ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

二十周年記念日に寄せて

http://genjiito.sblo.jp/article/181581457.html


電車やバスの「優先座席」に子供をサッと座らせる母親がいます。

40歳前後で無理やりセーフ出産した女性達から、このようなケースがますます増えることだろう。つまり、自分が体力的に疲れているので、思わず子供を座らせてしまう、という....

http://genjiito.sblo.jp/article/181519861.html


・以来、いろいろなことがあっての43年です。あっという間だったので、予想外に短かった、というのが実感です。
・結果が確認できる仕事は、仕事のうちには入らない
・43回目の結婚記念日であり66歳の誕生日を、妻と二人で祝います。

(無断抜粋引用終)
我が家も今夜、二十周年記念をお祝いします。
振り返れば、あっという間でした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170908)。二十年前のあの日、大勢の方々にご参列いただいたことを改めて感謝申し上げます。


あの時に出席してくれた独身の友人達は、その後、結婚したという通知もないので、今どうされているかしら....と気にはなっている。お忙しい中、私共のために皆様が集まってくださった機会は、まさに一期一会なのだ、と痛感する(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071117)。
「歳を取っているのだから、もう結婚式なんて贅沢。会費制一人500円で、紅茶とケーキだけ出せばいい」等とも、私はさんざん言われたが、少なくとも主人側の親族、アメリカ東部の留学や駐在をお世話してくださった勤務先の上司、仕事を一緒に支えてくださった同期の方々、首席で卒業した大学の指導教授のことを考えれば、それがいかに反社会的であり、失礼極まりないかがわかろうというものだ。
だが、本当に私には身の程過ぎた贅沢なのかもしれないと、内心はビクビクものだった。
実際には、妹の方が私より年齢的に遅く(親に黙って)結婚した上、私に知らせずに勝手に海外挙式をしたらしい。(父が亡くなった後で、叔母から電話で初めて聞いた。)また、気がつくと、30代半ば以降のご結婚も増加中である。
それに加え、妹は父の株手帳を私の目の前で受け取っておきながら、私は取り上げられている。金融機関が証明している。それどころか、祖母からの長年のお祝い金や私の一年分の給与貯金通帳まで、気がついたらごっそりと下ろされていた。それにも関わらず、妹は法定相続人の私に向かって「あんた遺産欲しいの?」「気がつくのが遅い」などと抜かした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170201)。
父の葬儀でも、主人が横にいるのに、「長女は何もしない!」と喪主の弟(嫁は子供と一緒に欠席)から怒鳴りつけられ、挙げ句の果てには納骨式にも呼ばれず、私が二十代半ば頃から用意してあった墓地を処分して、勝手に樹木葬にしてしまった。今や父は、住み慣れた場所から遠く離れた、どこの誰ともわからない他人と一緒に、アルファベットと数字になっている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151110)。
こんな不条理は、どう考えても腑に落ちない。
弟は京大の博士号を取得し、そこに就職した。一時期は東大で助手もしていた。昨年辺りから、家族を連れて海外に行ってしまい、今はどこで何をしているかわからない。(フェイスブックに、ピースマークをして子供と遊びまくっている写真ばかり載せていたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170910)、今は閉鎖されていて閲覧不可である。)
誘っても、妹も弟も子供を一度も連れて来たことはない。勿論、挨拶もない。嫁は一体どういう家の何者なのか、私には不思議で仕方がない。妹の方は、さらに滅茶苦茶である。
結婚式に父と二人でご招待に上がっても、「わかってますから」と断ってきた人は、祖母が亡くなってから、戸籍の改竄をして遺産を受け取ろうとしていたらしいことがわかった。
全ては、父が2013年2月中旬に亡くなってから、少しずつ判明したことだった。
何も知らず、私はひたすら(自分に非があるから、能力が低いから、無視されて遠ざけられているのだろう。他の人達はもっとうまくやっているのだろう)と思い込み、家事の傍ら、結婚一年で発病した主人の進行性難病を少しでも遅らせるべく日々を工夫し、その一方で二十代から続けてきた研究テーマに没頭し、国内外での資料収集を元に研究発表を重ねつつ、仕事や役割の上で、何とか自分の居場所を作ろうと懸命だった。居場所を持たなければ、親戚の顔に泥を塗るようで、ますます村八分にされてしまうと切羽詰まった気分だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170114)。
主人の母方の実家にも何度か行って、祖母の御見舞をしたり、お葬式のお手伝いをした。最初から年に四回は主人の家のお墓参りに一緒に行き、これまで四度入院した主人の母をお見舞いし、引っ越しのお手伝いにも何度か行き、嫁として不充分ながらも、何とかやってきた。
