ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

京都非公開文化財巡り

11月6日の日曜日には、主人を誘い、朝日友の会の割引チケットをお財布に入れて、京都非公開文化財を特別公開している三ヶ所へ行ってきた。
この時期は、私の誕生日(今日!)及び一週間後の結婚記念日が巡ってくるので、毎年、何か思い出に残ることをしてきたのである。
まずは、京都駅で天婦羅膳をいただく。その後、主人が計画することの好きな旅程通りに、地下鉄で丸太町まで行った。
ブラブラ迷いながら、歩いて京都ハリストス正教会へ。団体旅行客で中は混雑していたが、イコンがずらりと正面に並べてあった。何年か前に通りかかった時には、確か青白い壁色の木造風の教会で、敷地は広いが古くて少し暗い感じの雰囲気だったのに、すっかり白く塗り替えて、教会事務所も新たになり、駐車場も整備されて、イメージが明るくなった。
正教会はどこの国でも民族教会の位置づけにあり、そこがローマのバチカンを中心とするカトリック教会とは異なる。また、祈祷文の言葉遣いがカトリックプロテスタントとも違っていて、慣れないと少し難しいかもしれない。私が所属している学会に正教会の方がいて、イコンについての研究発表をされている。ここ数年、欠席しているが、いつでも私はその人と一緒にお昼ごはんを食べることにしていて、お陰様で孤立することはない。
….そんなことを主人に説明しがら、教会前で写真を撮り、次へと移動した。
結果的に、一ヶ所を三十分ずつ見学し、三十分歩いて移動、という行程だったが、いい運動にも気晴らしにもなったかと思う。
冷泉家住宅は同志社大学のある街路沿いにあり、京都御所内を横切って辿り着いた。若い学生アルバイト風の男女がそれぞれの場所に立って、クリアファイルに要点を大きくワープロ打ちした資料を挟み、ページをめくりながら説明していた。わかりやすいが、メモを取る時間もないのが玉に瑕だった。
終了後は、そのまま歩いて下鴨神社へ。
ちょうど19年前の10日後に私共が挙式した場所で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150322)、記念訪問は二度目だが、前回よりはしみじみとした感じで、二人であちこち歩き回り、写真を忙しく撮った。前回の時は、結婚後一年で診断を下され、人生行路を変更せざるを得なかった我々二人の心理的、精神的な決着が、まだ充分についていなかったからだ。
今ではさすがに、ジタバタしても始まらないというところで落ち着いているし、実家にあった主人の大量の荷物を少しずつゆっくりと整理しながら、私自身が(やっぱり、この人でよかった)と思えるようになったからでもある。それに、何だかんだ言いながらも、予想以上に自由に暮らせることは、本当にありがたい。
勉強を続けているので、最終目標としては、適切な場を探して論文にまとめることだが、視野が広がり、さまざまな方達と知り合うことができ、人生を重層的に複合的に考えることができるようになったのは、主人の病気のおかげでもある。
私共の結婚した頃は、日教組による左翼的な教育が近辺の小中学校でも目立ち(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150402)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151211)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160208)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160316)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161106)、かなり違和感を覚えていたので、もし子どもがいたら、殆ど毎週のように学校宛に投書したり、考えの合いそうなお母さん達と頻繁に話し合ったり、小五月蝿く子どもに注意を繰り返したり、何かと心配してばかりの暮らしだったに違いない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160715)。
スマホによれば、一万歩以上も歩いたことになるが、案外、外を出歩いた方が主人にとっては良いようだ。夜もぐっすりと眠れるし、朝の目覚めもよく、翌日、勤務に出かけるのが楽なのだそうだ。
主人の母は、「あの子(主人)が卒業(「退職」の意味)するまで、私も頑張る」と口癖のように言っているが、ここまで来られたことは幸い以外の何物でもない。
結婚前は訳のわからない話で大騒動続きだったので、挙式と披露宴が無事に終了するまでは何が起こるか気が気ではなく、ほとほと疲労困憊したが、あの経験があるので、今の自分がある。度胸だけは人並み以上についた。
ところで、京都市内の北部を歩いていたら、変なことに二点、気づいた。
(1)家庭裁判所の前を通りかかったが、恐らくは、金銭問題や離婚騒動などでお世話になる場所だろう。もしここに足を踏み入れる人生になったら、二度と顔を上げて外を歩けないだろうと、私は長らく思い込んでいた。実際には、世間の人々は、離婚しようが、人のお金を巻き上げようが、もっと堂々と平気な顔をして人生を歩んでいる。なぜ、私はそれほど堅苦しく考えていたのだろうか。
(2)中規模程度のビルが街路の向こう側に見えたのだが、そこには「多文化共生」推進の垂れ幕がかかっていて、屋上を見ると、何と韓国の国旗がたなびいていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161108)。思わず証拠に写真を撮ったが、昨今、騒がしい諸問題の原因は、これなのだと合点がいった次第。
京都と言えば、9月のパイプス先生率いる欧州旅団のメンバーの中にも「行ったことがある。きれいな所よね」とおっしゃる方が何人かいた。外国人向けにはお世辞を素直に受けるとしても、「京都なら、北の方が京都らしいですよ」などと、余計な言い添えをしていた私だった。
今は、地名で昔ながらの様相を察知するのは止めた方が無難だ。
夜は大阪で仕事関連の会議があったので、少しは何か食べておいたら、と京都駅の即席カレー店へ主人が連れて行ってくれ、食券二枚で五分ほどで軽く夕食を。こういう回転の速い便利屋さんを工夫する商才は、日本人だな、と改めて思う。
京都駅の同じホームで別々の電車に乗り別れ。うまく間に合い、一時間半の会合を済ませて、一人帰途についた。
帰宅すると、主人が英国風英語のビデオをインターネットで探し出して、オーソドックス教会の復習をしていた。高校で世界史を履修しなかったので、私の説明を聞いて初めて、キリスト教史が西洋史にとって重要だということが理解できた、という。
では、なぜマレーシア研究会では、十年ほど前まで、私の発表に対して筋違いなコメントが続いたのだろうか?(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100222)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150311