080525)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080209)。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。