ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

是正には三代かかる

以下のニュースを。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181107-00010004-jisin-soci


「絢子さんに続く?承子さまが年内ご婚約発表と宮内庁関係者」
11/7(水) 11:02配信


高円宮家の三女・絢子さんと守谷慧さんの結婚披露晩餐会が10月30日の夕方、東京都千代田区ホテルニューオータニで開かれた。


高円宮妃久子さまが、絢子さんに守谷慧さんを紹介したのは昨年12月のこと。出会いから10カ月あまりの“スピード婚”となった。高円宮家では、'14年に出雲大社権宮司千家国麿さんと結婚した次女・典子さんに続く慶事。さらに宮内庁関係者は顔をほころばせ、こんな情報を口にする。


「実は年内にも、長女の承子さまのご婚約も発表されそうだと伺っています。来年の天皇陛下のご退位までに結婚を、と久子さまは急いでいらっしゃるそうです。もし結婚式がお代替わり後となれば、天皇皇后となる皇太子ご夫妻は慣例として出席されません。承子さまの結婚式には、懇意にされている皇太子ご夫妻を披露宴の主賓としてお招きしたいとのご希望があるのでしょう」


・「16年前、若くして高円宮憲仁親王に先立たれた久子さまは、高円宮家の3姉妹をきちんと送り出さなければいけないと、常に思われてきたのです」(皇室担当記者)


・「承子さまのお相手は、かねてから交際されていたメガバンクシンクタンク勤務の男性と聞いています。お二人のデート姿は週刊誌で何度か報道されていますが、順調に仲を深められているそうです」


・絢子さんの場合、婚約の発表から結婚式まで約4カ月。承子さまのご婚約を12月に発表すれば、来年の3月か4月には式を挙げられることになる。そうなれば平成の最後を飾る慶事となるが、前出の宮内庁関係者は苦渋を表情見せた。


・「お代替わりを機に、天皇皇后両陛下が公務から身を引かれます。すでに皇室を離れた絢子さんに続いて承子さまも結婚されれば、ご公務の担い手がごく短期間に4人も減少することになります。残された皇族方にとっては、ご公務の負担が非常に大きくなってしまうでしょう」


・「最近では秋篠宮さまの研究分野である鳥類関係のご公務まで、眞子さまが出席されるようになっています。眞子さまは'15年に日本テニス協会名誉総裁を引き継がれていますが、今後はそういった役職への就任もさらに増えると考えられます。秋篠宮ご夫妻の反対もあり、小室さんとの結婚は現実的にきわめて難しくなっています。ただ、新しい出会いを探すとしても、そのお時間も、お心の余裕も否応なしに減っていくでしょう」(皇室担当記者)


・ご公務激増で眞子さまの「華燭の夢」は、さらに遠のいてしまうのだろうか――。

(部分抜粋終)
高円宮妃久子殿下(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180702)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180722)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181026)の明確な目標(三人の女王殿下を格式と相性に沿った結婚にきちんと繋げる)と、そのためのご教育とご手腕は、昨今の風潮に鑑みても、一般民間人にとって非常に参考になり、学ばされる点が多い。
殿下がお若くして突然薨去されて、国民には想像もつかない大変なことがたくさんおありだろうに、いつも爽やかな笑顔で颯爽とお出ましになり、印象的なスピーチを、日本語のみならず、英語やフランス語で堂々となさる。そのお姿に、どれほどの強さと励ましと誇りを感じることか。
メディアは長い間、「開かれた皇室」「本人の意志に任せる」「自由」「弱者に寄り添う」「慈愛」「優しさ」を強調し過ぎたのではなかろうか。それによって、何がしかの影響を受けたかもしれない国民の側の社会変容は、今後是正が始まるとしても、三代はかかりそうだ。
最近のメーリングリストより。

有馬哲夫『1949年の大東亜共栄圏:自主防衛への終わらざる戦い』


・旧軍幹部の宇垣一成、河辺虎四郎、有末精三、服部卓四郎。彼らは戦後、宇垣のもとで秘密機関を作り、戦後日本に新たな国防軍を創ろうとしていた。


児玉誉士夫は、戦時中に児玉機関のトップとして、海軍航空本部のためにタングステンなどの物資調達に辣腕を振るった。彼は戦後、物資調達によって蓄えた巨額の資産から、鳩山一郎自由党の創設資金を提供し、自由党やそのあとの自由民主党の領袖たちに大きな影響力を及ぼした。


・戦後、関東軍支那派遣軍にいた高級将校たちは、中国で長年付き合いがあった親日的中国人はもちろんのこと、国民党の幹部とも心を通わせることができた。国民党幹部の多くは日本の士官学校出身者で、互いに先輩後輩や師弟関係にあった。それに、アジアのためのアジア、第三極としてのアジアを目指していたのは、国民党の指導者の孫文も日本の軍人も同じだった。


・元陸軍中将土居明夫は、戦前日本最大の対ソ連インテリジェンス機関であった、ハルピン特務機関とその後継組織の関東軍情報部のトップだったことがあり、日本きってのソ連だ。彼は終戦ののち、進んで国民党の国防部の留用を受け入れ、対ソ連インテリジェンスに携わった。


服部卓四郎は帰国後、復員局にいたところをGHQのGー2トップのチャールズ・ウィロビーに准将に(ママ)気に入られてGHQの歴史課に引き抜かれる。ここで彼は、太平洋戦史を編纂するとともに対ソ連インテリジェンスと対ソ連作戦立案を行った


・ウィロビーは、イタリア通でドイツ語もできる有末精三に親しみを持ち、またインテリジェンス将校としての能力も高く評価していた。ちなみにGHQの歴史課は、もともとは太平洋戦史編纂のための部局だったが、予算が潤沢だったので、次第に有末をはじめとする日本人の元高級将校らに、資金を与えて様々なインテリジェンス活動をさせるようになった。


・復員業務も一段落すると、河辺と有末は、G−2の資金援助の下に、この業務から得た情報や人脈を活用しつつ、秘密インテリジェンス機関を作り上げていった。河辺は治安維持隊、有末は対外インテリジェンス機関、服部は国防軍を計画していた。ウィロビーはこれらの機関が、復員業務の機関から占領後の再軍備をにらんだ秘密機関に変質してからも、活動資金を与え続けた。


・児玉は工作資金を得るため、さまざまな物資の売買、密輸や密売も盛んに行った。たとえば、緑産業や大公貿易といった会社を立ち上げ、かつて扱っていたもの、つまりタングステンモリブデンなどを売買するというものだ。そのほかの密貿易にも多く関わった。もともと彼は、物資・資金調達と輸送を得意とした。


・児玉は終戦時、児玉機関が保有する物資の一部を隠匿していたので、それを売りさばいて、当座の工作資金にあてていた。物資の買い手は国民党や占領軍ばかりではなく、共産党軍、朝鮮、沖縄、インドネシアにまで及んでいた。

(部分転載終)
チャールズ・ウィロビーに関しては、過去ブログをどうぞ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180323)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180325)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180326)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180328)。