ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ソヘイブ・ベンシェイフ博士

以下は(恐らくは滝川義人氏によるであろうと思われる)『メムリ』の邦訳だが、原文は英語ブログに転載した(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20160401)。
ダニエル・パイプス先生が、以下のメムリ論考文の6年前に、フランスにおけるイスラーム改革者であるソヘイブ・ベンシェイフ博士を書評で紹介されていた(http://www.danielpipes.org/861/marianne-et-le-prophete-lislam-dans-la-france-laique)。もうしばらくしたら、その拙訳がパイプス公式サイトに掲載されるはずだが、私が「先生の方が6年早いですね」と指摘したことを、パイピシュ先生は無邪気に喜んでいらした。

メムリ』の過去引用ブログは、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=memri&of=100)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=memri&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=memri)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%E1%A5%E0%A5%EA&of=100)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%E1%A5%E0%A5%EA&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%E1%A5%E0%A5%EA)。滝川義人氏に関する本ブログでの過去の引用は、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090404)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140205)。

メムリ』(http://www.memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP136806


Special Dispatch Series No 1368 Dec/12/2006

マルセイユの元ムフティ(イスラム法官)ソヘイブ・ベンシェイフは言う。「キリスト教が啓蒙思潮運動で(批判の対象になった)ように、イスラムも批判の対象にされねばならないイスラムは全人類のためのメッセージでありーーしたがって、イスラム教徒(だけの)財産ではない」


ソヘイブ・ベンシェイフSoheib Bencheikh博士は1961年サウジアラビアのジェッダに生まれた。(カイロの)アズハル大学でイスラム神学を学び、名高いパリの高等研究実習院(EPHE)で博士号を取得した。フランス・マルセイユの元ムフティであり、フランス・ムスリム宗教評議会French Council for the Muslim Religion※1の会員であり、フランス・イスラム科学研究所French Institute for Islamic Science※2の所長である。最近、2007年4月に行われる仏大統領選に出馬表明し、選挙用ウエブサイト(http://www.elanrepublicain.net)を立ち上げた。また、支持者の一人が運営するブログ(http://soheib.bencheikh.over-blog.com) には、報道機関のベンシェイフとのインタビューのほか、フランスの他の改革派イスラム教徒のウエブサイトとのリンクが掲載されている。


ベンシェイフは、フランス風の世俗主義イスラムの改革に必要な前提であると信じ、イスラム教徒と非イスラム教徒双方に対し、イスラムの批判、(コーランの節など)神聖なイスラムの聖句の再解釈、原理主義との闘争、現代へのイスラムの適応支援に参加するよう呼び掛ける。


以下はベンシェイフの公式ウエブサイトに掲載された、フランスとアルジェリアの新聞とのベンシェイフの会見内容の抜粋である。


イスラムは時代遅れになった


ベンシェイフは、イスラムは部族社会の中で誕生し、今なお部族の生活スタイルに焦点を合わせていると言う。その上で、現代生活のニーズに取り組むためにイスラムは改革されねばならないとし、こう言う。「・・・(イスラムの)宗教上の教えは8世紀から12世紀の間に発展し、公式化された。その時以来、いかなる改革も現代化も体験していない・・・1960年代に、大半のイスラム教徒諸国は政治的近代性を選択した。また、これら諸国の大半は共和国あるいは立憲王国になった。しかし、これらの選択は全く理論の粋を出ていない。この歴史的変容にイスラム教徒神学を(適応させようとする)改革は全く存在しなかった。その結果、(イスラム教徒は今日)市民としての身分と信徒としての身分の間の危険な矛盾を経験している・・・


「我々が継承した、この静的な神学はイスラムーー多数派の宗教であり、一定の領域に主権を有したイスラムのために考えられた神学であり、また、それ以上に部族社会のために考えられた神学である。さらに、この神学が対象にした時代は、諸民族の(互いの)接触がほとんどなかった時代だった。接触があったにしても、支配するか支配されるかといった競争心の中で行われる接触だった。この(イスラムの)神学は、別な文化との調和した生活には、あまり関心を払うことがなかった。また、この神学が全く知らないのは、世俗主義や宗教の自由といった普遍的な原則にーーつまり、全ての宗教に適用され、また全ての宗教に与えられる(諸原則)に基礎を置くプルーラリズム(社会的多元主義)である。※3


