ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

故羽仁五郎氏を巡るメモ(3)

外国人研究者による英語文献では、随分前に、Mr.Hani Goroがマルキスト国立国会図書館http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B9%F1%B2%F1%BF%DE%BD%F1%B4%DB)の設立に関与したことが百科事典などにも書かれている。残念ながら、奥様の羽仁説子氏については、名前だけで説明がない項目を立てている文献さえあった。
次に提示するのは別の文献だが、「旧ソヴィエト百科事典からの引用なので、内容が古いか、イデオロギー的にバイアスがかかっているかもしれない」という警告も添えられているのがおもしろい。

1.(http://encyclopedia2.thefreedictionary.com/Hani+Goro

Hani Goro


Warning! The following article is from The Great Soviet Encyclopedia (1979). It might be outdated or ideologically biased.


Born Mar. 29, 1901, in Kiryu, Gumma Prefecture. Japanese historian and public figure.
Hani went to Germany to study philosophy, history, and economics from 1921 to 1924. He graduated from the University of Tokyo in 1927, and in 1928 he became a professor at the Nihon and Jiyugakuen universities. He was also on the staff of an institute for the publication of historical materials at the University of Tokyo. In 1929, Hani helped organize the Institute of Proletarian Science. He collaborated on the editing and writing of a Marxist research project entitled The History of the Development of Japanese Capitalism, published under the editorship of Noro Eitaro in 1932–33. Hani was among the founders of the Society for the Study of Materialism (1932–38). He has written works on the modern history and historiography of Japan and the countries of the East.
Hani was elected to the upper house of the Japanese Diet in 1950. He became a member of the World Peace Council in 1952.
WORKS
In Russian translation:Istoriia iaponskogo naroda. Moscow, 1957.

(転載終)
我々一般人も遅ればせながら、最近ではさすがに故羽仁五郎氏について、我々の言葉で書かれたインターネット情報や文献によって、事実を学びつつある。ともかく、歴史学に関しては、東大系vs京大系、マルクス主義史観vs非マルクス系史観、マルクス系史観の講座派vs労農派など、当然のこととして学生時代から小耳に挟んでいたが、歴史学の出身ではなく、文学部の言語文化系だったことは、多感な若い時期に心身の安全を守るためにも、この上なく幸いであった。
…と思っていたら、昨日、近所の図書館に、予約してあった羽仁五郎(著)『図書館の論理:羽仁五郎の発言日外アソシエーツ(1981年)が届いていたとのことで、早速、借りてきた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160128)。これでやっと、1988年頃、卒論のために新幹線に乗って上京し、緊張しながら手続きをした国立国会図書館の設立経緯と背景の思想がわかり、やはり地方都市出身者は何事も理解が遅れるのだと思い知った次第である。
ブログ情報は、知るためのとっかかりとしては便利だが、本当に物事を理解したいと思ったら、やはり図書館で本を借りて読むことが一番である。そのための時間が与えられていることを感謝する。
とりあえず、今日のところは以下でご勘弁いただきたい。
2.( http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/

日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと
高橋史朗
致知出版社
2014年1月29日


p152〜155
日教組誕生秘話


日教組日本教職員組合)の誕生も、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムとかかわっています。これについては先に述べたように羽仁五郎とCIE(民間情報教育局:筆者)が密談を積み重ねていたという記録が残ってします[ママ]。
・この指針には「リベラル・エデュケーター」という項目があり、リベラルな教育者にはどういう人がいるかという一覧表が添付されていました。どういう人たちが戦後の教育改革に役立つかと研究し、あらかじめそうした人たちをリストアップしていたのです。歴史教育日教組も、その人たちを表に立てて利用しながら作っていきました。その中にはリベラル派と呼ばれている人たちに加え、共産主義者社会主義者が沢山含まれていました。コミンテルン史観を信奉する人たちが戦後の教育を担ったのですから、教育がいびつなものになったのも無理はありません。
・羽に五郎[ママ]とCIEが密談を重ねて日教組を作ったように、おそらく野坂参三とCIEが毎日会っていたことが何らかの結果を生んだものと考えられます。

(部分抜粋引用終)
今の我々に直結する問題として、東京の永田町にある国立国会図書館本館の壁に刻まれた文言が挙げられようか。
これも人口に膾炙していることだが、学生時代に読んだ曽野綾子氏の文章では、原文における主語が聖書のヨハネ福音書とは異なっているので意味も違ってくる、というような指摘があった。ただ、誰が聖書の文言を変更したのかについては伏せられていたのではなかったかと記憶する。卒論以降、機を狙って国会図書館に行く度に思い出していたのは、創案者の羽仁五郎氏ではなく、カトリック曽野綾子氏の方であった。
3.ウィキペディア国立国会図書館」(https://ja.wikipedia.org/wiki/

国立国会図書館法アメリカ図書館使節団の原案をもとに起草されたと言われているが、この前文は歴史学者参議院議員羽仁五郎(当時の参議院図書館運営委員長)が挿入したとされる。「真理がわれらを自由にする」の句は、羽仁五郎がドイツ留学当時、留学先のフライブルク大学の図書館の建物に刻まれていたドイツ語の銘文「WAHRHEIT WIRD MAN FREI MACHEN(真理は人を自由にする)」に感銘を受け、これをもとに創案した。
・さらに、この句は『新約聖書』のギリシア語「Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ(真理はあなたたちを自由にする)」(ヨハネによる福音書 8-32)に由来しているとも言われる(羽仁五郎図書館の論理: 羽仁五郎の発言日外アソシエーツ、1981年)。
・1961年(昭和36年)に開館した国立国会図書館東京本館では、本館2階目録ホールの壁に金森初代館長の揮毫による「真理がわれらを自由にする」の句が大きく刻まれ、この句は多くの人の目に留まる様になると共に、ひとり国立国会図書館のみならず、図書館一般の原理として理解されるようになった。第二次世界大戦後日本の図書館運動図書館界の発展において、この句が与えた影響は少なくない。

