ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

9.11から8年ー昨年の分析ー

メムリ」(http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=IA55109

Inquiry and Analysis Series No 551 Oct/2/2009


9/11から8年―アラブリベラル派のみるアラブ・イスラム世界の現状―
C.ジェイコブ(MEMRIの研究員)


はじめに

 アラブリベラル派によると、2001年9月11日から8年経過した現在、イスラムは汚名を着せられ、アルカーイダは人間の尊厳など完全に無視、公共の場所や聖なる祝祭日などお構いなしに、ムスリムを攻撃している。アラブ諸国はこれといった改革に着手することもなく、相も変わらず陰謀論に左右され、自分達が傷つけた人々に対して、集団として謝罪することができず、今でも作り話を信じこみ、タリバンを称賛している。アラブのメンタリティは全く変わらず、アラブやムスリムの領土における西側の軍事行動は、如何なる性格のものであれ今も反対する。イラン及び世界各地の過激派に対するオバマ大統領の対話の呼びかけは、弱さのあらわれと解釈される


 次に紹介するのは、そのリベラル派の意見である。


オバマの対話の呼びかけは弱さのあらわれ―過激派テロ集団の受けとめ方


 リベラル派ウェブサイトElaphコラムニストのハッジ('Aziz Al-Haj)は、次のように主張している。

ブッシュ政権の9/11対応政策は、中傷キャンペーンにさらされた。そのキャンペーンで主役的役割を果たしたのが、オバマ民主党である。キャンペーンは、気が狂ったような勢いで、今でも続いている…その宥和姿勢について我々は、機会ある毎に何度も警告してきた。虚心坦懐とか対話といった名目で敵に手を差し出し、躍起になって宥和に走る一方、敵である集団や政権の犠牲者については一顧もしない。極めて危険である。過激主義を標榜し、テロリズムに走り、国際緊張をたかめることに腐心する者は、棍棒で痛打しないオバマの宥和政策を、弱さのあらわれと解釈する。
 

 ハリリ(Rafiq Al-Hariri、元レバノン首相)暗殺を裁く国際法廷は、シリアに対するアメリカの宥和で(犠牲にされてしまった)。息子のハリリ(Sa’d Al-Hariri)は、彼の連立与党が選挙で勝利したにも拘わらず、今尚組閣できないでいる。シリアとイランに手を差しのべているアメリカ政府に、そうなった責任の一端があるのではないか。


 バシル('Omar Al-Bashir、スーダンの大統領) 裁判も雲散霧消した。アメリカは、代りにバシルに対する対話の道を開く一方で、ダルフールにおける殺戮戦を否定しているのである。


 アメリカは、シリアとの対話を名目として、あの悲惨な水曜日爆弾事件(2009年8月19日、バグダッド)の犠牲者に対し、連帯の言葉を(一言も)発することなく、犠牲になったイラクと攻撃者のシリアに対し、冷淡にも中立姿勢をとっている…


 イランは、これに対するオバマの首尾一貫しない政策を、全く違った方向に解釈してしまった。その結果イランは益々傲慢となり、核兵器開発問題はこれでケリがついた、最早問題として取りあげられることはない、と信じるようになった。イランは引続き最新兵器類をロシアと北朝鮮から輸入している。


 タリバンは、一挙にアフガニスタンへ戻ってしまった。アルカーイダは、活動圏をパキスタンアフガニスタンイラクソマリアそしてイエメンに広げている…。


 対テロ戦争は、迅速且つ果断な行動を必要とする。過激派とテロリストをとことん追いつめ、一切容赦してはならない。ものわかりのよいような振舞いはしない。天使のような態度をとる(我々の)性癖に屈してはならない。法律の抜け道を利用する弁護士の罠におちてはならない…。


 9/11攻撃から我々は重大な教訓を学ぶべきであった。第一は、イスラムテロリズムが自由と民主々義の価値観を敵視し、命の尊厳を否定する全面戦争をやっていることである。"対テロ戦争"のスローガンは、決して間違いではない。それどころか、テロリストの戦争に立ち向かうには、このスローガンしかない。テロリズムを支持、拡散している政権特にイランに対して対話を求め、何年も宥和姿勢を示したことが、彼等をつけあがらせ、緊張戦略と地域(問題)介入、そして核取得の道を許してしまったのである。


 オバマムスリム世界に向けて例の有名なメッセージを発信した。しかし、どの"世界"どの"派"へ送ろうと考えたのであろうか。イスラム世界は、民族、政治、文化、宗教集団と庶民の組合せであり、一枚岩ではないオバマはどの層をターゲットにしたのであろうか。