ベンシェイフはまた、イスラムの法制は部族社会におけるイスラム教徒の生活の管理を目的としたものであり、したがって改革されねばならないとして、こう説明する。「(部族)社会から受け継いだイスラムの法制を(イスラム社会の)全ての時代に適応しうる普遍的な法制度とすることは、イスラムの「ベドウィン化」を意味し、イスラム社会の進歩の阻害を意味する・・・例えば、アルジェリアでは、フィクフ(イスラム法制)が今なお適用されている・・・もし私が妻を離婚するなら、彼女は子供達を連れて我々のアパートを出て行かねばならない。なぜそうなるのか。なぜなら、生活が(現代における)市街区の中ではなく、部族の中で組織された時代には、離婚された妻は、父親の氏族に戻るために夫の氏族を去らねばならなかったからだ。こうした社会の枠組みが完全に変化したにもかかわらず(イスラム法制においては)何も変わっていない」」


政治的イスラムは異端である


ベンシェイフは、政治的イスラムとはアラブ諸国が促進した異端であるとして、こう言う。「20世紀におけるイスラムの最初の異端は、イスラムの政治化だった。ムスリム諸国の独立後間もなく、政治的イスラムーーつまり、国家から命令を受け、国家にのみ従い、国家の一機関にすぎないイスラムーーが誕生した。以来政治的イスラムは国家の権力増大を支え、国家による人民の抑圧を支えた・・・我々は誰でも、政治的イスラムの失敗と流血(の性向)を知っている。


ムスリム諸国では、国家がイマーム(礼拝導師)たちに給与を払い続けている。国家が促進するイスラムーーそれはどんな種類のイスラムなのか。臣民(という認識)しか知らず、市民(という認識)を知らないイスラムであり、首長の権利しか知らず(市民の)諸権利(に基づく)国家(という認識)を知らないイスラムである。また、(支配者への)忠誠の誓いしか知らず、民主的選挙や、主権者である人民の意見表明を知らないイスラムである。


「私はこう確信している。イスラム国家は、自己改革せず、伝統的、家父長的、部族的社会に繋がるイスラムを教え続けることによって、自己破壊を促進している、と」※4


ベンシェイフは人道主義の宗教としてのイスラムと、政治的道具としてのイスラムを区別し、ムスリム神学者には、人道主義イスラムを促進する責任があるとして、こう言う。「(一方で)精神性、人道主義、文明に基づく宗教と(他方で)純粋に道具としての宗教の使用を区別すること、その区別をイスラム教徒と非イスラム教徒が同じく心の中で行うようにするのが、宗教科学に精通した我々イスラム教徒の義務である。宗教の道具としての使用の目的は、世俗的、物質的権力の掌握である・・・」※5


イスラムを改革する試みはなんであれ(イスラムの聖句の)神聖性を無視せねばならない。また、現代的思考に照らして聖句を読み返し(新たな)方向性を求めねばならない」


ベンシェイフはもう一つ、コーランの永遠のメッセージと(コーランの)暴力的側面を区別し、この暴力的側面は、コーランが啓示された(際の)抗争という歴史的文脈に由来するものと言う。ベンシェイフは、こう書く。「コーランには、イスラム教徒に自衛の目的のために武器の携帯を促す約10か所の節がある・・・ユダヤ人とキリスト教徒に対する敬意を促進する節(複数)と並んで、多神教徒に対する容赦のない暴力の使用を主張する節(複数)がある。しかし、これらの節の大半は・・・その歴史的文脈(に照らして)見なければならない・・・私は、旧約聖書にもまた・・・暴力を含んだ節があることを(読者に)想起させるほど残酷ではない。しかし、かと言って、私はバイブルが制圧と支配の神学を助長しているとは言わない。その意味は、聖なる聖句は常に、それら聖句が啓示され(次の世代に)伝達された文脈に(照らして)見なければならいということだ。我々は永遠の、普遍的な価値を引き出すためにこれら聖句を再解釈しなければならない。政治的、個人的課題を正当化するために(使っては)ならない」※6


ベンシェイフによれば、「イスラムーーとりわけムスリム法制を改革する試みはなんであれ、その聖性を無視し、現代の思考に照らして聖句を読み返し(新たな)方向性を追求しなければならない・・・」注7


ベンシェイフは、イスラムに無批判であることは、イスラムを侮辱的に放念することに等しいとして、こう付け加える。「イスラムは、まさにキリスト教が啓蒙思潮運動期に(批判の対象となった)ように、批判の対象にされねばならない。イスラムは全人類のためのメッセージである。したがってイスラムイスラム教徒(だけの)財産ではない。全ての人には、この宗教に魅了され、それを固守し、(一方で)批判的である権利があり、さらには(この宗教に)敵対的である権利すらある・・・イスラム批判を避けることは差別の一形態である。我々は、ムハンマドが人間であったことを認めねばならない。(それだけに)彼は間違いを犯しうる人間であった、そのメッセージの解釈には門戸が開かれている」※9