(部分抜粋引用終)
4.(http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/289.html
(日付不明)

・「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」という国立国会図書館法の前文は、戦前からのマルクス主義歴史学者で、戦後は参議院議員を勤めた羽仁五郎氏の発案した言葉であり、国立国会図書館GHQに招聘されたアメリカ図書館使節団の指導で設立されたそうで、だとすると実際には現行の国立国会図書館自体、その設立目的は米国に有利な史観を日本に押し付けること(日本にとって有利な図書資料の隠蔽)にあったのではないか?との疑念。
・現行の国立国会図書館は、GHQの指導により、米国に有利な史観を日本に押し付ける(日本に有利な歴史資料を隠蔽する)目的で、そもそも設立され、 GHQの実行した公職追放・教職追放 により戦前の正統派歴史学者を追放して史学界のトップに就いた羽仁五郎のようなマルクス主義歴史学者が、その運営に協力。
・羽仁さんは東京大学文学部国史学科卒後、マルクス主義歴史学を確立するひとりとして戦前・前後活躍した左翼文化人の大御所であった。また戦後、参議院議員になり、民主的人民統一戦線を結成するひとりであった。雑誌「世界」発起人のひとりであり、岩波文化人でもあった。「都市の論理」では、学生運動家のバイブルともなり、最後まで日本の革新運動の生涯を全うされた。
・60年代までの羽仁と日本共産党は、「つかずはなれず」です。戦前に野呂栄太郎に「羽仁君のような人は入党しないで、学者として党外から応援してほしい」と言われた。
思想的には、「共産党員より共産党といえます。すくなくとも、いわゆる「新左翼」ではない。
教育勅語廃止の首謀者で、日教組を作ったのが羽仁五郎

(部分抜粋終)
5.(http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/141.html

日教組初代代表=羽仁五郎マルクス主義歴史家、革新系参議院議員
・1945年12月の連合国軍最高司令官総司令部(SCAP)の指令に基づき、全教(全日本教員組合)・教全連(教員組合全国同盟)などの教員組合が発足。
日本国憲法の公布(1946年11月)/施行(1947年5月)・教育基本法制定(1947年3月)に呼応して、全教・教全連などが、1947(昭和22)年6月、日本国憲法/教育基本法の理念普及と、階級闘争を運動方針とする統一的な教員組合として日教組を結成。マルクス主義歴史学者羽仁五郎が代表に就任。 
・「階級闘争」「抵抗教育」「革命運動」を実践し、日本の国号と天皇・日の丸・君が代への反対運動を行う。
・学童/学生に「平和教育」を施し、自虐史観を刷り込む。
・「広く全日本および全世界の労働者農民諸君と手をたずさえて我国に残存するあらゆる悪秩序と闘い、これを徹底的に打破して、豊かな民主主義教育・文化の建設に邁進することを厳粛に誓う」(1947年、日教組結成大会での宣言)
・「一人々々の組合員が 自らのプチブル的傾向を脱皮し教育界に温存されている封建的残滓を打破して階級的立場を明確にし、分会、地区、府県、地域、中央へと日常闘争を進めることによって初めて日教組の組織は強化されるのである」(1949年、日教組第五回定期大会の運動方針)
・「日本教職員組合の運動方針には『教育労働者として階級的立場を明らかにして闘う』と書いてありますが、われわれはそのように、日本の貧しい人々、つまり、労働者の側に立って、日本の横暴な資産階級のわがままと闘うのであります」(1953年、日教組のパンフレット『新しく教師となった人々に』)
日教組が発足する前年の1946年から約十年間は、過激な自虐贖罪教育が行われた時期で、この期間に学童/学生期間を過ごした者は、現在に至るも非常に偏った反日的思想傾向を持つとされる。
・自社55年体制がスタートした、1955(昭和30)年頃から教育正常化運動が始まり、ようやく日教組の横暴に歯止めがかかったが、その影響力は現代に至るまで長く続いている。

(部分抜粋引用終)

結局、まとめると、このような要約メモになりそうだ。ふうっ、疲れました!

追記:日付が変わってから寝る前にアップしたのだが、午前中に字句修正を幾つか施した。今、ショスタコーヴィッチのシンフォニー第五番が流れているのは、偶然であろうか。

https://twitter.com/ituna4011


・『教育の論理―文部省廃止論』(講談社文庫)羽仁 五郎 (http://www.amazon.co.jp/dp/4061341464/ref=cm_sw_r_tw_dp_mrUQwb0N1BJS3 …)が中古で届いた。昭和56年の発行。この時代精神には、どこか馴染みがある。講談社とは、この種の本も出版していたのか。


・『都市の論理―歴史的条件ー現代の闘争』(1968年)羽仁 五郎(http://www.amazon.co.jp/dp/B000J9P0IE/ref=cm_sw_r_tw_dp_ktUQwb1YB0AH7 …)も中古で届いた。保守系の論説は昔も今もすぐに読めてしまうが、この種の本は、全く異なる思考なので、自分の頭を刺激するには良い訓練になるかもしれない。

(転載終)