ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

彼我の差違から学ぶ(2)

二紙の新聞購読を止めてしばらく経つが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150131)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160401)、今のところ、特に支障はない。むしろ、余計な情報に煩わされず、すっきりしている。
5月中旬から6月半ばにかけて、4つのクラシック演奏会に出かけた。エレーヌ・グリモーのピアノ・リサイタル(シンフォニー・ホール)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160513)、五嶋龍ソリストフィラデルフィア管弦楽団(フェスティバル・ホール)、ギドン・クレーメルのデュオ・リサイタル(兵庫県立芸術文化センター)、ヒラリー・ハーンのヴァイオリン・リサイタル(兵庫県立芸術文化センター)と充実していた。グリモー以外の記録については、また後日に。
今日は一言のみ。五嶋龍氏を久しぶりに拝見したが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080520)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090504)、さすがに、曲芸師のように舞台上で弓を振り回していた前回よりは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071120)、落ち着いて成熟した印象。せっかくなので、列に並んでパンフレットにサインも頂戴したのだが、相手によって手を自ら差し出すかしないかを判断されているようで、私の場合は、じっと見つめられたが、もちろん握手はなし。その直前に、偶然にもお母様がグループで登場し、龍氏に何か声掛けをされていた場面にも遭遇した。
その余韻で、姉のみどりさんのドイツ語自叙伝を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071229)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080526)、翌日やっと全部読了。数年前に読み始めてそのままだったのだが、日本語では知り得ない背景事情も、かなり率直に綴られていた。日本語訳の出版予定はないとのことなので、日本国内ではドイツ語が読める人向けという読者限定販売なのだろうか。ということは、ドイツ語で知り得た情報については、日本語で発信しない方が礼儀なのかもしれない、と思わされた記述がかなりあった。
ともかく、みどりさんの演奏の迫力や音楽に向かう独特の姿勢は、サラブレット仕立ての龍氏が到達し得ないものだと改めて感じた次第。しかし、龍氏には龍氏の固定ファンが形成されているようにも思う。
英語の本も何冊か届いた。しばらくご無沙汰している本来の研究テーマに関する言語文化の分野は、やはり読んでいて最も楽しく、自分なりに理解も早い。
また、昨年のイスラエル旅行(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)でご一緒したアイダ・リヒターさんから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150512)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150906)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151020)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160325)、クラシック音楽について出版したとご連絡があったので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20160615)、早速、注文(https://www.amazon.com/Secret-Magic-Music-Conversations-Musical/dp/1590793056/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1466568495&sr=1-1&keywords=IDA+LICHTER)。昨日、その本が届いたばかりだが、アシュケナージhttp://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111018)やキーシンとも親しいようで、改めてびっくり仰天している。
びっくり仰天、というのは、ともかくも彼我の知的文化的な環境差である(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140902)。
日本では「クラシック音楽は裕福な人達の趣味」などと勘違いして(今でもそんなことを本気で思っている人がいるとすれば、少し時代遅れか、演奏会の現状を知らないか?)、筋違いに揶揄する向きがなきにしもあらず。勿論、大衆化したオーストラリアでも、エリート主義だとか近づき難いとラベル化されるような風潮があるらしい。ただ、昔からピアノ奏者としての訓練も受けていた彼女の場合は、ロンドン滞在中にイスラーム動向に気づき、このままでは西洋文明が衰退してしまうと危機感を抱いたことも動機の一つとなって、著述に向かったようである。
ハフィントン・ポスト』の投稿文では、西洋音楽を否定するムスリム批判になっているが、なぜ彼女が一般向けにコラムを書いたのか、その素地としてのクラシック音楽歴と人脈には、絢爛たるものがある。その背景を知らなければ、彼女は西洋見地からのムスリム偏見を書いているのだと誤解する人達もいるかもしれないが、著書が届いてみると、有無を言わせない説得力がある。

ユーリ後注:ご参考までに、以下の簡潔な要約をどうぞ。マレーシアでも時々、音楽禁止命令が出たとか出ないとかでニュースになっていたことを思い出すので、信憑性は確かだ。

http://www.danielpipes.org/blog/2007/08/music-and-muslims#Donwood


Apr. 19, 2014 update: The Madani Schools Federation in Leicester, England, a state-funded Islamic school, has placed a poster "Music is Haraam" on its official noticeboard. The poster declares:


"Stay away from evil acts such as listening to music and encourage others to do the same too."


