ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

日本を取り戻せ

まずは、励まされる記事の抜粋から。

http://www.genron.tv/ch/sakura-live/column/vol?id=267


李登輝台湾総統が語る「本当に頼れる国は日本」
週刊ダイヤモンド』 2015年10月3日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1102 


・どこから見ても台湾はかつてない深刻な危機に直面している。その台湾が最終的に頼れる国はどこか。国民党の馬英九総統は明らかに中国だと考えている。国民党と対立する台湾人の政党で最大野党、民主進歩党民進党)は米国と日本だと考えている


・李総統主導の教育は「認識台湾」と呼ばれる。台湾人として李氏の後継総統となった陳氏はこの台湾回帰を鮮明にした教科書をやめてしまった。「彼は日本の教育を受けていないから、その良さを知らない反日教育が効いている」と、李元総統は明言する。


・22歳まで日本人として過ごし、いま92歳の李元総統は、70年間、(国民党の)中国人と暮らしてきた。国民党の蒋介石主席(当時)の長男、蒋経国氏に引き立てられた。経国氏が総統に就任すると、李氏は副総統に指名された。なぜ、中国人ではない台湾人の李氏が引き立てられたのか。李元総統はこう断言した。


・「正直で真面目だからです。とても日本的だからです蒋経国は中国社会でもまれて、ロシアで暮らし、中国人、ロシア人について何でもよく知っている。その彼が中国的でもロシア的でもない極めて日本的な私を選んだ


・李元総統は日本人は誇りを持てと私を励まし、日本人があまり知らないかつての日本人の功績について語った。
「日本人が台湾総督府を開設したのが日清戦争後の1895(明治28)年。7月には芝山岩(しざんがん)に最初の国語学校が造られ、6人の教師が赴任しました」


・日本はこのときから50年間台湾を植民地として支配したが、植民地統治を教育の徹底から始めた国は日本をおいて他にない。植民地支配を肯定する気はないが、それでも、日本国政府も国民も、教育を通して相手国を成長させたいと望んでいたことは評価してよいだろう。

(部分抜粋引用終)

加瀬英明氏が三本まとめて掲載されたコラムを(http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi)。

「和食」に宿る自然を敬う心
2015/10/05 (Mon)


・和食――日本料理が、世界にひろまるようになっている。
・美しい。健康によい。新鮮な食材の繊細な持ち味を、そのまま生かしている
・和食の際立った特徴といえば、素材の味をできるだけ生かそうとしている。西洋料理も、中華料理も、原形をとどめないまで切り刻んで、長い時間をかけて煮たり、焼いたりする。いくつもの食材を組み合わせて、化学の実験のように、もとにない味をつくりだす。
・日本文化は、幕末に浮世絵がジャポニスム(フランス語で日本趣味)として、西洋の絵画に大きな影響を与えたのから出発して、モダンな家具、庭園づくり、今日の機能的な近代建築にまで及んだ。
・戦後は、日本の会席料理がフランス料理を革新した。
会席料理風のフランス料理は、「ヌーベル・キュイジーヌ」(新料理)と呼ばれるが、いまでは高級なフランス料理の定番となっている。
・東京の築地の魚河岸のわきに、波除(なみよけ)神社がある。この境内に、鯛、鰤(ぶり)をはじめとする魚、蛤(はまぐり)、浅蜊(あさり)などの貝を弔う塚が、たっている。
築地市場は東京のなかで、おそらく江戸の雰囲気がもっとも濃くのこっている場だろう。活気が漲(みなぎ)っている。男たちが呼吸を合わせて、大きな鮪(まぐろ)を巧みに捌(さば)く技は、江戸時代から少しも変わっていまい。
・粋で、勇み肌の若者を「いなせな」という。「鯔(いな)背(せ)」と書くが、江戸の魚河岸に働いていた若者が、髪をボラの幼魚の鯔(いな)の形に結っていたことが、語源となっている。
・私たち日本人は、動物にも、魚介類にも、草木にも、魂が宿っていると信じてきた。
・私たちは自然を敬うから、魚介であれ、野菜であれ、できるだけ自然のまま、その持ち味をそこなわないようにして、口に入れて味わおうとする。
和食にも神道の敬神の心が、やどっているからだ。

