日本人として恥ずかしい
昨晩の印象的なイスラエル・フィルの感想は、また後で...。
取りあえず、またもや驚かされたリチャード・パイプス先生!(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141101)今年2月にユダヤ研究所で行われた51分ほどのご講演を。
(https://www.youtube.com/watch?v=ua7whC_Maf0)
"The Impact of World War I and the Russian Revolution on the World of Russian and East European Jewry"
Wednesday, February 19, 2014 | 7pm
YIVO Institute for Jewish Research
Lecture
Richard Pipes, Baird Professor of History, Emeritus, Harvard University
The events that transpired in Eastern Europe between 1914 and 1917 were a direct prelude to the Holocaust. To right-wing Germans, the Jews were Bolsheviks; to the Bolsheviks they were pro-German bourgeois. In reality, the majority of East European Jews professed Zionism, but the charges leveled at them provided justification for persecutions that exceeded anything seen since the first century of the Christian era when the Romans destroyed the Temple and scattered the Jews worldwide. In consequence, Eastern Europe, which a century ago was home to the largest Jewish population, is today a more minor center of the Jewish population.
(引用終)
91歳とは思えず、頭脳明晰、お元気そのもの。
アカデミックなお話ではないが、「生きた歴史」を語る、と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)。一般日本人の我々にとっては、盲点を突くような、幾つかの重要なポイントが含まれている。
・父(つまりダニエル先生の父方のお祖父様マーク氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131206))は、ポーランドを逃れてウクライナ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141101)へ。その後、ウィーンにも。だから、私(リチャード先生)が生まれてポーランドの学校に行く6歳まで、父はドイツ語で話しかけていた。つまり、ドイツ語先習でポーランド語は学校で習った。
・父は、ロシアとポーランド地域で戦った。第一次大戦後、その結果に私は苦しんだ。
・ポーランド分割として、ロシアにユダヤ人が住むようになったが、条件として、商人つまり長者か、優秀な学者のみ。
・ポーランドに300万人住んでいたユダヤ人は、多くが小さな共同体内で暮らし、他の世界を知らず、ビジネスや自分達の家族の枠内で生きていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130923)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140929)。私の場合は、マイナーな事例である。母方は大家族で、ドイツ人を怖いと思っていなかったし、ドイツ人の友人もいたものの、父はドイツ語が読めたので、ドイツやオーストリアやスイスなどのドイツ語新聞を通して、たくさん情報を得ていたから。そのために、幻想を抱くことなく、ナチのホロコーストの難を逃れることが可能になった。
・反ブルジョワが反ユダヤ人に。彼らの目には、ユダヤ人がブルジョワに見えたから。
・オーソドックスとカトリック教会は、反セム主義で反ユダヤ主義。
・1920年代、ヒトラーの党にユダヤ人がいたし、ファシスト党にもユダヤ人はいた。ユダヤ人はどこにでもいる。ソ連共産党にもいた。
・1930年代には、ポーランドの学校で「ユダヤ人生徒は左側に座れ」と言われた。1935年には、本屋さんでも「ユダヤ人の本は買うな、自分達から買え」と言われていた。だから、自分はポーランドの大学に行きたくなかった。私は激怒し、荒れ狂っていた。
・1930年代に、親族で一人の叔父がパレスチナに渡ったが、パレスチナのシオニストは理想主義的。
・反セム主義は偏執狂で、病気だ。
こういう実証的な話こそ、日本のユダヤ研究でも聞きたいのだが、どうも....。
もう一点。日本でパイプス親子先生を悪し様にののしっていたり、茶化したりしていた研究者は、一体全体、どれほど無教養で非人道的で失礼で、日本文化の礼節からも外れ、世界史に疎いか、ということが、ますます明らかになり、日本人として非常に恥ずかしい。
今日はこれにて終了。