 西側諸国はヒジャブ着用を制限する。しかるにオバマはその西側諸国に反対すキャンペーンをはっている。一体どういう意味であろうか。ヒジャブを着用した女性をアドバイザーに任命し、或いはヒジャブをつけたムスリムの若い黒人女性を接待するのは、一体どういう意味であろうか。ヒジャブを着用しないリベラルなムスリム女性に敬意を表することができないのであろうか。法廷でヒジャブをとることを拒否したアメリカ人(女性)に敬意を表したのは、一体どういうことであろうか。


 世俗のムスリム諸派や個々人に対する然るべき思いやりを示すことはなく、その一方でこの一連のゼスチュアは、ムスリム過激派の好意を得るためではなかったのか…」※1。


アルカーイダのテロの矢面にたつムスリム


 カタールイスラム法学部の前学部長アンサリ博士(Dr. 'Abd Al-Hamid Al-Ansari)は次のように書いている。


ポスト9/11の世界は、以前よりも安全ではない。人民は治安対策に振り回され、居住地 や旅行先の何処でも治安対策のため行動を制限されている。しかしながら、ムスリム特に アラブは、何処に行っても後指をさされ、容疑者や共犯者扱いをうける。(その意味で)アルカーイダは、ヨーロッパの右翼過激派運動に大いなる貢献をしたのである。ヨーロッパには、(当地に居住する)ムスリムについてもともと懸念する向きがある。右翼はこのアルカーイダ事件をイスラムのネガティブなイメージを植えつけるために使った。その先には政治支持を得て影響力をつけ、権力の座につく狙いがある。そして彼等は、海外に住むムスリムの自由と権利を制限する動きに手を貸したのである。


 これに対しアルカーイダは、アメリカに対して過去8年間、ヨーロッパに対しては2005年以降、攻撃をかけることができないでいる。しかしムスリムに対しては、家を襲撃し大量破壊に走る。破壊、殺し、流血の惨をひき起すのである。


 アルカーイダがターゲットにするのは、主として無防備の公共の場所である。バス停、人の出入りが多いレストラン、モスクそして墓地である。この組織による冒涜から逃れられる場所はない。聖所であるモスクやラマダン月の聖なる性格を無視して攻撃し、無辜のムスリムを殺傷する。


9/11攻撃から8年後の今日、イスラム世界の大半で、血みどろの凄惨な事件が日々発生している。倒錯的な自爆テロ、 ロ、血の雨がふる紛争等々。そして日を追って増えていく犠牲者。イラク、イエメン、ソマリアアルジェリアパキスタンアフガニスタンインドネシア等々イスラム世界のあちこちで、無辜の人々が殺される。


 9/11が残したのはこれだけである。犠牲になるのはムスリム特にアラブである。アルカーイダのテロの業火に焼かれなければならないのは、彼等である。ムスリムは、世界でネガティブなイメージを与えられただけではない。(テロリズム)の犠牲になり、己れの命や子供の命を捧げ、金や開発プロジェクトを犠牲にしなければならないのである。


中途半端なアラブの改革


 ムスリムは、9/11のネガティブなインパクトの結末を見ていない。近い将来結末を迎える徴候もない。アラブ諸国が自国の状況を再点検して、政治、経済、社会改革に着手したのは、(確かに)9/11攻撃が動因のひとつであった。(その結果)イスラム世界における女性の地位は改善された。いろいろな権利も認められた。家族法の分野で進歩があり、(学校の)カリキュラムの見直しも行われた。特に宗教々育の枠組みが見直しされた。新しい体制が少しは確立し、イスラムの慈善団体、モスクの役割、説教の(政治)メッセージについて監督が強められた


 しかし、再点検対策いずれも、明確な目的をもつ戦略として育っていない。何のために学習するのか。宗教上の説教、論考にいかなる改革が必要なのか。次世代以降の生活水準をどう設定するのか。このような問題に対する明確な指針がない。


陰謀論が今だに支配する世界


 膨大且つ具体的証拠があるにも拘わらず、アルカーイダ自身が誇らかに犯行を認めているにも拘わらず、一般大衆のみならず社会のエリート達も、アルカーイダが(9/11攻撃の)背後にいることを、まだ疑っている。彼等は、イスラム世界に浸透するためのアメリカ・シオニストの陰謀と考えるのである。無名のフランス人作家が9/11はアメリカの自作自演と称する本をだすと、アラブ人民はとびあがって喜んだ。この文士は食事に招かれ、宴席でもちあげられ、数百万(ドル)の金を稼ぎ一躍有名になったが、今ではすっかり忘れ去られている


しかし陰謀論は相変わらず"健在"で、人民の心を支配している。アルカーイダの犯行を認めたがらぬ人々は、今でも陰謀論にしがみついている。頭には陰謀論しかないからこれを棄てると、アメリカの主張を認めざるを得なくなる。過激主義とテロリズムの背景に(アラブ世界における)学校のカリキュラムや聖職者の説教があることを、認めざるを得なくなるのである。 


