ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

この世に残した足跡

今日は、抽選でご招待葉書をいただいていた日文研で、久しぶりに能楽と西洋オペラの組み合わせという「実験」を再び見るつもりでいたのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090226)、出かける直前になって、なんとドアの鍵がなくなったことに気づいた。探しているうちにバスの時間になってしまい、慌ててお詫びのお電話を。
お天気もよくないし、遅刻しつつも無理に慌てて出かけるよりは、たまっている片付け物に当てようと切り替えた。
と、思った途端に、普段その辺での買い物などの時に着ている上着のポケットに鍵があるのを見つけた。
でも、仕方がない。今日はこういう日なんだ、と思った途端に、また驚くようなメールが飛び込んできた。

過去の拙ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)を見てくださった信州出身の方が、大叔父の立ち上げたアラブ友好協会のその後を、お尋ねになったのだった。
もちろん、私が詳細を知る由もなく、基本的にはブログで綴ったことを要約してお返事した。
その後も複数回、やり取りがあったが、その方のご勤務先は、実は主人の勤務先と同じ企業グループだった。また、東京外大ペルシャ語科のご出身で、イランと言えばマレーシアとも関係があるので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111006)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120309)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130112)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140318)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140911)、思いがけず、重要な公的私的上の接点が幾つかあることにびっくりした。

これまでの中東・東南アジア・イスラームキリスト教関連の研究については、あまりにも左翼がかった風潮が一部の大学およびメディアで影響力を奮っていたように思う。その際、その主張に確固たる資料上の史的根拠があればよいのだが、往々にして、主張のための主張、まず思想ありき、といった大上段構えだったので、自分達の枠から少しでもはみ出るようなことを発言したり発表したりする人を、無理矢理にでも叩きのめしていたのではなかっただろうか。
叩くだけなら、ストレス解消になるかもしれないが、問題は、それによって本質を見誤り、真に優秀な人が大学に残らなくなり、真理の追究より権力の追求に成り下がっていくとしたら、国の方向性や舵取りを誤ってしまうことである。一体全体、どのように責任を取るつもりなのだろうか。

但し、民間企業のシンクタンクや調査所は、実務の関係からそうも言っていられないので、もう少し地道に、競争力も兼ねてやっていただろうと想像される。

エスペランティストだった大叔父のことも、同じくエスペラント愛好者の年下の世代が、身内表現を斟酌せずに、今から振り返ると随分、珍妙な応答や態度だったことも思い出す(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070804)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070808)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070812)。だから、怖くて、しばらく前に刊行されたという、エスペラント関連の事典を見ることをしていない。

もうこれからは、厳しく淘汰されて、変な浮わついたことをやっている大学や研究や出版は、とっとと消えていったらいいと思っている。

池内恵氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%D3%C6%E2%B7%C3)のフェイスブックhttps://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=nf)から。

・ウォルツァーなら、イスラーム政治思想のジハード論が現実的な力を持つようになればこう言うだろうということは、彼の理論的枠組みから当然に想像できることです。


・私は大学1年ではもっぱら西欧政治思想をやっていた。特に、1980年代にはやっていたオタク的なフランス思想ではなく社会主義なき後の現実社会の倫理的・政策選択上の基準を思想的にどう定めるかという問題に取り組み、冷戦構造崩壊後の国際社会の構成原理はどうあるかに向き合っていた、英米政治思想に目を開かされた。


・ゼミでウォルツァーの『Spheres of Justice』の原書を一冊読み通した。その後かなりたってから翻訳も出たのだと思う。懐かしい。英米の思想史の本を原書で読み通したのはそれが初めてだっただろう。


フランシス・フクヤマ『歴史の終焉』はゼミで翻訳で全部読んだ。マッキンタイアの『美徳なき時代』もゼミで全部読んだ。ハンチントンの『文明の衝突』も、元になるフォーリン・アフェアーズ論文が出たというので先生たちが騒いでいるのを、大学院生以上の研究会に学部生の時に端っこで潜り込ませてもらって聞いて、早速某思想史の先生がコピーしてきたのを一部もらってきて読んだ。そういう基礎を踏まえてイスラーム思想研究に向かった。英米思想の人たちがやがてはイスラーム思想と向き合わなければならないことは、両方の思想を視野に入れておけば見えていた。それが現実化するのに20年かかっただけである。


・日本人は下手をすると西欧についての研究者すらも、こういう西欧人があまり言いたくないから言ってくれないことをあまり理解していないようだ。全員が理解していないわけではないけれども。あるいはそういう少数派同士の問題を含めて全部多数派が悪い、という単調な考え方にはまっている人もいるのだろう。


・西欧に限らず、他者の社会を研究するときは、相手側の社会の人々が外部に対して言ってくれない、隠そうとする現実を、言外の論理を読み取って理解していくのが、外部の研究者の仕事じゃないかと思うんだけれども。

(引用終)
フランシス・フクヤマ氏については、池内氏も『歴史の終焉』と訳されているのですね?(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071026)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130828)普通は、『歴史の終わり』が人口に膾炙しているようですが。

まだ続きがあった。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=pb&hc_location=profile_browser


・事件が起こるたびにメディアに便利に出てきて適当な本を売りまくる何人かの「イスラーム」通は、言っていることがその時々の視聴者の気分に合わせてしょっちゅう変わる典型的なデマゴーグです。いつの時代にもいます。


・しょっちゅうメディアには出ていられませんから、幾つかの重要な仕事は徹底してやる。読者はそれを隅々まで読んでいれば、専門家でなくても、やがて次々に起こってくることにそれほど驚かなくなります。

(部分引用終)