"Music is a tool of Shaytan (Satan)."


"Music sows hypocrisy in the heart like water causes seeds to grow in soil" (a hadith)

(2016年9月8日記)

昨春、一緒に旅団に加えさせていただいたのも、パイプス訳者だからということで、誰もが快く納得してくださったのだが、やはり圧倒されるメンバーだったと、一年以上経った今も、つくづく思うところである。私なんかで本当にいいのかしら、という....。でも、ご依頼は今も続いているのだし、こちらとしても、責任だけは微力ながらも果たし続けるしかない。
旅団と言えば、国防総省のシリンスキー氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151027)がプレゼントしてくださったタリバンに関するご著書も(https://www.amazon.co.jp/Taliban-Afghanistans-Lethal-Insurgents-Terrorists/dp/0313398976/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1466564423&sr=1-1&keywords=mark+silinsky)、ようやくここ最近、一気に読み終えることができた。日本では、アフガニスタン戦争当時、とにかく反米・反戦を訴えればメディアでも通ってしまいそうな勢いだった上、「『タリバーン』は『神学生』を意味する『タリブーン』から来ているんですよ」と、NHKラジオのアラビア語講座でも説明していた調子だった。だが、このような長期間に及ぶ幅広く具体的な調査をまとめた本を読むと、あまりの情報格差に日本がどんどん沈没しているように思われ、ひしひしと危機感が迫ってくる。

これまで、自分なりの必要があってブログを綴ってきたのだが、新聞を止めて正解だったように、今後はブログなどインターネット発信も整理していかなければ、と思う。しっかりとした本を読み、優れた音楽を聴くまとまった時間を取ることは、決して時代に背を向け、内に籠もることを意味するのではなく、個人ベースでのささやかな社会貢献の一環でもあると痛感した。また、思い出も何もかもあっさりと捨ててしまう断捨離には批判的だった私だが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141208)、このところ、時間の断捨離を少しずつ心がけなければ、と考えを改めるようになった。
上記を踏まえ、以下の三つの部分抜粋には、全面的に同意する。

1.(http://ykdckomori.blog.jp/archives/1058610908.html

2016年6月21日


「外務省はなにをしている? 催し物は映画やアニメばかり 日本の対米発信の実態 その1」
古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授


古森義久の内外透視」


・日本にとって外部世界への発信がますます重要になってきたことは言を俟たない。日本側の厳然たる事実を事実として国際的にきちんと主張しなかったために日本の国家にとっての、さらには国民にとっての利益や評価が傷つけられた実例は数多い中韓両国や国連のような外部勢力からの虚構の非難を正面から否定しなかったために、日本全体が数世代にわたり濡れ衣を着せられることになった事例もある。慰安婦問題などはその氷山の一角である。
・日本のその対外発信ではアメリカに向けてのメッセージの伝達の必要性がとくに重みを持つ。超大国としてのアメリカの政策や世論は全世界に影響を発揮する。日本の同盟国としてのアメリカの比重も大きいアメリカは言論の自由な国だから外国からのアピールも政府・議会やニュースメディアや一般国民にいたるまで直接に届かせることができる。
・極端な場合、アメリカへの発信の成否が発信国の運命を左右することさえある
・日本の対アメリカ発信の現状を眺めてみた。

