ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

クリスチャン・ツィメルマンに感謝

今日の夕方、クリスチャン・ツィメルマンのピアノ・リサイタルへ行きました。
ホールは西宮の兵庫県立芸術文化センターで、彼にとっては複数回目だろうと思われます。でも、私にとっては、彼にお目もじしたのはこれが初めてでした。(以前は、「クリスティアン・ツィメルマン」「クリスティアン・ツィマーマン」「クリスチャン・ツィマーマン」とも表記しておりました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100430)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110929)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110930)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120124))。

もし今年の1月13日にダニエル・パイプス氏が私の英語ブログを引用しなかったら(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)、その後三週間ほどのメール文通でパイプス氏が私に翻訳を頼んで来なかったら、本来、今頃は「ツィメルマン・ファイル」が出来上がっていたはずでした。大阪府立図書館と国立民族学博物館の図書館に何度か通い、古い音楽雑誌などからインタビュー記事をコピーして(もうリストは作成済み)、自分なりの理解を深めるつもりだったのです。
CDもかなり集中して7枚買いため、何度も繰り返して聞いていました。2011年9月29日から10月19日にかけて、You Tubeショパンコンクール優勝時からの懐かしいポーランドの映像を集めて見ていた時期がありました(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=Zimerman)。中古雑誌のインタビュー記事なども取り寄せて、ピアノだけでなく、物の考え方や人柄に魅力のあるすてきな紳士だな、と感銘を受けていました。あれほど有名なのに、ポーランド出身のためもあってか、非常に謙虚で素直な方のようで、そこにも惹かれていました。
これまたブログ引用で知り合った、たまたま私の住む町内に叔母様が住んでいらっしゃるという関東在住のクラシック通のMusicArena primex64様が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110927)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110929)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111018)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111130)、ツィメルマンについて少し昔話を教えてくださったことも、今ではありがたく思い出します。
その方から2011年10月18日付メールでいただいたメッセージの一部を、無断転載で恐縮ですが、ここに引用させていただきます。

ツィマーマンは若くして世に出た後、ずっとそのプレゼンスを維持しつつも粋な歳の取り方をしてきている数少ないソリストの一人です。今から30年ほど前、ハンガリーから同世代の三人のピアニストが彗星の様に現れ、ハンガリー三羽烏と称された時期がありました。その三人とはゾルターン・コシチュ、アンドラーシュ・シフ、そしてデジェ・ラーンキ(発音によりデジュー・ラーンキとも・・)でした。日本ではラーンキの人気が圧倒的であり来日するたびにチケットは完売、その殆どは中高年のご婦人達が買い占めていたのです。甘いマスクで耽美なピアノを弾く好青年でしたので・・・。彼はツィマーマンより5歳ほど年長だったので、ツィマーマンを初めて見た時には直感的にラーンキの再来かと思ったほど整った美形でした」。


その後、この人達はどうしているのか・・・? シフはピアノの世界に留まって今も精力的に活躍しています。コシチュは指揮者に転向し、地元ハンガリーのオケで音楽監督等をしています。で、デジェ・ラーンキが行方知れずというか、その後まったく名前を聞くことがなくなってしまいました。この世界で息長く活躍することは、実は非常に難しいのです。なので、下手だのビジュアル系だのと誹られつつも継続的に活動している人はそれなりに偉いのです。ましてや、齢を重ねつつも絶え間なく変革と挑戦をし続ける一線級のソリストというのはそれだけで敬服に値します」。

ごめんなさい、もし今も拙ブログをご覧になっていて、この引用が失礼でしたら、どうぞおっしゃってくださいね!私なりの要約でもいいのですが、あまりにきちんした文章なので原文を尊重したくて...。