「日本人よ、清く正しく美しくあれ」
2015/10/05 (Mon)


福田赳夫内閣が、昭和51(1976)年に発足した。
・私は首相から対米折衝を手伝うよう頼まれて、首相特別顧問という肩書を与えられて、ワシントンをしばしば訪問した。私は40歳だった。
・当時のアメリカは、カーター政権だった。私はホワイトハウスを訪れるうちに、カーター大統領の妹のルース・ステイプルトン夫人と、親しくなった。ルースはなかなかの美人だった。背の高い獣医と結婚して、ジョージア州のカーター家の郷里に住んでいたが、ホワイトハウスにしばしば遊びにきて、泊っていた。兄の大統領がルースを溺愛していた。
・カーター大統領はキリスト教の信仰心が、きわめて篤いことで知られるが、ルースも奉仕活動として、神霊治療の仕事に打ち込んでいた。神霊治療師はアメリカで「スピリチュアル・ヒーラー」と呼ばれるが、精神が病んでいる人や、過去に過ちを犯した人に、聖書を教え、ともに祈ることによって立ち直らせることをする
・ルースは神霊治療を、「内なる救い」と呼んだ。人は誰でも、みな、救いを求めている。これは太古の昔から、東西を問うことなく、人類に共通している心の渇きであってきた。
・自らを救うためには、神や、仏に縋(すが)るだけではなく、自分の持てる力を振り絞らなければならない。そういっても、人は非力である。ルースが説くように外から大きな力を、借りるとよいだろう。
仏教諸派の教えはすばらしいと思うものの、外来宗教であるから、なじまない。神道は教典も、戒律もなく宝塚歌劇団のモットーと変わらないが、「清く正しく美しく」あれということを旨として、生きてきた
・今年は終戦70年に当たる。日本は経済繁栄のなかで、日本人として多くの美点を失ってしまった。日本を取り戻さねばならない

「人は志がなくなると小粒になる」
2015/10/05 (Mon)


