ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

クリスマスの思い出

クリスマスとのことで、昨日から今日にかけて、電子版でたくさんのご挨拶が飛び交っている。
院生時代、留学生用宿舎の住み込みチューターをしていた時に知り合ったオーストラリアの元国費留学生のCさんから、きれいな電子カードのメッセージが届いた。彼女とは、3.11以降、連絡が再開され(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110323)、その後、イースターとクリスマスには、必ずカードが届く。留学生だった1980年代末には、本当に無口でおとなしく、何を求めて日本に留学されたのか、よくわからない感じの人だったのだが、こうして時を経ても覚えていてくださることが、何よりもありがたい。(但し、私達の文通は今では英語のみである。)
学部生時代には、クリスマス・イブに有志が集ってクリスマス・キャロリングで病院訪問をしたことも思い出す。当時は、「一億総中流意識の豊かな日本ですが、寂しく入院生活を送っているお年寄りの方々を慰めましょう」という呼びかけがあり、勇ましくも私は、何も囚われずに喜んで参加していたのだった。病室から、窓を開けて手を振って応答してくださったり、ハンカチで涙を拭って喜んでくださったりしたお年寄りの姿を、今もはっきりと覚えている。
父が亡くなった今、ちょうど自分が当時の父親の年齢に差し掛かったこともあり、何だかほろ苦いような気持ちがする。いろいろな意味で、私は若かった。クリスマスだということで、夕方に家を出て行き、夜9時半頃帰って来るので、学生コンパのクリスマス・パーティーにでも出ているのかと黙って大目に見ていたところ、なんと、讃美歌を歌って慰問をしていたとは、まさか想像もしていなかったことだろうし、恐らくは知らないままで終わったことだろう.....。あの時のボランティア行為は、今ではもうできない。イケイケドンドン調の華やかな世相だったからこそ、エネルギーに満ちた怖いもの知らずの年齢だったからこそ、意味があったとも思う。
私が生まれた年には、父が喜んでクリスマス・ケーキを買ってきたそうだ。まだ一ヶ月半の赤ちゃんで、ケーキどころか離乳食もまだだったのに、初めての子だということで、つい街中の商魂に押されて、仕事帰りに大金をはたいて買ってしまったのだろう。「食べる人もなく、もったいなかった」と母が何度も愚痴をこぼしていたのだが、当時も今も、(だったら、ご近所におすそ分けすればいいだけのことなのに)と、私は繰り返し思っていた。
私にとってのクリスマスの原点は、いつもそこに回帰する。