アルカーイダの(9/11)犯行を否定することによって、彼等は、教唆扇動にみちているカ リキュラムと説教の責任を否定しているのである」※2。


アラブのメンタリティは変っていない


 アメリカ在住のヨルダン人知識人ナブルシ(Dr.Shaker Al-Nabulsi)は、世界が9/11で変ったわけではなく、アラブのメンタリティも元のままで、時代に合わぬ古臭い思考にしがみついており、アラブは次の原則で物事を考える、と主張する。


「如何なる理由であれ、アラブ或いはムスリム領に対する西側の侵入を支持しない。(西側)政府に対する復讐と(西側)住民に対する復讐も区別しない。(アラブ)政府に対する西側の報復は、人民に対する報復と考えなければならない。地域紛争の解決には、アラブないしはムスリムの軍隊を投入すべきで、異教徒の西側(部隊)を入れてはならない。イスラム文化と西側の文化は本質的に対立する。しかしながらイスラム文化が持ちこたえるのか、私には確信がない。彼等は、西側がイスラム打倒を真剣に計画しているから、総力をあげて阻止しなければならない、と考えている…」。


 ナブルシは、アラブが作り話を信じているとし、次のような信じこみの事例を紹介している。


「例1、タリバンとアフガン・アラブ(アフガニスタンでグローバルジハードに参加したアラブ人)は、前のアフガン諸政権よりも多くのことを達成した。彼等はアフガニスタンで真のイスラム的シャリアを確立した。初代カリフの時代以来初めてのことである。


例2、タリバンとアフガン・アラブは、今日イスラミスト及びアラブの政権のなかで最も純潔な存在である。


例3、彼等は、イギリスとソ連帝国を撃退したように、戦いを挑む帝国を必ず撃退できる。


9月11日の夜、市中にくりだして恥知らずにも歓呼の声をあげた人々が、現在アラブの支配的メンタリティ(の真の代表者)である。"パレスチナ人やほかのアラブ住民が殺された時、歓呼の声があがるだろうか"とアラブ人は問う。勿論そのようなことはない。"アメリカ人は我々の政策を批判する権利がある。しかし彼等の醜悪なほくそ笑みで、我々が政策を放棄することはない…"とアメリカ人は言っているのである…。


アラブは(アラブの)政治問題を真正面から取組むことができず、取組自体効果がないため、残された武器は、貧者と弱者の武器、即ちテロリズムしかない。9/11攻撃を正当化する場合、貧者の武器とか弱者の対抗手段と呼ばれたりする。アラブの精神はそれ程力がないのか…」※3。


諸国民と違って、アラブは過ちを認めない―自己批判こそ真の解決に導く


アラブ人ジャーナリストのマティリ('Abdallah Al-Matiri)は次のように主張する。


「毎年、諸国が過去の過ちを謝罪する。毎年アメリカ人はヒロシマに対する原爆投下の罪を謝り、毎年日本人は戦時中東アジア諸国に対して犯した罪を謝まる


 上記の事例は、殺しや破壊行動には普通罪の気持ちが伴っていることを物語る。アラブは例外で、このルールから外れている。彼等が過ちを認め、謝罪することは絶対にない


この病的で歪んだ態度は、物事の是非や善と悪、正と邪ではなく、私と他者をベースとする文化の産物である。自分は自分を傷つける者だけを非難する。くたばりやがれというわけである。


 9/11攻撃は何人かのムスリムが計画、実行したのではあるが、ムスリム(全体)が集団的責任を負うものではない、と主張する人もいる。多くの人がこの論法を使ってきた。それでも私は尋ねたい。これまで、近現代に至る歴史で、(アラブやムスリム)国が一度でも謝罪したことがあろうかイラククウェートに謝罪したことがあるか? エジプトは(1960年代の内戦介入で)イエメンに謝罪したことがあるか? ムスリムムスリム帝国時代に犯した罪を謝ったことがあるか? このようなことは一度もないのである。


 勇気ある行動はひとつしかない。動機の如何を問わず人間に対する罪は非難する。これしかない。人間に対する攻撃があれば、時と場所を越えて、当事者を非難し当事者は責任をとる…これは、今日の不健全な状況では非現実的で実行不可能のように見える。しかもこの不健全な状況は、弱くて病んだ文化のなかで、日々悪化している。しかし、教訓に学ぶ必要がある。我々が抱える危機に対する真の解決は、自己批判しかない。勿論それは苦痛であるが、そうしなければならないのである」※4。


※1 2009年9月11日付www.elaph.com
※2 2009年9月14日付Al-Jarida(クウェート
※3 2009年9月16日付Al-Jarida(同)
※4 2009年9月16日付Al-Watan(サウジアラビア

(引用終)