「盆栽フェスティバル」
「落語、カナダ出身の桂三輝の登場」
「アニメ映画『思い出のマーニー』上映」
ドキュメンタリー映画夢と狂気の王国』上映」

娯楽性の強い行事ばかりがずらりと並ぶ。みな2016年4月から5月にかけての最近の催しである。主催はアメリカの首都ワシントンの中心街に位置する立派で広壮な建物の「日本情報文化センター(JICC)」である。日本政府直轄の機関、より具体的には日本国外務省の組織であり、ワシントンの在米日本大使館の一部でもある。
・私のワシントンでの長い駐在での観察では、日本政府の対米発信センターであるこの公的機関の活動はあまりに偏っているといわざるをえない。映画、アニメ、日本語、落語、和食などという娯楽性の強いプログラムの実施に専念しているのだ。ことに最も安易な映画上映というイベントがあまりに多く、まるで日本政府直営の映画館のようにさえみえるのだ。
ここ数年のそうした偏重傾向がとくに激しい。日本の政府として、あるいは国民として同盟相手の超大国アメリカの官民に向けて発し続けねばならない歴史問題や領土問題についての発信は皆無なのだ。

(部分抜粋引用終)


2.(http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/archives/5064950.html#comments

abu_mustafa
2016年6月21日


これは日本とアラブ社会共通の認識ですが、国連と言うと何か、世界政府のような権威があって、それが世界の安全に責任を有しているという考えを持つ方が多いですよね。
国連はいわゆる普遍的な国際機関というやつで、所詮はその加盟国がどう国連を使うかで、国連が何らかの役割を果たせるか否かが決まることになります。
その場合、最大の責任を有するのが、安保理で、その中でも常任理事国が最大の責任を有していることは言うまでもありません。
従って、常任理事国がまとまって、国連を通じて問題を解決しようとしたりしない限り、国連は全く無力ということになります。
私も外務省と、nyの国連代表部から国連に関係してきましたが、少なくとも中東に関して、真面目に国連を通じての(平和的)解決を模索してきたのが米国で、ソ連はどちらかと言うと利己的に国連を利用し、西欧諸国(英仏)は口はうまいが力はない、場合によっては米国の補助的な役割は果たせる、というのが正直な観測でした。
現場の証人だと思っています。


abu_mustafa
2016年6月21日


「現場の証人・・・」というのは若干嫌みに聞こえるかもしれませんが、日本でも米国を好意的に、ソ連に対して批判的なことを書くと、必ず悪口をいう人たちがいるので、予防的な意味で書いたものです。
要するに何と言おうがそれは自由だが、こちらの書いていることは、実際に目撃したことですよ・・・という意味です。

(部分抜粋引用終)
関連事項として、国連関連では、このインタビューをどうぞ(http://www.meforum.org/6079/israel-east-germany-jeffrey-herf)。拙訳もどうぞ(http://ja.danielpipes.org/article/16771

3.(http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

舛添都知事問題で露見した国民も呆れる役立たずの「ザル法
2016年6月21日


・6月にシンガポールのアジア安全保障サミットに出席する途中、東京に寄った国防省(ペンタゴン)幹部から、「中国が数多くの核ミサイルを、日本に照準を合わせている。中国の核ミサイルの脅威のほうが切実なのに、なぜ日本は北朝鮮の核実験や、ミサイルにばかり目を奪われて、目を瞑(つむ)っているか」と、たずねられた。
日本はどうかしている民進党岡田克也代表が、「中国との関係がうまくいってないのは、安倍首相の言動が原因」とか、中国の習近平主席が「戦争に備えよ」と叫んでいるのをよそに、安保関連法を「戦争法」と極めつけているように、箍(たが)が緩んでいるのだ
・有事に当たって、総理大臣が防衛出動命令を下さなければ、自衛隊が武器を使用することができない自衛隊法も、役に立たない「ザル法である。
海上自衛隊護衛艦の目の前で、海上保安庁の巡視船か、日本の船舶が、外国の公船か、軍艦の攻撃を蒙っても、内閣総理大臣が自衛法第76条に從って閣議にはかったうえで、衆参両院が承認しなければ、防衛出動命令を発することができない。

(部分抜粋引用終)