ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

世相は移り変わる

昨日は主人のお誕生日だったので、久しぶりに京都の懐かしいホテルで食事。その後、結婚前に主人が下宿していた会社の寮の周辺をブラブラと。下記は、その時の随想メモ。
1.食事はおいしかったのだが、どういうわけか、立ったまま飲み物を口にする女性が複数いたのには驚いた。ホテルのランクとしては、海外との交渉や遠方からのお客様の接待用に、その昔、主人が会社持ちで使っていたほどなので、悪くはないのに...。家の延長気分なのか、他人の目を全く気にしないのか?男性でも嫌だが、女性が白昼堂々と仁王立ちになって飲み干す姿は、様にならない。
2.京都駅周辺は小さい子どもが増えたが、同時にスカーフ姿の大衆的なムスリムも増えた。「大衆的」というのは、従来、日本にいるムスリムは、留学生か研究者(とその家族)か準移民の男性労働者が大半だと思っていたからだ。従って、スカーフ姿はもう少し様になっていたし、それなりにおしゃれだった。今では、マレーシアの地方(と言っても、私は都市部以外に、本当の田舎はあまり知らないが)から出てきたような恰幅の良いスカーフおばちゃんが増えたと思った。そして、マレーシアの延長気分なのか、堂々と買い物をしていた。
3.主人の会社の寮は、かなり前に取り壊されたことは知っていたが、既に住所も変更されていて、当時の場所がわからなくなっていた。桂離宮の近くだったので、結婚前は、とてもいい場所で生活しているのだと思い込んでいた。ところが、桂離宮は本の写真で見ている時が最も素晴らしく、実際に近くを通ったところ、囲み塀が古びて汚なくなっていた。こういう点、日本はまだ無造作だと思う。昭和時代はもっときちんとしていたのでは?
4.会社の寮で暮らすことは、実家から見ても会社から見ても「身持ちの良さ」を証明している。少なくとも、寝食は基本的に確保されているし、勤務先から程良い距離で、経済的でもあり、私としても安心だった。ところが、主婦の目で見ると、近くにスーパーマーケットがなく、食料品のお店や生活用品を買う場所が殆どないことに気づいた。また、京都市内といっても、道が碁盤の目ではなく、狭い。
5.京都のバスに乗ると、いつでもアジア系が大声で自言語で喋っていて、日本人乗客は静かにおとなしく座っている。ここはどこの国なのか?二度ほど、後ろの座席を振り向いたが、気にせず、中国語で喋り続けていた女性二人がいた。下車の際、市バスのチケットで支払おうとしていたらしく、運転手さんが突然、流暢な英語で指示を出し、二人が適切に支払いを済ませられるよう手助けしていた。後で主人が「日本人を馬鹿にしちゃいけないよ。日本では、あれぐらいの英語は喋れるんだ」と私に言った。

今日、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160721)で記したエリオット・アブラムス氏の著書がカナダから届いた。
アメリカのユダヤ人は、キリスト教社会の中でどのように生き延びるべきか、悩みが深いらしい。パイプス先生と知り合う前までの私は、教育熱心で個性を豊かに伸ばし、現代生活に合致するようユダヤ教を改革させ、世界情報に敏くて、学術や言論やビジネス活動で成功した活発な人々という印象だった。光あれば陰もあり。

https://twitter.com/ituna4011


"Faith or Fear: How Jews Can Survive in a Christian America" by Elliott Abrams (https://www.amazon.co.jp/dp/0684871041/ref=cm_sw_r_tw_dp_DmYNxbX1M8ZJ8 …) arrived here today from Canada.

(End)