・私が日本ペンクラブの理事となったのは、昭和52年だったから、40歳のときだった。
ペンクラブの左傾化がひどかったので、2年後に脱会した。金日成主席の北朝鮮が天国で、朴正煕大統領の韓国が言論を弾圧していると非難する決議を行ったので、あまりにも馬鹿馬鹿しかった。
・あのころの文壇には、石川達三丹羽文雄芹沢光治良井上靖、安倍公房、三島由紀夫遠藤周作吉行淳之介と、思い出すままにあげていっても、古い表現になってしまうが、一家をなしていた作家が少なくかった
・画壇についても、そうだった。壇は高く設けたところを意味しているが、文壇、画壇という言葉が廃れたのも、作家も、画家も、平準化してしまったからなのだろう。
・人はさまざまな衝動に駆られて、生きている。喉が渇く、空腹を覚える。ある時は酒に酔いたい。本を読むのは暇を潰すとか、事実を知りたいとか、好奇心を満たしたいからだ。
・芸術の根源は世界のどこでも、神事から始まっている。宗教祭祀と結びついていた。
・日本でも音楽や踊りは、神々に奉納することから始まったし、どの民族についても同じことがいえる。西洋音楽は賛美歌から発した。はじめはただ声を合わせるオルガヌムから、複音楽であるポリフォニーへ発展した。
シェイクスピア劇の源流も、教会で演じられた寸劇に求められる。シェイクスピアは16世紀から17世紀に活躍した。イギリスでは14世紀ごろから、祝祭日に聖書の物語をもとにしたコベントリー劇とか、ヘッジ劇と呼ばれた宗教劇や、艱難(かんなん)の末に神に救いを見出す、エブリマンという道徳的な寸劇が、教会で上演された。
・絵であれ、彫刻、小説であれ、心を打つ作品は誰にでも訴える力を持っているから、普遍性を備えているものだ。どうしてなのか。
自称芸術家と呼ぶべき人たちの作品は、独り善がりのものだ。人は何か創ってみたいという衝動を感じるから、自分のためだけであってならないわけはない。
・才能は不可抗力のようなものだ。持って生まれたものや、育った環境によって作られる。
・流行している英才教育といった教育論では、どんな子供でも肥料さえやればよいように説かれているが、その子供がもとから秘めている才能を伸ばすのには役立とうが、どの子供にも効果があるものではなく、ほとんどの場合、親の自己満足のために、子供を苦めている
・優れた作家は内的な強い衝動に促されて、創作活動に取り組むと思う。だから受け身なのだ。才能が不可抗力であるのと、似ている。
・個人は自分の中に個人的な意識されない意識と、1つの共同体に属していることから、目に見えない根のような、全員に共通している普遍的な意識を持たされている。日本人なら個人としての自我の他に、無意識の中に共同体の意識が植えつけられている。私たちは目に見えない糸によって、しっかりと結ばれている。
芸術はこのような普遍的な意識が、恵まれた作家を通して形になるものだと思う。いってみれば、火山のようなのだ。このような無意識の意識が、地下マグマのように燃え盛っており、才能のある個人が火口のように選ばれて、爆発するのだろう。
作者は部族的な代表なのだ。作家は媒体ということになる。優れた作品が、その時代の人々の心を強く捉えるから、作品はひとりだけのものではない。人々が共有しているものが、表現されている
・偉大な作品は時代精神を表している。思いつくままにあげれば、ドストエフスキーの『悪霊』は、リベラルなインテリの息子が悪霊に取り憑かれ、過激派になる物語である。その後にくるスターリン時代を、生々しく予言している。T・S・エリオットの詩の『荒地』は、現代人の精神を見事に描いている。 T・H・ローレンスの『チャタレー夫人の恋人』は、急速に都市化と機械化してゆく社会における、男女の新しい性を描いたものだ。作者はこの作品によって受難したが、書かねばならない衝動に駆られたのだろう。
・ニューヨークの近代美術館を訪れると、マックス・ベックマンの絵の前で足を停める。第1次大戦後のドイツの表現派の巨匠だが、大戦による人間への幻滅から、グロテスクでサディスティックな絵を描いている。
・かつて神話は、心にあった象徴的なものを表わしていた。神話は遠い過去に追いやられたが、現代のエピック――民族の姿を描いた叙事詩を創りだす人々が、同じ役割を果している。
この30年ほど、日本には優れた作家が現われない宮沢賢治小川未明小林多喜二、安倍公房、三島由紀夫小津安二郎黒沢明といったような人々が出なくなってしまった。
・私は都心の麹町に住んでいるが、利に聡い不動産屋の手によって、45、6階もある新しいビルが、つぎつぎと建つようになっている。人が小粒になったのは、このような巨大な建造物のためだろうか。
・萩にかつて吉田松陰が教えた松下村塾の小さな日本家屋が、残っている。部屋が2つしかなく、畳が摩り切れているが、人間の体の大きさに適っている。
・飽食の時代に入って人々が苦しむことがなくなり、共同体の意識が薄れたために、社会が真剣味を欠くようになったからに違いない。

(部分抜粋引用終)
共感する箇所のみ引用させていただいたが、特に「この30年ほど、日本には優れた作家が現われない」は、辛辣だが的を射た指摘だと思う。このブログでも、従来から、さまざまな日本社会の劣化現象の一端について、かなりきつく批判を書いたこともあったが、全ては、昨日(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151005)や今日のブログに集約される。