ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

前途多難な日本の予感(2)

若い頃、外国人留学生に日本語を教えたり、海外でも日本語を教える仕事に従事していた。外国語を複数勉強してみて、実際に使える言語もある。
もし何も考えていなければ、今でもその筋で仕事を続けていたかもしれない。
でも、経験してみたからこそ、次第に違和感を覚えた。だから、以下に書くことは、単なる感情的な排斥主義でも偏狭な考えからでもない。
うれしいことに、昨日書いたこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141019)を支持するかのような、私と考えの近い草の根運動があることを今知った。内容は変更せずに、一部字句を修正した上で部分引用を。

http://www.sakuranokai.org/article/405652584.html


文科省:平成26年度予算( 案 ) 主要事項
「グローバル人材育成」「大学教育のグローバル展開力の強化」等、随所にグローバルの文字が踊っており、それらに多額の予算

・留学生関係予算355億2千万円のうち、日本人学生に使われる予算は85億94百万円、残りの269億26百万円は外国から来る留学生に使わる。

文部科学省は26日、東京大や京都大、名古屋大、九州大、関西学院大など37大学を「スーパーグローバル大学」に選んだ。
・どの大学も「グローバル」「地球市民」「世界市民」といった構想を掲げている。

本当に、これはバランスが崩れていて、おかしいと思う。この「グローバル」「地球市民」「世界市民」というキーワードを使う人の思想や態度を観察すれば、真意がよくわかる。何を意図としているかだ。
日本は、アメリカやカナダやオーストラリアやシンガポールやブラジルなどの移民国家ではない。これらの移民国家でさえ、そのルーツを辿れば、誰が支配していたかがよくわかる。せっかく日本は独自の文化と歴史を有するのに、それが理解できない人々が、主に経済面の自己利益のために、次第に文化的にも領土的にも「搾取」する可能性が大きい。
この頃、イスラエルが「アパルトヘイト国家」だと非難されているが、誰がそのように主張しているか、顔ぶれをよく観察すべきだ。
欧州が左傾化して弱体化しているというのに、それを模倣して「やっと日本も欧州並みに」と言うのだろうか?
主にイスラーム圏と中国圏が大きな問題だというのに、わざわざ自ら「国を開いて」問題を招き寄せようとするのだろうか?
今こそ、過去から世界史を学び直す時だ。私は、家にいてじっくりと勉強できる時間が与えられて、感謝している。
佐藤優氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BA%B4%C6%A3%CD%A5)が映像で語っていらしたが、自分の代のことだけ考えるのではなく、「子どもや孫の世代が、将来どうあるべきなのか」を軸にして考えるように、とのこと。大賛成。
PS:またもや、池内恵氏がヒットを飛ばしてくださった。

http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-216.html


「本日の読売新聞朝刊文化欄で「イスラーム国」をめぐる日本のゲンロン状況を風刺」
2014/10/20


(前略)そもそも中東研究とかアラビア語とかイスラーム教とかを専門でやる人は、信者にならずとも、とにかく現状は間違っていて自分は全く違う真理を発見した−と言いたいからそこに入ってきた、という人が多く、しかもそのような決定が高校卒業ぐらいで行われている(ほぼ大学入試の学部選択で決まるからね)ということから、あんまり信用できない判断だ。
(中略)
だから、専門業界はどうせ変な人ばっかりだ、と放っておいてはいけないと思いますよ。専門業界が分業しつつ国民の一般意志の形成に資するサイクルを持っているのが先進国、そうでないのが後進国、という厳然とした区分があると考えた方がいい。日本はこの点で、どっちに入るかはギリギリ
(中略)

今、大学行政では「役立たない」文系への風当たりが強い(ことになっている)が、私は常に役立つものばかり大学が揃える必要は全くないし、役に立たないように見えることが「いざ」という時役に立つと思っているし、だから文系は必要だと思っているし、それを支えているような自負心もある。
(後略)

本当に、全くその通り。期せずして、この私も身近に経験する機会に恵まれていたというわけだ。
そして、もう一点。いつも同じことを繰り返すようだが、ダニエル・パイプス先生と知り合えて、本当にありがたかったということ。何でも「ネオコンシオニストユダヤ陰謀論」だと、見えないものをあえて見ようとする、もっともらしく奇妙な態度が日本のメディアと大学とネット空間で席捲している。イラク戦争の戦後処理にしてもしかり、最近の憲法九条ノーベル平和賞候補話もしかり。このままでは本当に危ないという意識がつのるばかりだ。だからこそ、表面ではなく、歴史的な物の見方、戦略思考、勤勉な仕事体制、イデオロギーの本質と見分け方を学ぶ上でも、一つの参考として、是非ともパイプス論考を!
私の知り合いに、実はその人こそがパイプス批判の対象範疇に含まれているのに、「自分もパイプス氏と似ている」と書き送ってきた人がいた。これこそ、言動矛盾の最たるもので、まさか私が節穴とでも?