今年に入ってからも、ますます気合を入れて前進を続けていくはずだったが、思いがけず右目と額と右側のこめかに帯状疱疹ができ、長らくクリニック通いをすることになった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170306)。
だが、この病名と眞子内親王殿下のご婚約ニュースをきっかけに、全く文脈が異なっているにも関わらず、天皇制や皇族方を巡るメディアの煽動めいた話題に対するネット世間の反応や風潮(お世継ぎ(男児)の有無、東宮家(長男夫婦)と秋篠宮家(次男夫婦)の比較、皇后陛下(姑)や妃殿下(嫁)や内親王(娘)の優劣評価、仲睦まじく努力家で忍耐強い皇太子殿下(第一子)を責め立てて非難(!)等)と、私の周囲に起こったことが、何となくどこかで並行対応しているらしいこともわかった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170828)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170905)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170913)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170918)。
国体の本質そのものに対する真っ当な理解が抜け落ちたまま、価値観が身勝手に変容しているからこそ、雑誌やテレビが無責任に述べ立てていることを鵜呑みにして、それを自分達の周辺(カッコ内)に当てはめて喋るのだろう。長い間、滅多にテレビを見ず、新聞購読も止めた私は、最初はわけがわからず、非常に当惑したのだった。
人生には縦軸と横軸および血族と姻族があって、どの人的関係も大切である。社会の中での階級階層や立場というものもある。「自分らしく生きる」とは、周囲を無視して、自己中心に好き勝手に振る舞うことではないはずだ。
「気に入らない人とは無理に付き合わなくてもいい」という個族の勧めは、言語道断も甚だしい。また、結婚して子供を持っただけで世間体を通し、学歴と肩書と経済力だけで社会で通用しようとするほど、世の中は甘くも簡単でもない。
世間の荒波に揉まれて競争社会で生き抜く能力や知恵と、血族や姻族で相互に協力し合う家庭のあり方とは、本質が異なる価値軸であるはずなのに、今や境界線が限りなく曖昧化している。外部の市場原理を家庭内に持ち込んで、子供の間で出来具合を競わせたり、夫婦間でお財布を別個にして家事分担にしたり、「子供は欲しいが夫は不要」と公言する女性が増えてきた。せっかく子供が結婚しても、母親同士が上下や優劣や家柄の高低やマナー等を競い合っている。その逆に、個々人や家庭の個別問題を、地域や社会や国に依存して解決しようというエゴも蔓延している。子育て資金や介護手当を「もらえる」とばかりに当てにし過ぎなのだ。介護施設やホテルのような老人ホームで、誰かに「世話してもらおう」と期待し過ぎなのだ。


20年前には、こんな世の中になるだろうとは想像だにしていなかった。


おかげさまで今年は、国の根幹である天皇や皇族の問題と憲法、私的側面では自分自身の家系ルーツ辿り(岐阜、名古屋、三河地方)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170611)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170727)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170729)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170926)、この二十年の居住地の郷土文化史と変遷への思い巡らし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171114)、子供の頃の家族旅行の地(琵琶湖、近江舞子、京都)を再訪など、新たに知り、学び直す国内テーマが増えて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170702)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170703)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170704)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170705)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171027)、足元が固まりつつある。そのこともあり、パイプス訳文は下訳のみで一旦休止し(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171031)、三年続いたご面会旅行も(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161007)、今年はお休みした。
それにより、知的心的バランスが取れて、ようやく安定して前へ踏み出すことができそうである。
先月から借りたり買ったりした本のリストが溜まりに溜まっているが、また後程。