付け加えてベンシェイフは、こう言う。「イスラム教徒の多数派はーーー通常の人間でありーー開放的で穏健なイスラムを望んでいる。彼らはまた革新的で現代的な論議を聞きたがっている。これこそ、私が促進したい(潮流)である・・・穏健な(イスラム教徒)こそ多数派である。彼らは行動を起こさないが、サイレント・マジョリティーにはいつものことだ。一方で、急進的な運動は党派(の中に組織された)活動家グループから利益を得る・・・必要なのは(穏健なイスラムを促進する)完全に新しい組織だ。※9


世俗主義は改革イスラムのカギである。フランスの経験は・・・改革イスラムの可能性を提供している。しかし、フランスによる新たな改革イスラムの育成は、フランス共和国の世俗的価値を固守して初めて可能になる


ベンシェイフによると、「現代的思考に照らして」聖句を読み返すことは世俗主義の文脈の中でしかできない。彼は、こう言う。改革イスラムの可能性を与えてくれるのは、とりわけとフランスの経験だが※10、同国による新たな改革イスラムの育成はフランス共和国の世俗的価値を固守して初めて可能になる、と。そして、こう言う。「イスラムは・・・毎世紀、その現代性に適応しなければならない。私はフランスに対し、その歴史的使命に忠実であり続けるよう求める。イスラム教徒に対しては、自らを救う唯一のことーー世俗主義という(フランス国家の)基本原則を固守するよう求める」※11 ベンシェイフはさらに、世俗主義無神論ではなく、寛容を可能にする一組の規律であるとし、こう説明する。「世俗主義の同義語が宗教間の理解だと私は信じる・・・宗教は世俗主義の(保護の)下で生きるものと私は信じる」※12 ベンシェイフはさらに、左派勢力は世俗主義を守る使命に忠実であり続けねばならないとして、こう付け加える。「私は左派人であり、(フランスにおける)左派勢力の理想の崩壊に愕然としている・・・」※13 彼は「私は左派に反対しない。逆に、左派が存在しないことを嘆く・・・左派は(右派に比べ)常に大胆だった・・・平等と普遍的大義を受け入れる態度が強かった。この左派はどこに行ったのか。(左派は今日)人々が票を投じる最もカリスマ的な人物を求めて精力を浪費している。理念はどこに存在するのか。(将来のための)計画はどこにあるのか。左派自身のメッセージを信じている左派人は(今なお)存在するのか」※14


注:
(1)フランス・ムスリム宗教評議会は2003年フランス政府との交渉相手となるイスラム団体の傘組織として、ニコラ・サルコジNicolas Sarkozy内相の支援を得て創設された。
(2)イスラム科学高等研究所Institut Supérieur des Sciences Islamiques: http://www.institut-issi.fr/Niv_Sens_Gd_Pub.htm.
(3))「マリアンヌ(フランス共和国)と預言者、世俗的フランスのイスラム、パリ:グラセ、2006」Marianne et le Prophète, l'Islam dans la France Laïque, Paris: Grasset, 2006の抜粋
(4)ルモンドLe Monde(フランス) 2001年11月
19日
(5)ルソワール・アルジェリアLe Soir d'Algérie (アルジェリア)2002年10月27日
(6)ルモンドLe Monde (フランス)2001年11月19日
(7)「スヘイブ・ベンシェイフによる引用」:
http://soheib.bencheikh.over-blog.com/categorie-733578.html.
(8)ルパリジャンLe Parisien (フランス)2006年10月3日
(9)ルパリジャンLe Parisien (フランス)2004年1月21日
(10)「マリアンヌ(フランス共和国)と預言者、世俗的フランス内のイスラム、パリ:グラセ、2006年」Marianne et le Prophète, l'Islam dans la France Laïque, Paris: Grasset, 2006.
(11)ラヌーベル・レプブリーク・ダルジェLa Nouvelle République d'Alger (アルジェリア)2006年7月8日
(12)ルドフィーネ・リベルLe Dauphiné Libér(フランス)2002年10月16日
(13)シャーリー・エブドCharlie Hebdo(フランス)2006年10月4日
(14)ラヌーベル・レプブリーク・ダルジェLa Nouvelle République d'Alger(アルジェリア)2006年7月8日

(転載終)