ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

想像の域を超える中東情勢

ハマスイスラエルの攻撃戦が始まってしばらく経つが、何だか(中東って、どうしていつもこうなの?)と、ひどく気が沈んでしまうこの頃。
私の学生時代には、東南アジアや中南米もそんな感じだった。日本の若者としては、ごちゃごちゃしてわかりにくい紛争地域に興味を持つよりも、まずは自国のことをしっかりと、そして世界の古典や高文化を学ぶことが第一優先だった。そして、人生の基盤を築く上で、それは決して間違っていなかったと思う。
それにしても....テレビでまた、パイピシュ先生が一生懸命喋っている最新映像を見る度に(http://www.danielpipes.org/14580/morality-israel-hamas-battle)、今年4月の面会が夢のように思われる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)。実の娘さんと同じ年頃の、けたたましく早口の英語で話すアラブ系女性に対して、「イスラエルを攻撃するのは、止めなさい!」「もう9年も経ったんだ。目を覚ましなさい!」と、感情を高ぶらせて説得しようとしている映像だった。あれでも相当自制しているのだろう、と思う。男同士ならば冷たく厳しく言い放つのだろうが、やはり三人の娘を持つお父さんだけあってか、若い女性に対しては甘いのだ。

つい三ヶ月前のことだったが、遙か彼方の遠い昔の出来事のような感覚だ。繰り返しになるが、あの時期に渡米できて、二度も時間を割いていただけて、タイミングとしては抜群によかった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140702)。昨日、たまたま4月下旬にいただいたメールを見ていたら「次に会えることを楽しみにしている」とも書いてあった。
本当に、そのことさえ今でも信じられない。紛争と動乱続きの、ごちゃごちゃして重苦しい地域を対象に、若い頃から精力的に書き続けてきた、個性と才能の強烈な、さまざまな意味で世界的に有名な方が、日本の平凡な私の訪問をそんなに喜んでくださったとは。いや、平凡で無害だからこそ、安心して信用されているのかもしれないが。
昨日と今日、ご著書の一冊を読み直してみた。これで三度目だ。この頃、部分訳を提出したので、読みを重ねる毎に、だんだん言わんとすることがよくわかるようになってきた。それにしても、実に重たい息苦しい世界だ。いくら日本語に直したからといっても、これを読んですぐに著者の精神世界が理解できる日本の読者が、どれほどいるだろうか、と我ながらあまり確信がない。「そう思うなら、どうして訳したんだ?」と、また誤解してご立腹されそうなのだが(一度、昨年の秋(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131119)このことでも、ちょっと行き違いになった)、知識として知ってはいても、自分の経験し得ないことを、自言語で広くお知らせする必要があるだろうと思ってのことだ。
日本では、ユダヤ人迫害そのものを日本人自身が組織的に実体験していないせいか、ユダヤ人の背負ってきた二千年近くの民族的な運命に対する内的心理を理解することが、非常に難しい。情報として、知的には理解したつもりになっていても、あるいは、宗教的に共感したり使命感を持つ人達がいたとしても、所詮、我々は外部人に過ぎないのだ。
多分、こちらにそのつもりはないのに、普段からたまっているストレスや緊張や、感情の起伏の激しさから、ちょっとしたことでも誤解してしまい、ハリネズミのように警戒心を強める傾向があるのかもしれない。軍事や経済的には強くても、国際政治面では批判されることを恐れているイスラエルと世界中のユダヤ共同体。その複雑な二重内面性は、それほど簡単に我々がわかるというものでもないだろう。だからこそ、誠実に支える「友人がイスラエルには必要」なのだ。アスナール氏は、実に勇気ある発言をなさった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140625)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140626)。
(なぜ私が?)と思うが、もうしばらく続けてみようか。それにしても、パイピシュ先生、お疲れでしょう?白髪がぐんと増えました。少しはゆっくりお休みになっては?