ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

若い時を若い時として過ごすこと

シンガポールの友人の誕生日と20年ぶりの再来日を祝うため、再会に際して、本当に久しぶりに、彼女の留学生仲間と一緒の昔のアルバムや、シンガポールやマレーシアで撮った写真、そして、最近の私の動向を示す資料や写真、そして、イスラエルで購入した死海の化粧品のお裾分けなどを選び出してみました。
20代の頃は、誰もが将来に対して期待と夢をふくらませると同時に、自分自身と世の中を知らないことから来る不安定さがあると聞きます。私もこのブログを綴っていくうちに、楽しかったこともさることながら、内心とても気になっていた否定的な部分が表出されていくことに気づきました。あくまで私自身の主観なので、周囲の人に尋ねれば、「そんな意味で言ったんじゃない」とか、相応の文脈があっての発言だったりなどするのでしょう。許すことが必要とわかっていても、許容範囲がかなり狭いのと、敏感に反応する傾向があるので、常に完璧を求め過ぎているのかもしれません。
ところが、アルバムを眺めてみると、確かにその経験自体はしっかりと覚えているものの、どの写真でも、私はいつも明るくにこにこ笑って写っているのです。また、顔が今よりはほっそりとして、肌もつるつるしているんです。当時の内的記憶では、毎日のように鏡を見つめてため息をつき、(どうして私はこんなに肌がボロボロなんだろう?)と思っていたはずなのですが、今見てみると、「若い!」の一言に尽きます。(結構、贅沢な悩みや愚痴だったのかもしれない)と思う一方で、(いえいえ、後まで残るという意識があるので、写真とは所詮そういうものかもしれない)とも思います。
また、若い時の人間関係は移り変わっていくものだそうですが、確かに、当時撮った写真の人々を見ると、顔立ちや表情などから、現在の様子が何となく想像できるようになりました。つまり、当時は同じ組織の仲間同士として、一直線上に並んだつもりになって、楽しくお付き合いをして、自分なりのその人観ができていて、友情や関係性がいつまでも続くような錯覚を持っていたとしても、風の便りに聞く現在の近況と当時の写真を照らし合わせると、いい意味でも悪い意味でも、(あ、この表情…)などと思い当たることがあるのに気づきました。
あの頃は、人を単純にうらやましく思ったりするナイーヴさがありました。反省ばかりしていて、なかなか自分が客観視できていなかったんですね。人生とは、あるがままの自分を受け入れつつ、そういう自分を社会で活かしながら生きていくことが絶対に重要だということが、改めて写真からも納得できます。
また、私自身、当時から国内昇進型一直線のタイプではなかったことが、よくわかります。すっかり忘れていたのですが、諸外国からの留学生パーティー(食事会)がよくあって、頻繁に誘われ、それなりに自分も楽しそうに写っているからです。当時の感覚では、一般の日本人学生とは決定的に違う経験をしていたのです。元国文出身でありながら、日本文化をこよなく愛し、誇りに思うと同時に、関心が常に外へと向いていたのです。
不惑になれば、価値観が固まり、その人自身が熟成されていくといいます。とすれば、私自身、若い時を若い時らしく生きる機会に恵まれていたと感謝の思いです。
結論をいえば、このブログによって、自分の経歴や考えや感情がある程度、整理されつつあると同時に、これからは、遅れをとっていても、「私なりの仕事」としてきっちりと作り上げていかなければならないものがあるということに気づきました。このような経験を持たせていただいた以上は、独自の見方や考え方が絶対にあるはずで、それを、違う経路や考えを持つ人々と肩書や業績の上だけで比べて悲観することもないんだ、と思うのです。
人生では、写真に表れていない部分の方が、時間や経験の上でも圧倒的に多く、それこそが内的記憶を形成し、その時々の判断や決断を左右している一方で、ある瞬間を切り取った写真というものは、いくらポーズをとったとしても、無意識のうちに普段の内面を表出しているともいえるのです。
シンガポールから彼女が来てくれて本当によかった。それも、東京ではなく、大阪で学会が開かれることになって、本当によかった。当たり前のことを書いているに過ぎませんが、このように内省の機会が与えられたことを心から感謝したい気分です。
では、これから出かけてきます!よい時間を共に過ごせますように…。