ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

アラブ・ムスリムに対する憎悪

メムリ』(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP643616
Special Dispatch Series No 6436
May/19/2016


「民間人刺殺は勝利につながらずアラブ・ムスリムに対する憎悪を強めるだけ―バーレン紙コラムニストの発言―」



最近武装イスラエル人をターゲットにパレスチナ人が刃物で刺殺傷する事件が頻発している。西側でも同種の事件が起きている。これに関連して、コラムニストのハッサン(Farid Ahmad Hassan)が、バーレン紙Al-Watanで、この種攻撃は平和をもたらすことはなく、アラブとムスリムに対する憎悪に火をつけるだけ、と非難した。次に紹介するのは、その記事内容である※1。


世界は、僅か2日間で3件の刺殺傷事件の発生を知った。最初はタイで起きた。湾岸出身者の若者が、ナイトクラブでタイ人2名に刺され、死亡した。2番目はドイツで、ひとりの若者が駅で数名をナイフで刺した。死亡1名負傷3名である。3番目の犯行がイスラエルの)管理地区で発生した事件。年配のイスラエル女性2名をパレスチナ人の若者2名が襲い、背後から刺したという。


1番目の事件は、"短気な"若者達がひき起した事件として分類されるだろう。このような場所では、女性をめぐり、或いは言葉の行き違いからアルコールの勢いもあって刃傷沙汰になることが珍しくない。第2の事件では、背景や状況が不明な点もあるが。新聞、テレビ報道によると、事件の目撃者達が、アッラー・アクバルという声を聞いている。犯人は27歳の男であるが、まわりの人々を刺しながら、そう叫んでいたという。これは、計画的なテロ攻撃といえるかも知れない。3番目は、絶望に起因する事件である。パレスチナパレスチナの青年男女には、解決のめどがたたず、先の読めない現状に絶望した事情がある。


倫理的立場からみると、殺傷用武器の使用は卑怯者の行為である。襲われる人は身に寸鉄も帯びていない。守りようがない。たとい背後から襲われないとしても、行為の正当化をどんなにやったところで、真正面から阻止すべき卑劣な行為である。最初の(タイ)事件は、酔払った若者同士の喧嘩で、手近かにグラスか酒瓶があれば、それを使ってでもやれる。2番目はテロと言える。駅で次々と人を刺す男は、政治的な動機があっての行為だろうが、自分の所属する社会の人々を傷つけたのである。ターゲットにすべきではない人々を襲う。なかには、襲撃犯と同じような考えを持つ人がいたかも知れない。


第3の事件については、たとい動機が議論のうえで正当化できるとしても、実行という点から受入れられない。そう考える人々 が居るのだ。…第2と第3の事件は、テロの対象にした人々の怒りを増幅させるだけである。アラブ・ムスリムに対する憎しみと迫害が強まるだけである。更に、この種行為を賛美することは誰にもできない。誇りにする行為ではない。犯罪行為であるからだ…。


この方法(刃物を使って一般市民を攻撃する方法)は勝利に導かない。この種の攻撃をする人々は、アラブとムスリムの敵に、全アラブ・ムスリムに対する憎悪拡大の口実を与える。(更に)占領下パレスチナと西側に住むアラブとムスリムが危険にさらされる恐れさえある。


自分達の行為が如何なる結果をもたらすのか理解しない人々が、問題に直接関係のない人々を襲い始める時、アラブとムスリムに対する憎悪は一段と強まるのである。


[1] Al-Watan (Bahrain), May 17, 2016.

(引用終)