この‘MusicArena primex64’様は、今もラーメンなどの食べ歩きを綴りながら、クラシック音楽についても厳しい批評を書き続けていらっしゃいますが、「客層が悪い」との理由で、あまり演奏会には行かれなくなったのだそうです。
実は、今日のツィメルマン氏の場合も、非常に「客層が悪い」と言って悪ければ、咳き込みが多過ぎて、ツィメルマン氏に失礼極まりなかったというのか、自宅でビデオかYou Tubeでも見ている感覚じゃないかと疑うほど、遠慮会釈のない咳が続いたのです。せっかく氏が、昨年はサバティカルを取ってじっくり練ったピアノ・プログラムで、今回の日本ツアーのために、10月19日には、わざわざ曲目変更のお葉書まで届いていたというのに、この聴き方は何だ、と思うのです。
しかも、私の斜め前の席の人は、どういうわけか、最前列なのにオペラグラスまで取り出して舞台を見ていた上に、時々、座り直すつもりなのか、立ち上がっては座るという動作を繰り返していました。(オペラグラスなんて、私が小学校時代に行っていたクラシック音楽やお琴の演奏会やオペラなどの光景さながらです。)
ツィメルマン氏が、二年ほど前の日本のリサイタル用のパンフレットのインタビューで「ポルノグラフィーのようだ」とおっしゃっていて、思わず(え!あの紳士がそんなことを言うの?)とドキっとしましたが、「言葉が強過ぎたかもしれませんね」とも言い添えていらしたほど、伝えたかったことの意味について、今回ようやく合点がいったように思われます。
夕方5時に始まって、アンコールもサイン会もない、あっという間のシンプルかつオーソドックスな演奏会でした。私の大好きな曲ばかりでしたが、本当に、残念で仕方がありません。
明日、プログラムの内容などを少し追加する予定です。まだ書き残しのままの庄司紗矢香さん&カシオーリ氏やゲルギエフ率いるマリインスキーの演奏会についても(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121104)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121116)、パイプス訳文の見直し4本がうまく仕上がって提出できれば、同じく書く予定です。
それにしても、ツィメルマン氏はいつの間にか髪の毛も髭も真っ白になってしまい、大変に驚きました。それでも、上記に書いたような昔の映像やインタビュー記事などを思い浮かべつつ、(あのバーンスタインと抱擁していた方が、今目の前でピアノを弾いていらっしゃるんだ)と、何だか信じられないような気持ちでした。
演奏中および楽章の間の客席からのひどい咳き込みに対しても、途中で客席を見てニヤリと合図し、茶目っ気たっぷりにご自分でも咳払いをされていました。舞台衣装は昔ながらのオーソドックスな燕尾服で、深々ととても丁寧にお辞儀をされるところは非常にうれしく、映像通りの印象でした。
ピアノは、今回も自家製を持ち運ばれたのでしょうか?オーケストラで見慣れてしまったせいか、一回り小さいピアノのようにも見えましたが、全体的に音色がまろやかで深みがあり、小刻みにペダルを踏み換える、温かいタッチだったかと思います。豪快なところは豪快に、それでも、総体的に古き良き時代の欧州の風景を彷彿とさせるような懐かしいピアノだと感じました。
最後には、右手を左胸に当てて感謝の意を表され、両手を広げて歓迎の意として4階席までほぼ満席の客席全体を万遍なく見渡されていました。目つきは、昔よりもかえって鋭くなられたように見えましたが、いろいろとご苦労やご心痛もおありなのでしょうか?
今回、ホールで記念にと思って3000円も出して買ったCDは、実は昨年10月26日に、アマゾンで送料込みの割引優待で1788円で購入したものでした。図書館で借りたものも含めて、最近、記憶が曖昧になってしまい、こういう不注意があります。ただ、サイン会がなかったので、結局は中身を空けることもないため、このまま売りに出そうかと思います。(後注:実は、手持ちのCDはオリジナル輸入版で、会場で売っていたのは日本語版でした。いずれにせよ、損をしました。)
ツィメルマン氏は、もう協奏曲はしないそうですので、本当に、私は昔のチャンスを逃してしまっていたのかもしれません。